私の音楽ヒストリー 第3回 吹奏楽とフュージョンに出会う
中学生になり、体育館で「新入生歓迎会」がありました。
そこで聴いた吹奏楽部の演奏が凄かった。
人数はそんなに多くありませんが、「愛するデューク」「ディスコ・キッド」の演奏が中学生とは思えないほど素晴らしかった。特に2曲とも女性の先輩がドラムを叩いていて、愛するデュークのドラムソロなんて驚くほど堂々としていて、管楽器のソロを吹く先輩方も上手でした。
漠然と吹奏楽部に入ろうかな?と思っていましたが、この演奏会を聴いて「絶対吹奏楽部に入ろう!」と決めました。
担当楽器については当初フルートがいいなと思っていたのですが、あっという間に枠がうまってしまったので、第二希望のパーカッションになりました。
この吹奏楽部は市大会・県大会で金賞、それ以上先に進むことはなかったけれど、先輩方の実力はやはり素晴らしかったと思います。3年生のドラムの先輩の教え方も上手で、基礎をしっかり叩きこんでいただきました。
そんななか、エレクトーンはグレード7級が受かった時点で先生から「私のところでは7級までしか教えていないのよ。ここからは私の先生をご紹介するわね」。
そこで私の家からはバスで通う必要のある、少し遠い教室で習うことになりました。
その先生も教え方に定評のある素晴らしい指導者で、中学1年から吹奏楽・エレクトーン共に充実、本格的に音楽を頑張ろう!という気持ちが高まっていました。
ラジオで音楽を聴くようにもなり、最初はビートルズや映画音楽を主にカセットに録音して聴いていました。これらはエレクトーン曲集でお馴染みだったので、ちゃんと原曲も聴こうとしているうちに大好きになりました。
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そして中学2年の頃、衝撃の出会いが!ラジオから流れたカシオペアの「Looking Up」を聴いて「なんてかっこいい音楽があるんだろう!」と感激。そこからフュージョンというジャンルにのめり込んでいくのです。
中学2年の秋からは、1つ上の先輩の後を継いでドラムも担当することになっていました。
そんなこともあり、「神保彰さん凄い!!かっこいい!」と憧れたり、神保彰モデルのドラムスティックを買ったりして昼休みは練習室にこもってドラムの基礎を覚えようと頑張っていました。
当時うちのレコードプレイヤーは壊れていて、ステレオもなくて。でもどうしてもカシオペアのアルバムを全部聴きたかった。
そこで、家から自転車で30分ぐらいのレンタルレコード店「友&愛」に借りに行き、そこから20分ぐらいかけて叔母の家に行きステレオを借りてカセットにダビングさせてもらい、レコードを返して、帰りはすごい上り坂なので自転車を引っ張って40分ぐらいかけて自宅に帰るということを繰り返していました。
ライナーノーツにしても、当時はコピー機が今ほど普及していなくて、家とレンタルレコード店の間にある文房具店でコピーしたり、時には手書きで写したことも。
そんな面倒なことが苦にならないほど夢中になっていましたね。
親に頼んでファンクラブに入ったり、お小遣いで音楽雑誌を買ったり、そして小学5年から毎月購入していた月刊エレクトーンにもカシオペアがたびたび載っていることに気付き何度も記事を読んだり。
ライブにも行きたかったけれど、親は「中学生の間はダメ。高校生になったら行ってもいいよ」というスタンスだったので、とにかくカセットを擦り切れるほど聴く毎日。
ある日、一番好きなアルバム「フォトグラフス」が入ったカセットテープがラジカセに絡まってしまい、テープが切れないようになんとか取り出したものの、自分では直せないほどねじれてぐちゃぐちゃに。泣きそうになりながら近くの個人電器店に駆け込み、店主のおじさんに直してもらったこともありました。
FMステーション付録の綺麗なカセットレーベルをつけて、当時流行っていたレタリングシートでカセット本体にアルバムタイトルをつけたりして、本当に大切に扱っていましたね。
サブスクでこんなに気軽にさまざまなアルバムを聴ける時代がくるなんて、あの頃から考えたら夢のような話です。
でも、一枚のアルバムを大切に聴きこむ情熱はあの頃のほうが強かったと思います。
フュージョンの話題はもっと語りたいので、次回に続きます。
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