「私」という人間を保つ、為に生きてるわけじゃない
「私」なるものを毎瞬毎瞬、
形づくりながら生きる。
疲れちゃうよね。
昨日までの考え方をしていた自分、
今情報を知って新たな考えが生まれた自分、
夢に向かって生きている自分、
そういった感覚ではないのだ。
ドラえもんの日もあれば、
のび太、
しずかちゃん、
スネ夫、ジャイアン、
みたいな自分の日もある☆
自らを分けるもの、この世界を分けるもの、
それが今の「私」みたいな。
それは物事の定義をするのも同じで、
「○○は 何とか だから、、」
その “何とか” という定義に基づき、
推論し、未来をイメージする。
その “何とか” の定義なんて、
変わる。
それでいいのだ。
とすると、
全ての関連性も、
私は何者なのか、
何のために生きているのか、
など明白な答えはない。
求めるだけ、堂々巡りをするような。
釈迦の手のひらの周りをグルグル回っているような。
江戸時代、大福やまんじゅうを食べていた、
という動画をみた。
現代を生きる私も、薄皮饅頭(黒糖)が好きだ。
今この瞬間、食べていないけど、好きなのだ。
でも。それは、あるとき、食べた薄皮饅頭(黒糖)が好きだと感じただけで、
また食べても好きなのか分からないし、
名前が変更されたまんじゅうを出されたら、好きじゃなくなるのか?
分からない。
普遍的なモノも、そうでないものも、
色々だ。
そこに思うことも色々だ。
さて。
「私」は、他の色を好きになるのだろうか?
LOVE!
スピリットメッセンジャー
Chiyoko
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ありがとうございます😊💗💗💗