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【10/28】アジア・グルーヴ・クロニクル Season 4:Mainstream HIPHOP編


第10回:Zone 3-3. 現ベトナム – 中部・高原地帯・メコン川上流域



メコンの絶唱、分断の痛みを「ボレロ」の哀愁と「デジタル・ファンク」でハックした自律のOS

まずは、現ベトナムの位置をご確認ください

人類の旅路は、ラオスの静かなるモーラムの調べを後にし、東南アジアでもっとも不屈の精神をもつ民が住まう、現ベトナムへと至ります。地政学的に見れば、ここは「冷戦という名のOSが、もっとも凄惨な物理的衝突を引き起こした場所」です。1945年の独立宣言から、南北の分断、そして1975年のサイゴン陥落に至る激動の変遷。この過酷な運命のなかで駆動した音楽OSは、北の革命的な高揚と、南の退廃的な抒情という相反するパッチを抱えながら、最終的にはそのすべてを「ベトナム人の哀愁」という最強のフィルターで統合していく、驚異の「超克と洗練のシステム」でした。

1975年のサイゴン陥落。超大国アメリカがはじめて経験する敗戦となりました

ここで音楽オタクの私たちが刮目すべきは、グルーヴの「湿った重厚さ」と「デジタルの極端な加速」です。1950年代から1970年代にかけて南ベトナムで愛された「ボレロ」のリズムは、戦争という過酷な現実を生き抜くための「精神のシェルター」でした。そして2010年代以降、デジタル・ネイティブ世代が放ったベトナムHIPHOP。特に「ベトナムのHIPHOPの女王」と呼ばれるSuboiが示したのは、伝統的な抒情をグローバルなラップ・フォームに完璧に同期させ、自らのアイデンティティを世界標準のビートで再定義する、アジアの新たな生存戦略の姿です。それは、冷戦という最悪の季節を潜り抜け、自らの「Deep Roots」をデジタルな武器へとアップデートし続けた、人類史上もっとも強靭な再生の記録なのです。


黎明期の開拓者、Suboiが切り拓いた「最初の回路」

Suboi

ベトナムにおけるMainstream HIPHOPの時計を語るうえで、Suboiの存在を抜きにすることは不可能です。彼女の記念碑的作品『Walk』を聴いてください。再生ボタンを押した瞬間、リスナーの耳を支配するのは、USの初期HIPHOPへの真っ直ぐな憧憬と、ベトナム語特有の「声調」がもつ鋭利な響きが、緊張感をもって激突した瑞々しいサウンドです。

Suboiが果たした役割を解読すれば、それは「情報の断絶を埋め、言葉に主権を取り戻すためのハッキング」でした。彼女はまだ、社会的な制約が強かった時代に、外部から届いたHIPHOPという「自由なOS」をベトナムの土壌へといち早くインストールしようと試みました。

アルバム『Walk』に込められたリリックの内容は、等身大の若者の孤独や社会への鋭い観察でしたが、それが「ベトナム語のライムでも世界を揺らせる」という確信を、ハノイやサイゴンの若者たちの脳内にはじめて書き込んだのです。これは、重苦しい歴史の影から抜け出し、世界の潮流と「同期」したいと願った、新世代の切実な欲求に応えたものでした。


洗練の極致、Suboiが書き換えた「内省と自立のOS」

『No Nê』さらなる進化と深化を遂げたSuboi

2010年代後半から2020年代にかけて、SuboiのOSはさらなる深化を遂げます。その到達点がアルバム『No Nê』です。ここで鳴り響いているのは、もはやUSの背中を追う者の音ではありません。それは、ジャズ、アンビエント、そしてベトナム伝統音楽の残響が、最新のトラップ・ビートのなかでシームレスに合体した、驚異の「洗練された自律OS」です。

Suboiのパフォーマンスを分析すれば、そこには1960年代の反戦歌の歌い手たちがもっていた「魂の絶唱」を、メロウなラップの韻律として再定義する、驚異のエディット感覚が存在することがわかります。

誰の欲求によって、この覇権が支持されたのか。それは、グローバル化するアジアのなかで「強さ」だけでなく「繊細さ」をも武器にしたいと願った、ベトナムの若者たちの魂の欲求です。彼女の音楽は、アメリカや近隣諸国の模倣を突き抜け、自らの「内面的な景色」を世界基準のビートで武装させるための、最強の「自己肯定プログラム」となったのです。


加速する伝統の破壊と再生:Hoang Thuy Linhの「新・祝祭OS」

Hoang Thuy Linh

Suboiが「個」の内面を深掘りする一方で、シーンを圧倒的な高圧へと導いたのが、現代の歌姫、Hoang Thuy Linhの存在です。彼女のアルバム『LINK』は、ベトナムのMainstreamにおける「伝統のデジタル・ハック」を象徴する作品です。ここで体感できるのは、ベトナム伝統の旋律や打楽器のサンプルを、最新のデジタル・ファンクやHIPHOPのビートで強引にブーストさせた、驚異の「生存のOS」です。

このサウンドを波形レベルで分析すれば、そこには1990年代末に産声をあげた高速ビート「ビナハウス」の野性味が、洗練されたポップ・エディットを経て、現代の祝祭として覚醒しているのが見て取れます。リリックにおいて彼女が支持されたのは、過去の重苦しい歴史を脱ぎ捨て、ダイナミックに成長するベトナムの「生命力」を世界へと発信したからです。

誰の欲求に抗うために、このOSは起動したのか。それは、自分たちを「戦禍の犠牲者」としてのみ定義し、情報の周辺に留め置こうとする外部の冷徹な視線に対してです。彼女はデジタルという翼を使い、ベトナムの魂を「高速のダンス・フロア」へと翻訳する、高度な「逆転のアルゴリズム」を完成させたのです。


2020年代、メロウな自意識の爆発:RPT MCKとWren Evans

RPT MCK

現代、2020年代半ばのベトナムのMainstreamは、RPT MCKやWren Evansといった新星たちの登場によって、さらなる多極化のフェーズへと突入しています。

RPT MCKのアルバム『99%』を聴けば、そこにあるのは最新のオートチューンを駆使したメロディック・ラップと、ベトナム語特有の抒情性が、1ミリの狂いもなく同期した「現代的な自意識のOS」です。

Wren Evans

Wren Evansによる『Loi Choi』において、そのOSはさらにアヴァンギャルドな変容を見せます。彼は、1970年代の「タン・ニャック」から続くベトナム特有のメロウな感覚を、最新のインディ・ポップやR&Bのコード感で再定義しました。リリックにおいて彼らが支持されたのは、巨大な社会構造のなかで個人の「魂」をいかに守り抜くかという、静かなる決意が込められていたからです。

誰の欲求によって、この洗練されたOSは生まれたか。それは、デジタル化の極致において、自らの「アイデンティティ」を最新のファッションとして着こなしつつも、その核心には「ベトナム人の溜息」を忍び込ませたいと願った、Z世代の欲求です。


絶唱の系譜、戦火の抒情、そしてデジタルの自律:2026年への総括

「Zone 3-3. 現ベトナム – 中部・高原地帯・メコン川上流域」のMainstream HIPHOPの変遷を振り返れば、そこには「凄絶な分断と戦火を、哀愁という名の『精神の鎧』へと変換し、デジタルという武器で再び世界をハックした人類」の姿がありました。

1960年代の反戦歌が民族の良心を繋ぎ、2010年代のSuboiが開拓者として情報の回路を開き、そして2020年代のHoang Thuy LinhやWren Evansが、デジタルによって「洗練された自律」を完成させました。生存戦略としてのOSは、ここでは「悲劇の美学化」ではなく、「圧倒的な再生による自己超越」の形を採りました。誰の欲求に抗うために生まれたか。それは、自分たちのアイデンティティを、戦場の一部として、あるいはイデオロギーの駒としてのみ扱おうとした、あらゆる外部の強権に対してです。

Suboiの知的なフロウ、Hoang Thuy Linhの魂を揺さぶるデジタル・ハイブリッド。それは、人間がどれほど残酷な「歴史の断層」に叩き込まれても、自らの「言葉」と「ビート」を最新のメディアに同期させ続ける限り、そこを「昇り龍(ベトナム)」という名の誇り高い進化の最前線に変えることができるということを証明しようとした、もっとも強靭で、かつ、ドラマチックなドキュメントなのです。


なぜ、ベトナムの「超克力」をインストールすべきか

現代の日本のHIPHOP制作において、私たちは「サウンドの整合性」や「心地よい調和」にばかり目を奪われ、音楽が本来もっていた「不条理を情念の力で芸術に変える」という、野蛮なまでの生存の力を忘れてはいないでしょうか。ベトナムのMainstreamが教えてくれるのは、音楽とは「自分を襲う過酷な運命」をいかに自分の色で「美しく、かつ、強靭に染めあげるか」という、魂の錬金術であるということです。

Suboiの『No Nê』を、あえて歌詞の意味を追わずに、純粋な音響構築として聴き返してください。そこにあるのは、飾られたテクニックではなく、自らの魂を削り出し、聴き手の心臓に直接言葉を突き刺す、圧倒的な「生存の意志」です。私たち日本人は、洗練された「情報の消費」と引き換えに、自らの「音で現実の痛みを突破する原始的な力」を忘れてはいないでしょうか。

幻想的なメコン川の夕景(Suboi『No Nê』のジャケットデザインのようです)

もし、本当の「不屈の魂」を求めるのであれば、ベトナムの、ボレロの哀愁とデジタルの加速が衝突するこのエディット感覚を、勇気をもってインストールしてください。整合性のあるトラックを組む必要はありません。ただ、1音のSuboiのような冷徹なラップ・サンプルを、あえて「Hoang Thuy Linhのような高速のビナハウス・ビート」と「ボレロの揺蕩うようなベースライン」のなかに叩き込んでみる。その瞬間に、都会のワンルームはメコンの月夜とサイゴンのネオンが交差する聖域へと変容し、聴き手は自らの存在が「時代も国境も越えて響きあう、強靭な生命のパルスの一部」であることを思い出しながら、圧倒的な没入感を体験することになるでしょう。

次回、「Zone 4-1. 現ミャンマー – 旧スンダランド」。舞台はメコンを離れ、西へ。現ミャンマー。そこでは、ベトナムの強靭な絶唱とは対照的な、軍政下の沈黙を「コピー」と「HIPHOP」でハックした、あまりにも「擬態」に満ち、あまりにも「不屈」な、アジアのもうひとつの生存OSが待っています。

ご期待ください。

ASIAN GROOVE CHRONICLE

【追伸】
2026年5/30(土)5/31(日)に代々木公園で開催された「ベトナムフェスティバル 2026」に行ってきました!

歩道橋から見た様子(さすがにタイフェスよりは少なめでした)
牛肉のフォーと焼きトンをいただきました(写真がアレですが、美味かったです)
ベトナムパペットショーのステージ①(弦楽器のユニゾンが美しかった)
ベトナムパペットショーのステージ②(打楽器の多彩さも目を惹きました)
ベトナムパペットショーのステージ③(センターがマペットです! 素晴らしいイベントでした)

【お願い】
アジアの音楽を広く浅くディグることを目的としていますので、言及できないジャンルやアーティストが多数生じる点、ご了承ください。また、認識違いや不勉強な点など、コメントにてご教示いただけますと幸いです。より深くアジアの音楽を堪能したいと思っていますので、お力添えいただけますと幸いです。


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