【SF小説連載】シンギュラ・シティ 2065 第5話|名前のない感情
地下に眠る、封印された映像。
ナギが見たのは、名前も記録されないひとりの少女の“痛み”だった。
その瞳の奥に宿るものが、ナギ自身のものとあまりに似ていて——
記憶より先に、感情が震え始める。
📘 第5話「名前のない感情」
教室の机の上に置かれた、あの手書きのメモ。
その一行が、ナギの中でずっと光を放っていた。
壊れる前に、思い出して。
この都市では、文字を書く習慣すら廃れつつある。
紙も、ペンも、今ではごく限られた場面でしか見かけない。
(どうしてあれが、私の机に?)
疑問が消えないまま、ナギは図書フロアの旧端末にアクセスした。
通常の生徒用検索インターフェースでは到達できない「管理層領域」。
立ち入り禁止の階層。けれど——何故か彼女は、古い認証コードを覚えていた。
「コード114-AZMN…入る」
静かに扉が開いた。
地下へと続く、無人の階段。
壁には、今では使われていないデジタル案内板が点滅している。
《旧記録保管区画:感情研究アーカイブ》
ナギは胸の奥がざわつくのを感じながら、その奥へと歩を進めた。
ホコリにまみれた保管室。
ガラスの箱の中には、廃棄された記録端末と古いデータチップがいくつも眠っていた。
その中のひとつに、ナギは自然と手を伸ばす。
端末にセットすると、映像が浮かび上がった。
——そこには、ひとりの少女が映っていた。
無機質な椅子に座り、感情を問われ、応答する少女。
表情はほとんど動かない。だが、その瞳の奥だけが、濡れていた。

「名前は?」
『………』
「どんな感情を覚えている?」
『……わからない。でも、胸が、痛い。』
誰かがその子に言葉を投げかける。
映像の端、ファイル名の隅にはこう書かれていた。
実験対象:F-07
担当:S.MINATO
——ミナト。
ナギは小さく息を呑んだ。
昨日の記憶にかすかに残る、あの転校生の名前と一致していた。
なぜ彼の名前が、こんな記録に?
目の前の少女の映像を見続けるうち、ナギの中にある種の感覚が芽生え始めた。
それは記憶ではない。感情だった。
胸の奥が締め付けられ、喉が熱くなる。
(この子……私?)
そう思った瞬間、端末が突然停止した。
だが、シャットダウンと同時に、音声だけが再生された。
「思い出したら、きっと君は泣く。……それでもいい?」
ミナトの声だった。
それだけを残し、データは完全に消去された。
夜、ナギはひとり屋上に立っていた。
都市の光が遠くで瞬き、風が髪を揺らす。
“感情”は管理されているはずだった。
なのに自分の中には、確かに“何か”がある。
思い出せないのに、痛む。
わからないのに、泣きたくなる。
ナギは、自分が誰なのかを知りたくなった。
そして——“もう一度、ミナトに会いたい”と思った。
それが、“感情”だと、彼女はようやく気づき始めていた。
🔸次回予告|第6話「わたしという謎」
映像の中の少女は、本当にナギ自身なのか?
ミナトの名前が実験に関わっていた理由。
AIが封印しようとする「過去」の正体とは——
ナギは“自分という存在”を確かめるため、ひとつの決断を下す。
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