テロの激しかったスリランカ
以前の記事でも少し書きましたが、
1983年当時のスリランカでは、テロが激しい中、
カトナヤケ国際空港や新国会議事堂などの電気工事で、
スリランカ人を使って、仕事をしていました。
見た目で、シンハラ人とタミル人は割とわかるのですが、
仕事の都合上、どうしても、シンハラ人とタミル人を同じ班で
仕事をさせることも多く、シンハラ人と、タミル人は民族対立が激しいと
聞いていましたが、実際は同じ班で仕事をさせても、
喧嘩をするわけでも、対立するわけでもなく仕事をしていました。
仕事が忙しいので、あまり部下と話は出来ませんでしたが、
スリランカのテロ事情は、
英国統治時代の少数派タミル人(ヒンズー教徒)の優遇政策から、
多数派シンハラ人(仏教徒)の優遇政策に
変わったことがきっかけです。
英国統治時代の約100年間は、
少数派のタミル人を行政府官吏に重用して、
多数派のシンハラ人を統治させる「分割統治」を行いました。
その結果、シンハラ人は貧しい農村でコメの生産などに従事する一方、
少数派のタミル人のみが優れた教育を受け、
官吏以外にも商人や資本家など社会的に高い地位を占めるようになり、
確執が生まれる原因になりました。
シンハラ人優遇政策により、タミル人が政治から外されましたが、
平均的なシンハラ人よりもお金持ちの多い少数派のタミル人は
このままでは、自分たちの財産もシンハラ人に奪われしまうのではかと
危惧しており、
一部の過激派タミル・イーラム解放のトラ(以降、LTTE と表記)が、
分離独立を求めて、盛んにテロを行っていたのが、1983年当時です。
インド南部にも、スリランカと同じタミル人がいたため、
インド政府(?国をあげてやっていたのか、一部政治家なのかは、
はっきりしません)が、LTTEに武器の供与などをしていました。

シンハラ人から、よく聞かれたのが、「Your god is Allah?
(お前の神はアラーか?)」で、「I don't believe any God.
(自分はどんな神も信じない)」と答えると、「That's very good.
(それはとても良い)」返ってきました。
タミル人の部下は、シンハラ人には内緒だが、
今度の日曜日のどこどこの教会には行くなよと、
忠告を受けることがあり、
翌日には、同じ内容をシンハラ人の部下から、忠告を受けたりしました。
その後、新聞やTVニュースで、
その教会で爆弾テロがあったことを知りました。
一般的な、シンハラ人もタミル人も、それなりの情報網を持っていて、
自分の様な外国人に危害が及ばない様に忠告をするのが常でした。

それでも、情報と違う場所で、爆弾テロが起きることもあり、
まぁまぁ、危険な国で働いていました。
そのような国なので、1年オープンのエアチケットを会社で支給され、
1か月ごとに予約を入れては、ギリギリに予約をキャンセルすることを
繰り返していました。
今の若い人には、理解できないかもしれませんが、
何かあれば、いつでも、1か月以内にスリランカから、
帰れるようにするためです。
それでも、以前、働いていた、イラン-イラク戦争中のイラクよりは、
安全と感じていましたね。
当時は、イラクの経験があったので、
それほど危ないとは思っていませんでした。
カトナヤケ国際空港の増改築工事で、空港内で昼飯を食べていたら、
どかんと爆発音と振動がしたので、
その日は、ちょうど、ボイラーの試運転をしていたので、
多分、ボイラーで何か起きたのではと思い、
日本人みんなで消火器を抱えて、ボイラー室へ向かいましたが、
ボイラーは何ともない。
これは爆弾テロだと思い、屋上に走って行くと、
空港のすぐ脇にある空港駅、
当時の空港駅は小さな駅舎と屋根があるホームが二つあるだけの
小さな駅でした。
電車内で爆弾を爆発させたのでしょう。
ホームに電車の連結部分から「への字」になっていて、
ホームの屋根に、多くの人が吹っ飛び、
たぶん亡くなっていたのでしょう。
そんな経験をしたのがスリランカです。
でも良いことも沢山ありました。
