第55話 夢や目標を諦めてしまったこと
チカノベの人生史小説。タイトルは『精神障がい、性的違和の知暖が学んだ「真実の愛」と「人生の正解」を目指す道』。
脳の障がいによる障がい特性を持つ主人公の知暖が、人生でたくさん失敗し、苦しんで、たくさん泣いて叫んで、報われない経験をして生きてきた。
そうやって、いろんな人たちと関わっていく中で「社会性」と「愛の形」と「人生の正解」について学んでいくお話。
今回は、第5章『優しい人たちに恵まれた高校卒業後の自分』から『第55話 夢や目標を諦めてしまったこと』です。
目次はこちらです。以前の話や次回以降の話を選んで読めます。

(Geminiさんが生成したイメージ写真)
夢や目標を諦めてしまったこと
高校在学中、通信制大学の学費を貯めるために、アルバイトをしたいことを母に相談するも、在学中にアルバイトをするのは反対された。小学生の頃からこのときまで、通学に苦痛を感じた経験から、学生生活に集中してほしいという、日常生活を送るのが困難な姿をそばで見ていた親としての願いだった。
小学生の頃から、アイドルや歌手、アニメソングシンガーになりたいという夢もあり、できたら子ども番組の人形劇や教育テレビのキャラクター、ヒロインアニメの妖精、架空の生物といった、個性的なキャラクターの声を担当してみたかった。
他の生徒がタレント養成所のホームページを視聴覚室のパソコンで閲覧している様子を見て、自分も検索し、仙台市のボーカルスクール・声優養成所をネット検索で見つけた。夜間や週末だけ登校するスタイルが、通信制や定時制の学校に似ていると思い、自分でも通えると思った。本気でその学校に進みたいと思った。でも、母は賛成しなかった。現実は甘くなかったのだ。我が家には余裕がなく、離れて暮らす父からの援助も見込めず、学費は自分で貯めるしかなかった。
今度は、就職を目指し、高校在学中からハローワークに通い、ハローワークの求人検索用のパソコンで見つけた、大手メガネブランド店や郵便局の求人票を印刷した。このメガネ屋さんは、この地域の障がい者枠の求人の中で最も賃金が高い。郵便局は最低賃金だが、自宅から近い場所にあるため、通勤の面では楽ができそうだと思った。
ボーカルや声優を養成する夜間・週末講座について、仙台市でひとり暮らしをしながら通学するのなら、物価や家賃が高く、アルバイト程度の収入では暮らすのが大変であることを母に指摘され、国家資格を持つ人は高い給料がもらえるという情報を知り、小児看護師を目指したいと思った。中学生の頃から、子どもたちの役に立つ仕事がしたいと思っていた。国家資格を得るために、県内の看護学校を希望した。
実際のところ、夜間・週末講座は、近隣県から交通機関を乗り継いで通う生徒も多い学校だった。自分にとって、長い時間、密閉空間の揺れる車内の中で移動することは息苦しさを伴い、毎回決まった時間に間に合わせる登校スタイルは心身をひどく消耗させる。余裕を持って学び続けるには、仙台に移り住むしかない。
高校卒業後、メガネ屋さんに就職できることを強く信じ、給料の計算をし、貯金期間や、看護学校在学中の学費や教科書代、昼食代、お小遣いを算出し、それは完璧な計画に見えた。
結局、高校を卒業するまで、面接は受けず、内定がないまま、高校卒業後まで進路は決まらなかった。
卒業後、相談支援の人が、メガネ屋さんの求人を見て、とりあえず就職を諦めて、就労施設に入所して就労移行支援やB型の就労継続支援で、職業訓練を受けることを薦めてきた。
大手メガネブランドへの就職を諦めた理由は、相談支援の人が求人票を見て、私の能力と体力に見合っていないと判断したからだ。仮に面接に合格したとしても、研修先が中部地方の本社であり、東北から長距離の交通機関を利用して移動する中で、息苦しさを感じたり、研修先で持ち物検査をされ、バッグの中に大事な小鳥の電子ペットや縫いぐるみたちを見て奇妙がられたり、遠い土地での研修が不安やストレスに繋がったりするといった理由だ。
自分で学費を貯めて、進学できないと悟ると、家族に貯金を懇願した。母は「食べていくのがやっとだから」と断った。自分は夢を叶え、好きな職業をして生活することを歓迎されていないのかと感じた。母にとっては、夢や目標はどんどん叶えてほしい気持ちはあるみたいだが、何しろ家にお金がなくて、八方塞がりな状態だった。
しばらくして、夢が変わった。高い学費を払って遠い学校に通学せず、独学で声の演じ分けや歌い方を研究し、自宅をスタジオにし、人形のミュージカル動画を撮影し、動画配信サイトにアップし、広告収入を得ることだった。その収入を貯めて会社を設立し、障がい者や中卒の人、キラキラネーム等で就職に難のある人を雇い、好きな動画配信の仕事をさせ、再生数や人気度関係なく万単位の給料を支給する企業の経営者になりたいと思えた。会社名は、社長だった自分の先祖の名前をローマ字にしたもの。
このとき住んでいた実家では、歌うことで近隣に迷惑がかかり、自室もないため、撮影するスペースが必要で、実家を出て、活動拠点を得ることが必要だった。令和4年までに叶えたい夢だと、目標達成の目安を表明した。
しかし、この夢を叶えたいと強く願っても、自分の置かれた環境の理不尽さに長年つきまとわれるとは、全く想像もできず、夢が叶うことを信じ続け、作詞作曲したミュージカル挿入歌を毎日のように歌い続ける日々だった⋯⋯。
おことわり
この物語は、自分の主観と記憶を辿り、実体験をベースに綴ったノンフィクション・エッセイです。一部、プライバシー保護のために、地名や人名、団体名、家庭事情等を伏せたり書き換えたりしています。そして、歳月の経過による記憶の断片を繋ぎ合わせています。当時の心情風景としての描写が含まれることをご了承ください。
あとがき
ASDやADHD、知的障がいなどを持つ人が医療系の国家資格を取得しても、実務により、強いストレスや不祥事・過誤のリスクに直面します。
そのため、医療現場で働き続けることが困難になる場合もあり、少なくとも当時の私の特性や状態では、目指すのが厳しい職種だったと感じています。
また、看護学校は心から「なりたい」という強い意志がないと通い続けるのが難しく、途中で辞めてしまう人がいます。
更に、激しいストレスで激痩せしたり太ってしまったりと、体型が大きく変わってしまう人もいるそうです。
夏休みの宿題に追われるそうです。ただし、夏休みにアルバイトをしてもいい学校もあるそうで、忙しさや難しさは学校によるそうです。
第7章の異性関係のお話で取り上げる男性も、進学校を経て看護学校に入りましたが、神経質になり、ADHDが見つかって学校を辞めてしまいました。
私はいつもやる気はあるのですが、多分看護学校に合格できても、双極性やパーソナリティ障がいが悪化して、続かなかったと思います。
資格はひとつも持っていないし、検定すら挑戦したことがなく、私には何も能力がないのかもしれません。
ですが、今の就労施設で、加工食品の仕上げの工程では、早くてきれいだと評判です。最初の頃は、他の人より歪であることを少し気にしました。
今でも就職した経験がなく、今持っている夢や目標も諦めることになるのかもしれません。うまくいかなすぎる人生は小説にして面白いのか??
作者の近況
今、第10章を生きる作者の近況。23日(日)は、昆虫採集へ行ってきました。モンシロチョウを最初に捕まえました。
次に、アブラゼミのメス、2匹目のモンシロチョウはケージに入れる際に逃げられました。
トンボを捕まえると、誤って傷つけてしまい、捕まえた数としてはノーカウントにしました。その後もアブラゼミのオス2匹を捕まえました。
ノシメトンボも捕まえ、モンシロチョウは、翅がボロボロになってかわいそうなので逃がしました。
昆虫の記事ではないため、昆虫の生態写真をここに貼ることは控えます。今度、見た・捕まえた昆虫を別の記事にまとめて投稿します。
晩夏〜初秋の時期のせいか、公園の花畑のお花は咲いておらず、大きなチョウはいませんでした。
セミを捕るのに、上ばかり見てしまい、徘徊性のコウチュウ(オサムシやゴミムシ、シデムシ等)は見つけられませんでした。
カメムシもいませんでした。今の季節のカメムシは、冬ごもりのために、屋外よりは屋内にいると思います。
目が悪くて、木に止まったセミが見えませんでした。見つけるコツは、木に傾斜のついた小さい何かが乗っかっていると思えば、それがセミです。
捕まえ方のコツは、木に止まっているセミがいたら、網を下からではなく、上から被せると、セミがポロッと網に入ってくれます。
私が捕まえた昆虫たちは、母の実家である非認可保育所で飼うことになりました。
ノシメトンボは、大きなケージに移す際に逃げられてしまいました。実質、捕獲した昆虫は、セミ3匹だけになりました。
セミたちはストレスからか、セミファイナル(セミ爆弾)のように腹を上にしてケージで過ごしていました。
本当は、コカマキリたちの餌のバッタをたくさん捕まえたかったですが、餌にならない大きなセミしか捕れませんでした。
祖母からの情報で、家の近くの公園でカブトムシが捕れるとのことでした。6月に恋人とデートに行った場所です。
平地で、家の近所で、しかもクマが出ない安全な場所でカブトムシなどが捕れるそうです。来年の夏、夜に捕まえに行きたいです。
今日は仕事が半日稼働で、帰ってからこの記事を編集しました。家事を早く始めました。疲れてしまいました。体が疲れているのだと思います。
明日は作業のあと、施設で作ったケーキを食べ、明後日は外出行事があります。浮世絵の現代アートとフードコートでの食事です。
今、就労選択支援に、養護学校の実習生が来ています。私の恋人(養護学校出身)のことを知っているそうです。
前に選択支援に来ていた養護学校生にはあまり話しかけませんでした。本当は話したくて仕方ありませんでした。
今来ている養護学校生には、自分から話しかけたり、相手のほうから話しかけられたりします。
本当は、みんなと話したいので、話ができると嬉しいです。養護学校生も、今日私が作業中に苦しんでいたところを、何度も励ましてくれました。
今編集中のエッセイの中に、積極奇異型の方が他の特性を持つ方と接するコツを説明したものがあります。
ASDの特性がメインですが、おまけでADHDやLD、知的障がいの接し方のコツも説明できたらと思っています。
トップ画像説明と次回予告
トップの生成写真、20歳の頃の自分が落ち込んでいるところをイメージしてみました。当時の髪型は、前髪なしのスーパーロングでした。
次回、第5章『優しい人たちに恵まれた高校卒業後』から『第56話 就労施設を見学したときの話』です。
知暖が希望した就労施設を見学して失敗し、学んだことを活かして、次の就労施設を見学したときの話。
