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「現実を見ろ」「現実に帰れ」の最適解

「現実を見ろ」という人ほど、「現実」を見ていない。

「ゲームばかりしていないで、現実に戻りなさい」
「インターネットばかりしていないで、現実を見なさい」

何度も聞いた言葉「現実を見る」とはどういうことなのか


「現実に帰れ」

ファンタジー世界の側から
なぜか帰ってくれと言われることもあります

エヴァの映画、ドラクエの実写映画作品にすら
「虚構の世界に閉じこもらず、現実へ帰れ」
というメッセージを感じます ※私個人の解釈です

この手の作品は、作り手からファンへ向けた善意であることが
多いのですけど、もし純粋な善意であるならば
ちょっと何言ってるか分からない

ゲームやアニメに感動した時間も、インターネット上での出来事も
人生の外側にあるのではなく
それを観ていた時間も、心を動かされた瞬間も、
紛れもなく現実だから

私たちはどこに帰ればいいの?


「現実へ帰れ」と言われても、
私たちにはもう帰るべき場所はない。

インターネットと現実は、切り分けられるものではなくなった。
自分自身も小学生の頃からインターネットが日常にあり
インターネットで出会い、話し、傷つき、励まされた

虚構を楽しんでいる時間も現実の一部で
オンラインで起きたことも現実の生活に直接作用している

パソコンも半導体もすべて自然界の素材から作られ
インターネットは軍事技術として生まれた

以前の記事で語っていたように
インターネットとリアルは輪郭を失ったのではなく
元々同じ場所だったのです。

「現実に帰れば正しい大人になれる」という幻想

「現実を見ろ」という言葉の先には
社会に適応し、立派な大人になり、正しい人生を歩むという
パッケージ化された理想像が描かれている。

しかし人間社会の現実は嘘ばかりです。
数字や名声に取りつかれ、激化する競争社会、
争いや戦争を繰り返すだけで未来に希望を持てない。
「正しい大人」はほとんど存在しなかった。

現実へ戻れば正しくなれる、立派な大人になれる
そのような「清く正く美しい大人」自体がファンタジーだった。

虚構の中で生きる 『機動警察パトレイバー2 the Movie』 


物語の舞台は、30年以上前に描かれた2002年
表向きには平和な東京。
しかし、その平和は世界各地で続く戦争を
遠い国やテレビの中の出来事として押し込めることで成り立つ
「かりそめの平和」でもありました。

かつて紛争地で仲間を失った男は、平和ボケした人々へ
「本物の現実」を突きつけようと東京に「戦争」を仕掛けます。

しかし、ある人物は、今の東京の平和が偽物だというのなら
その男が作り出した戦争も
本物の戦争を再現した偽物(虚構)にすぎないと指摘します

「虚構の平和」を壊せば「本当の現実」にたどり着けるわけではなく
戦争も平和も誰かの思惑によって演出されたものかもしれない。

この作品は、虚構と現実を簡単に切り分けることの難しさや
「虚構を壊して現実へ行け」という傲慢ではなく
矛盾や欺瞞を抱えたままこの世界の中で生きる様々な人の想いが
繊細に描かれています。

三十年以上前に描かれた作品なのに
今の社会が描かれているように思えます。

20年前のアニメ作品が描く答え 『電脳コイル』 


つい最近『電脳コイル』という20年前のテレビアニメ作品を観ました。
2025年前後の世界が舞台の世界には
電脳メガネやAR(拡張現実)が日常に溶け込んだ近未来が描かれており、
現実逃避や楽園、医療として作られた電脳空間に
人が囚われ、苦しめられ成長していく構図がある。

しかし、この作品では電脳世界で生まれた
つながりや思い出を、偽物として切り捨てない
そこで出会った人も、交わした言葉
喪失や心の痛みも全部本物という
メッセージを感じました。

「メガネを外して現実へ帰れ」ではなく
メガネをかけたままテクノロジーとリアルな世界との
境界やバランスを見失わずに生きるという選択。

「現実を見ろ」とは何だったのか


この言葉が本来伝えたかったことは
「インターネットをやめろ」
「ゲームをするな、アニメを観るな」ではなく
自分の心身や目の前の生活を見失わないでほしい
ということだと思う。

「オンライン=偽物、リアル=本物」
「虚構=逃避・悪、現実=向き合う・善」
という二分法に置き換わり
「現実を見ろ」という言葉は、
相手を自分の思う「正しさ」へ導こうとする
善意の形をした誘導になってしまった。

「現実を見ろ」と言いながら社会の矛盾には目をつぶり、
決められた生き方を正しさと信じることのほうが
現実逃避だと思う。

好きなアニメを観て一人で余韻に浸る時間
好きなゲームについて友達と語り合った時間
オンラインで生まれた感情や関係も本物であり
作られた物語に救われたからこそ、
もう一度生きてみようと思えることもある

現実とは、誰かが設定した
「正しい大人の世界」を指すものではない。

夢、物語、痛み、喜び
心を動かされた時間のすべて
自分の人生に起きた現実で

誰にも偽物とは決められない、
本物の輝きだと思う。

誰もが生きている時点で現実を見ている。

まとめ

  • 現実とネット・虚構は地続き、切り分けられない

  • 「帰るべき場所」を探すのをやめる
    「今、どこで生きているか」は自分で決める

  • 「正しい大人」「本物の現実」は幻想

  • 二分法の罠にはまらない

  • 心が動いた時間、経験はすべて本物




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