noteに来てみて思ったこと
私は元々旧Twitter時代から
Xに張り付いている、いわゆるツイ廃だった
おすすめ欄は大喜利大会でバズりポストが並んでいた
面白い言葉や表現が好きなのだ
ENFPらしきパリピ仕様
ところがnoteに来てみたらまるで図書館
私の書くもの、それを読んでくれる人
他のユーザーが書くものも
価値観が濃縮されていて
静かに咀嚼する音が聞こえる世界だった
私はここで誰も見ていないような思考を並べて
鏡を見ながらひとつひとつと向き合うような気分だった
それがなんだか心地よかった
私をかんじがらめにしているもの
過去の体験、どうしてそう感じたか
noteは私の寝室みたいなもので
寝ても泣いても寂しがっても誰も気にしない
私はあまり冒険しない
それなのに、私の文章をどこからか見付けて
スキを押してくれる人がいる
どんな人だろう?と見に行ったとき
平熱が同じような人だと嬉しくなる
まれに私のX仕様のテンションで
ユーモアで殴る系の方も
何かの間違えでスキしてくれることがある
わぁ面白い、と思ってフォローしたが
何だかここでは違う…と解除してしまった
普段ならめちゃくちゃ好きな感性なのにな
と思ったのだけれど、
おそらく私は
noteは「休まる場所」という扱いをしている
その方は素敵に面白い記事を書く方だった
だけどなんだか、
寝室にミラーボールが置いてある感覚になってしまった
私のXはダンスホールなので
そちらなら温度がピッタリだっただろう
ところが私のnoteは
ミラーボールこそ置いていないものの
なんだか近ごろ
色んな感情の詰め合わせになってきている
自分でもよく分からない
記事ごとのテンションが違いすぎてクラクラする
和室にコカ・コーラの看板があるような
いかなる自分もここに置いておきます感
でもいつも私ってそう
新たな環境に飛び込むときはいつも
なんとなく自分を慎ましく見せて
自分の話したいアレコレは隠しておく方
だけどいつかタガが外れて
どうせ自分をさらけ出すことになる
noteもそうなりそう
狭く深い私も、広く浅い私も
両方存在しているから
