「よか、よか」と頷いてもらえる世界が遠い
長崎県は、47都道府県の中で一番『島』の数が多いのだそうだ。
その『島』のひとつに、私の祖父母は住んでいた。
小学生くらいまでは、父母に連れられて、夏休みには島に行っていた。
祖父が釣り上げたばかりの魚で作られた刺身。
両手に収まらない大きさの、祖母が作ったお饅頭。
近所に住む大叔母は、苺シロップたっぷりのかき氷を御馳走してくれた。
「先祖に連れて行かれるから」と、送り盆のタイミングには海に行かないよう、きつく言いつけられたりもした。
その海に沈む夕陽は、綺麗だった。
島に行かなくなってからも、電話で喋っていたと思う。
「元気かぁ?」ときかれ、元気だよ、と返すと
「よか、よか」と頷いてくれた。
生前の祖母に最後に会えたのは、結婚の報告に行った時。
東京生まれの主人は、祖母の喋る方言が分からなくて、目を白黒させていたっけ。
島から、長崎県から出たことがない祖父母や大叔母達は、『長崎弁』を喋っていた。
私自身は全く喋らないのに、皆とっくに彼岸に渡ってしまったのに、あちらの言葉やイントネーションは理解できる。今もだ。
だから、この時期に新聞やネット記事を読んでいると、彼らの声が頭の中で再生されることがある。
長崎の被爆者たちの証言を読む時だ。
「知ってほしか」
私の祖父母たちとは全く関係ない方々のインタビューでも、私の脳内では祖父母たちの声で再生される。
だから、苦しくなる。
大学で親しくしてくれた友人に、広島出身の人がいた。二人。
一人は、とても感情豊かで、笑ったり泣いたり忙しい人。
芝居がかった話し方で、周りの私たちの気持ちも元気にしてくれる人だったんだけど。
ある年の8月6日、今日は何の日?という話題に。
「鬼畜米英が我が故郷を焼き尽くした日」
即答だった。
ああ、怒ってるんだな、と。冗談の話題にしちゃいけないんだな、と。
私は泣きたくなったのを覚えてる。
もう一人は、穏やかで、いつもニコニコしてた人。
きっかけは忘れたけれど。広島には行ったことないんだよね、原爆資料館は考えるだけで怖くて、と話したら。
「なんで!?来てよ!!」と、彼らしくない剣幕で睨まれた。
「中学の授業ではだしのゲンを観たんだけど、気持ち悪くて倒れちゃったんだよ」
投下直後のシーン。
肌がただれ、皮膚がずる剥けて……
あの痛みを想像すると…… 想像を絶するって、ああいうのを言うんだよ。
と言い訳したら。
「それじゃあ仕方ないね」と苦笑いされた。
「知ってほしか」
あんなことが我が身に起こるかも、と思えば。
他の人にも「やりたい」とは思わないでしょう?
こんな単純な理由だけど、
想像してくれない人が多過ぎるから、
気付いてもらえるまで、考えてもらえるまで、
声を上げ続けるしかないのだ。
ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ。
No more war.
彼岸の皆が「よかよ」と笑ってくれる世界になりますように。
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