給食のない中学校で、私が見てきたもの…。
1.「私の出身地は、中学の給食がなかった」と言ったらドン引きされた話…
今日のnoteは、私の育った地元(今住んでいるところとは違う)の話です。この間、たまたま私の中学時代をほかの視点から見ることができたので、そんなことを書こうと思います。
※今日のnoteは、「給食のない地域は荒れる」とか、そんな話をしたいわけではありません。よろしくお願いします。
私は、育った地元をいまだに憎んでいます。私は父が転勤族だったので、転校も何回かしていますが、あそこがダントツで嫌い…。
いじめにも遭いました。私がそんな自分をそこまで否定せずに済んだのは(トラウマは残り、対人恐怖には10年以上苦しみました)、適応できた地域があったからだと思います。
でも、そんないじめっ子の世界も哀れだなあと(いまだに怒りはあるけど)思えるようにはなりました。今日はそのきっかけについて書くことにします。
さて、私の出身地の中学は給食がありませんでした。
(現在は、何があったのか完全給食に移行してるらしい)
ただ全ての中学になかったわけではなく、ある学校もありました。でもその中学は、いわゆる「地元一番の進学校に、いちばん沢山合格する中学」でした。
子を持つ親の立場になって思うのは、「そうじゃない中学にこそ、給食は必要だったのではないか」ということです。その状態を何十年も放置してきた、地元の為政者にも教育委員会、声を上げなかった地元の有力者たちのことを私は心底軽蔑します。
(そもそも、少数の学校だけ給食を用意するというコスパの悪すぎることを続けること自体、私には理解できないです…)
※給食の話とはずれますが…。
→私が育った地域の「教育関係の偉い人」は、子供たちの待遇に差をつけることに対してすごく鈍感だったと思うのです…。給食がらみで思い出してしまった(最近まで完全に忘れていた)けど、高校の修学旅行(公立)も理系の子たちの宿はきれいで文系の子たちの宿はボロいとかあったなあとか。高校生ながらに、これ理系はボロって選択肢は最初からなかっただろうなと察する文系…あの高校、確かに独特の文系蔑視な空気は強かったです。
私が通ったマンモス中学でも全員同じ旅館に泊まれていたので、やれないことはなかったはず…。
私がこんなことを急に思い出したのは、今の地元の友人に、
「そういえば、こっちって中学給食あるの?」と聞いたことでした。たまたまその友人と、高校のお弁当大変そうだよねーみたいな話をしたところからそんな話になりました。
友人は「え、あるよ。中学の給食ないところなんてあるの?」とドン引きしていました。あるのが当たり前な環境で育ったら、ドン引きなことってあるよね…。
2.昼食をときどき食べないヤツ、いたんだよね…
そして私が思い出したのは、ときどき昼食を食べない男子生徒がいたことでした。
「俺、今日金ねーんだわ」とか明るく言いながら。
当時の私は(今も)そいつが大嫌いだったので、
「どうせ、親にもらったお弁当代もあそびで使ったんだろう」と思っていました。
でもいい歳になった自分が思うのは、思春期男子が「食べなくて平気」なんてありえないよなと。いくら遊びたくても、ご飯我慢してまで遊ばないよかと…。
今の地元の友人にそんな話をしていたら、
「じゃあ、みんなから少しずつもらってって感じ?」とさりげなく質問が…。
私は「たぶん、そうだったんじゃないかな…」と返しましたが、いや待てよ。そんな光景なかったなと。
私はそいつの仲間からいじめられてたから、そいつを助ける筋合いはぶっちゃけないですよ。でも、いつもつるんでる、そいつの友だちは?
えええええ…。
友達がおなか空かせてても平気なの?
今更、今関わりのない中学時代の同級生たちにドン引き…。
3.こうして、あの人たちは助け合うことを知らずに生きていく…
そして、ふと私の中で出てきた言葉は、
「何これ?あいつら『地獄のスプーン』じゃん…」
というものでした。
「地獄のスプーン」は、天国のスプーン・地獄のスプーンというたとえ話のようなものからきています。私が最初に聞いたのは、子どもの時に通った(連れて行かれた)教会でしたが、キリスト教独自の話かどうかはわかりません。
どんな話かというと、
・天国も地獄も宴会をしている
・天国でも地獄でも、一人一人はながーいスプーンを持っていて、そのスプーンだと自分の口に食べ物を運ぶことはできない
・地獄では、全員が強引に自分で食べようとして、スプーンが周りにあたったりトラブルばかりで争いが起きている
・天国では、長いスプーンを使ってお互いに食べさせあって、和やかに食事をしている
これが天国と地獄の違いですよみたいな話です。
私はこの話を長らく「だから何だって言うんだ」と思ってきましたが、助けあいみたいなのがない世界って確かに殺伐としてるなあと。
中学の同級生は、私に対しても悪意を向けてくる人が多かったですが、その人たちの仲間内に思いやりがあったかというと、そうでもないんだなあと今更気づいています。
おそらく彼ら彼女らがのちの人生で、そうしたことに気づく可能性は果てしなく低いだろうなと…ずっとああいう人間関係で、あの人たちは生きていくんだなあと。
いじめの加害者はその後もたのしく生きていくのでしょうが、彼らのすごすコミュニティが居心地のいいものかというとそうでもないのだろうなと思います。きっと「実は居心地が悪い」と気づくこともなく生きていくのね。ふうん…。
とくに溜飲が下がるわけではないけど、あとになって気づくこともあるんだなあと。今日はそんな話を書いてみました。
