公任さんと清少納言(後編)
今回のサブタイトルは、「公任さん、メール感覚で和歌のやりとりをするも、清少納言にイラつかれる」です!
出典は、公任さんの和歌を集めた「公任集」。
前回の記事はこちら。なんと気がついたらもう1ヶ月も経っていました。お待たせしました。

↑新キャラ 清少納言さん。
癖毛がコンプレックスなのは公式(※枕草子)です。どんな癖毛だったのかはわかりませんが、真っ直ぐではない=ウェーブと解釈。
今回の訳は、ほとんど和歌になるので、きちんとしたくて以前にも参考にさせていただいた『王朝の歌人7 余情美をうたう 藤原公任』(小町谷照彦著 集英社)をまた参考に意訳させてもらいました。
それに加えて『公任集全釈』(伊井春樹、津本信博、新藤協三、風間書房)の現代語訳も参考にしました。
まずは漫画から。今回は内容に沿った漫画になっています。

公任さんと清少納言の和歌一覧
清少納言が月の輪に帰り住む頃
ありつつも雲間にすめる月の輪をいくよ眺めて行き帰るらむ
返り事も聞えで、ほどへてうれふることありて、御文を聞えて、そのこといかに、と聞えければ
何事も答へぬこととならひにし人と知る知る問ふや誰ぞも
返し
答なきは苦しきものと聞きなして人の上をば思ひ知らなむ
とてなむ、とあれば、黄なる菊に挿したまひて
梔子の色にならひて人言をきくとも何か見えむとぞ思ふ
返し
おしなべてきくとしもこそ見えざらめこはいとはしき方に咲けかし
ざっくり意訳は漫画の方に書いた通りなのですが、一通りの流れを。
清少納言は晩年、父の別宅があったという「月の輪」(現在の京都市東山区月輪町)という地に住んでいたそうです。
貴族の間では有名な話だったのか、公任さんが事情通だったのか、清少納言が「引っ越しました」のお手紙を書いたのかはわかりませんが、とにかくその情報を得た公任さんは、清少納言にちょっとした和歌を送ります。
それが最初の和歌。
「昔、宮中から月の輪には、幾夜通ったんだろうなあ。数え切れないなあ」
と言った内容の和歌で、「幾夜」というワードを用いて、おそらく元カレ風に戯れているんですね。昔は清少納言の父清原元輔が住んでいたわけなので、もしかしたらパパのほうに用事があって本当に通っていたのかもしれない。
多分、公任さんは、そういう恋歌めいたご挨拶にどうやって返事をしてくるのか興味を持ったんじゃないでしょうか。
しかし、清少納言の反応はまさかのスルー。
それについての感想は特に書かれませんが、続けて、清少納言が「うれふること=悩み事」があって「このことどう思います?」という手紙を出して来た、という詞書に繋がります。
公任さんはこの清少納言の手紙に対して、
「前にあなたがお返事をくれなかったから『私も手紙の返事は出さないぞ!』と決めた人間(=私)に、ものを尋ねてくるのはどこのどなたですか〜?」
という嫌味たっぷりな和歌を送ります。根に持っているというか拗ねているというか。
ちょっとわかりづらいですが、「ならひし」と言うのが、「あなたに倣って(習って)」という意味になるらしく、明らかに前に返事をくれなかったことを責めているわけです。
「こっちからのお手紙には返事もくれないのに聞きたいことがある時だけお手紙寄越してくるのってどうなの? ねえ」みたいな感じでしょうか。
対して清少納言。
「返事がもらえないと苦しいって気持ちを教えてあげたんです。返事がないと困る人の身の上になって考えてください」
という意味の和歌を送ります。
「そういうのいいから早く本題の返事ください」と言わんばかりの和歌。
さすが清少納言、お偉いさんの公任に対しても強気というか、しかも相談している側であるのに全然負けてないですね。
それに対して、公任さんはさらにやり返したくなった模様。次の和歌は、黄色の菊に和歌を結んでお返事します。
「梔子色(=クチナシの実で染めた少し赤みがかった黄色)に倣って、人の言うことを聞くようには見られないようにしようと思う」
こちら、ちょっとわかりにくいですが、解説。
先に言うと、梔子=口無し、聞く=菊が掛詞になっています。
まず、黄色の菊は、少し色がうつろいかけたものを「梔子」という別の植物に見立てられることがあったようで、それを前提にしています。つまり、実際に送ったのは菊ですが、公任さんはそれを「梔子です」という前提で和歌を詠んでいます。
梔子は、「口無し」という言葉の掛詞になることが多いです。
口無し、の解釈は色々ですが、基本は言葉の通り、「顔に口が無い」という解釈になるので、この場合は、「返事をする口が無い」という意味です。
だから、もうすこし噛み砕いて訳すと、
「この梔子を見習って、人に何かを言われても返事をする口が無いと思われることを心がけよう。この梔子も菊じゃないし、私も聞くことはしないし」
と言ったところでしょうか。菊という小道具まで使って、先ほどよりも技巧を凝らした和歌になっております。
公任さん、なんか楽しくなって来てませんか?
さて、清少納言。
「あなたが私のいうことを聞くようにも見えないし、あなたが「梔子」だとおっしゃるようにこの菊は普通の菊には見えません。そんな出来損ないのかわいそうな菊なら、ちゃんと普通のとは違うところに分けておいてください。そして普通のとは違うかわいそうな菊を送ってくるなんて失礼じゃないですか」
三十一字に込められた意味が怒涛のように押し寄せる!!!
清少納言のこの和歌の凄いところは、「おしなべてきく」という七文字全てで掛詞になっているところです。
おしなべて聞く=いうことを全て聞く
おしなべての菊=一般的な菊
という。
清少納言は和歌が苦手だったと自称していたそうですが、全然そんなことないかと……有名な「夜を込めて」の歌もそうだし、前回の記事で紹介した上の句も上手ですよね。
父や祖父と比べると恐れ多い、と思いながら、バッチリ勉強してましたね。これは。
公任さんが和歌の大家なのは当然として、清少納言も、技巧的にも気持ち的にも負けていないやりとりですね。前回、公任さんからの問いかけに焦っておどおどしていた彼女とは思えない堂々とした文句の言い合い……もとい和歌の応酬。
宮中から退去して、華やかな世界とは距離ができてしまっている状態にもかかわらず、公任さんとこのようなやりとりができるということは、清少納言引退後も、二人は時々文のやり取りをしていたのかもしれませんね。
そうでなく、相当久しぶりのやりとりだったのだとすれば、宮中にいる間に相当仲良くなったのか、清少納言が年をとって怖いものなしになったのか……。
公任さんの和歌はただの嫌味ではなくて、やっぱり親愛の情というか、「じゃれている」感じがあるように思えます。「こいつならこういうこと言ってもわかってるだろう」感というか。
一方の清少納言は、「ハイハイそうね」という感じがするというか、若干イラついてる感があるように思えます。この時の手紙の本題は、公任さんにとっては重要事項ではなくて、清少納言にとっては差し迫ったことだったのだろうということも想像できて面白いですね。
和歌は専門の先生の解説がないと、理解するのは難しいですが、現代語訳や語釈を読み解くと、三十一字のやりとりとは思えないくらいに中身が詰まっていて、当時の状況や関係性まで想像させてくれるのが楽しいですね。
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