父なき世を生きる。母なき世を生きる。その時差別はなくなり、「我以外皆我師」の世界が開ける。
要するに、「父なるもの」への #幻想 がまだ壊れ切っていない気がする。
— 阿世賀浩一郎@サガン鳥栖サポーター@「みいちゃんと山田さん」アニメ化強力推進派大幹部 (@kasega1960) September 13, 2026
どこかに、すべてを指導し、規範になってくれる「🎵後をついていけば何とかなる🎵」
(#中島みゆき「#時刻表」)#権威 というものを待望する気持ちは残っている。…
要するに、「父なるもの」への #幻想 がまだ壊れ切っていない気がする。
どこかに、
すべてを指導し、
規範になってくれる
「🎵後をついていけば何とかなる🎵」
(#中島みゆき「#時刻表」)
#権威 というものを待望する気持ちは残っている。
これは大抵のフェミニストですらそうなのではないか?
(父親への恨みとルサンチマンに呪縛されているうちは。
理想化される対象は、#ユング の言う #アニムス憑依 的女性になるかもしれないが)
ほんとうは、
不完全な存在同士しかいない、
それを互いに補い合う(補完する)しかない、
と悟ることでは?
その時「我以外すべて我が師」となり、
#差別 する気になる相手は消える。
結局、
救済してくれる権威(救世主、あるいは英雄)の待望って、
その権威に服従する「選民」は、
その見返りとして、
特別待遇
受けて当然よね!
という思いを生み出すと思うわけよ。
それ以外の「愚かな」奴らは差別されて当然!
……というね。
もちろん、母性も幻想。
こちらの気持ちを完璧に汲んでくれる相手などいない。
いるのは、「女」だけ。
そういうものだ、と思えば、むしろ気は楽になりすらしまいか?
(自分が相手に母性を求めず、自分に父性を期待させないコツさえ掴めば、「女」とのつきあいはスリリングな駆け引きになると思うけど)
「エヴァンゲリオン」が描いた世界も、結局はそうだった気もする。
物語の始まる前に姿を消していた、唯という「フィクション」を除き。
