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コミュニケーションとは

さて、コミュニケーションの基本は何でしょうか?

話すことでしょうか?
聞くことでしょうか?
これらは、コミュニケーションの一部ではありますが、
すべてではありません。
最近、多くの方の記事やコメントを見るにあたり、
また、色々な人と話すにあたり、
コミュニケーションを理解していないと思われることが多々あります。

もう一度、尋ねますが、コミュニケーションとは何でしょうか?

どのような回答が来るかわかりませんが、
自分が教育を受けた内容と経験から結論を言いますと、
コミュニケーションとは、
非言語的な要素も含んで相手と考え等の内容を分かち合う事です。

基本は、聞くことや見ることで相手の考える内容を知り、
理解し分かち合う。
また、その内容を言語化し、話すことや書くことにより
自分の理解した相手の考える内容を確認し理解し分かち合う。

非言語的な要素とは言語以外の表情、身振り、目の動き、場の空気などの
言葉以外での相手の分かち合いたい内容を理解する要素を言います。

この様に、コミュニケーションとは、
相手の考えなどの内容を分かち合う事を言います。

なので、言うだけでも、聞くだけでもコミュニケーションとは言えません。
また、相手を否定するだけも、コミュニケーションとは言えません。

要は、相手の考えなどの内容を、
合意する(分かち合う)ためのすり合わせを行う
すべての行為がコミュニケーションになります。

合意する(分かち合う)のが最大の目的なのですが、
相手の考えなどに合意できない場合はどうすれば良いでしょう?

その場合、自分の持っている考えと相手の持っている考えを比較し、
その差を埋める作業が必要になります。
それには好きや嫌いの感情ではなく、理論的な差異を考える必要があり、
つまり、心理学などの技術的な考え方を基本とする人間観察と、
自分と言う個の在り方を客観的に見る必要が生じます。

元々、日本人は歴史的に見て、言語化コミュニケーションよりも、
非言語化コミュニケーションを得意として来ていて、
その為に、言語化について不慣れなことも多々あります。

その具体例として、
職人の見て覚えると言う技術の伝承や、
飲みにケーションやリクレーションなどの食事会など、
部活での尻バット、腕立て伏せなどによる共同意識など、
これらもすべて非言語化コミュニケーションの一部です。

数十年前の日本であればこの様な非言語化コミュニケーションも
許されてきたのですが、世界との関係で日本には無かった価値観を
急速に取り入れてきた現在において、なぜか言語化コミュニケーションは
悪い意味だけが強調され、コミュニケーションではないディベートが
正しいと思われる世界でも珍しい国になってきています。

日本では多くの方が、ディベートはコミュニケーションと
考えるようですが、ディベートとコミュニケーションは目的が違います。

コミュニケーションの目的は前出の様に
相手の考えなどの内容を、合意する(分かち合う) 
ですが、ディベートの目的は
相手の考えを打ち負かす、または、相手を説得し自分の考えに変えること
が目的になります。

この様に、コミュニケーションの目的を理解していれば、
相手の考えをまずは理解しようと努力をして、自分の考えとの差を
きちんと判断し、感情では無く理論的に差を埋める努力をするでしょう。

そうすると無駄な軋轢も生まれませんし、
相手の考えを認めるところがスタート地点になりますので、
言いっぱなしなど、相手の考えを認めないことはあり得ないのです。

また、相手の考えを貶める必要も、
相手の考えを否定したり、改変させる必要もないのです。

コミュニケーションとは合意が目的ですよ。

そう考えた場合、
あなたの行っている会話やコメントなどはコミュニケーションですか?

もう一度、考えてみましょう。

人は一人で立って歩ける動物です。
少しでも、気が付くことが出来たら、
前を向いて歩き始めれたら、これに勝るシアワセはありません。

また、後日、コミュニケーションのスキル(技術)についても
記事にしたいと思います。

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