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定年退職の父親と仕事人生について


父は、仕事が好きではなかったと思う。通勤時間は1時間程度。17時15分には仕事を終え、18時過ぎには食卓に座っていた。同僚との飲み会も年に数回。ほぼ仕事と家の往復だけの毎日だった。

帰宅すると、スーツを脱いで靴下を脱ぐ。部屋着に着替えて、ウイスキーと氷と水を用意し、野球中継をつける。子どもだった私に、テレビのチャンネル権はなかった。決まった時間に終わらず、時に22時を超える延長戦。あの頃、私は父が夢中で見ている野球が、とても嫌いだった。

父から仕事の話を聞いたことは一度もない。家で仕事をする姿を見たのも数えるほどだ。仕事が好きではないのだろうということは、子供心にも察しがついた。

それでも、生活のため、そして家族のために働き続けてくれたことに、今は心から感謝している。田舎から出てきた何も持たない一人の男が、子ども二人を大学まで行かせるためにどれほどの苦労を重ねたか。帰宅した父はいつも疲れ果て、無言でテレビをぼーっと眺めていた。あの時代の父親像とは、多くを語らないものだったのかもしれない。

定年は60歳だった。18歳で就職してから約42年間、一つの会社に勤め上げた。正に終身雇用。退職金で住宅ローンを完済したのは、ちょうど私が30歳になった時だった。
その後2年ほど、父は嘱託社員として働いた。しかし、新しい勤務先は遠方で、60歳を過ぎた体には過酷な環境だったようだ。42年間会社に貢献してきた父にとって、その扱いは耐え難いものだったのかもしれない。

「もう、いいかな」

ある日、父は短くそう言って、予定より早く退職を決めた。その時の、どこか憑き物が落ちたような、でも少し寂しげな父の横顔を今でも覚えている。それから父は、今も続く穏やかな年金生活に入った。

父の職業人生は楽しかったのだろうか。父はまだ健在だ。どこかでチャンスがあれば聞いてみたいと思うこともあるが、これまでそんな話をしたことも、されたこともない。結局、聞けずじまいのままだ。ただ、父の仕事に対する向き合い方は、間違いなく私の生き方に影響を与えている。

一つ目に、私は「仕事が楽しい人生」にしたい。
親戚一同が公務員や大手企業といった安定した職業に就く中で、私一人だけがワクワクを求める働き方を選んだ。それは、仕事を楽しむ父の背中を見たことがなかったからこそ、「自分がそれを表現してみたい」という、ささやかな反抗であり、願いだったのかもしれない。私は定年という区切りを持たず、生涯現役で働き続けられる人生を歩みたいと心から思っている。

二つ目に、「家族を守り、子どもには好きなことをやらせる環境」を整えたい。自分のやりたいことだけを追うのは、独りよがりだ。人は社会的な生き物であり、まずは半径7m以内の人々を幸せにする責任がある。そしてその中心にある、半径1m以内の家族を幸せにする努力は、絶対に成し遂げなければならない。それは、言葉ではなく父の背中から学んだことだ。父は自分の人生を静かに捧げることで、私たちの未来を整えてくれたのだ。

結局のところ、父がどんな思いで仕事に向き合っていたのか、真実はわからない。けれど、親の生き方は、知らず知らずのうちに子どもに受け継がれていく。10代や20代では気づけなかったその重みが、40歳を迎え、自分も結婚し、子育てをする同じ境遇に立って初めて、「なんとなくわかってくる」のだ。

父から受け取ったこのバトンを、私は大切に、次の世代へと繋いでいきたい。

自分の仕事人生も「終わりから逆算」して決めるようになりました。いまの働き方は、その逆算の途中経過です。


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