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夜の魔法、朝の請求書。

「羽目を外す」という言葉の語源。

それは馬の話だ。

馬には、口の中に「羽目(はめ)」と呼ばれる金具が装着される。手綱を通して馬を制御するための道具だ。その羽目を外すと、馬は自由になる。どこへでも走れる。止まれなくなる。

きすけは、深夜一時のコンビニの前でそのことを知った。

スマートフォンの画面を、酔った目で見つめながら。


きすけが羽目を外した夜のこと

その日のきすけは、本当によく頑張った。

正確には、頑張りすぎた、のだけれど。

朝七時から仕事を始めて、昼ご飯を食べる時間もなくて、夕方には取引先からのクレームメールに謝罪文を三回書き直して、夜には部下のフォローをして、気がついたら終電の時間だった。電車の中では立ったまま眠りそうになって、それでもなんとか目を開けていた。

渋谷の改札を出たとき、きすけは思った。

今日くらい、いいか。

居酒屋の看板が光っていた。安い焼き鳥と、冷たいビール。隣に座っていたサラリーマンが笑っていた。理由はわからないけれど、それだけでなんだか救われた気がした。

一杯目は、するっと消えた。

二杯目は、もう少しゆっくり飲んだ。

三杯目の頃には、部長の嫌味がそんなに重要なことじゃない気がしてきた。四杯目の頃には、昼間の謝罪メールのことを「まあ、あれはしょうがなかった」と思えるようになっていた。

という不思議なことが起きていた。



実はこれ、不思議でもなんでもない。

アルコールが体に入ると、脳の前頭前皮質という部分の働きが少しだけ鈍くなる。前頭前皮質というのは、理性の場所だ。「こうしなければいけない」「こう見られたい」「失敗してはいけない」という自己抑制を司っている部分。

その締め付けが、ほんの少しゆるむ。

だから人は、飲んだ夜に本音を話してしまう。普段言えない「ありがとう」を言ってしまう。初対面の人と妙に打ち解けてしまう。涙が出てしまう。

それは弱さじゃない。

正確には、弱さじゃない、のだけれど。

それは、ずっと張り続けていた弦が少しだけ緩んだ音かもしれない。


きすけは、コンビニのホットスナックコーナーの前で立ち止まった。

フランクフルトが、くるくると回っている。

深夜一時に、一人で、フランクフルトを見つめている黄色いぬいぐるみ。客観的に見れば、なかなかの光景だ。でも、きすけは気にしなかった。というか、気にする余裕がなかった。ただ、ぼんやりと光の中に立って、くるくると回るフランクフルトを見ていた。

それが、なんだかよかった。

何も考えなくていい時間が。



翌朝、きすけは後悔した。

グループLINEに送った絵文字の多さ。「今日も頑張ろう!!!」というやたら元気なメッセージ(送信時刻:深夜一時十七分)。財布の中に領収書もないのに減っているお金。コンビニの袋の中の、買った記憶のない生姜焼き弁当。

ああ。

きすけは、布団の中で目を閉じた。

恥ずかしい、という感情は、正直なものだ。「昨夜の自分は少し羽目を外した」という認識が、ちゃんとある証拠だから。羽目を外したことを恥ずかしいと思えるということは、羽目がまだ戻っているということだ。

それは、悪いことじゃない。


「羽目を外す」の語源に戻ろう。

馬の羽目を外すのは、そのまま野に放つためじゃない。一日中走り続けた馬を、少しの間だけ自由にしてあげるためだ。羽目を外した馬は、思い切り走って、草を食べて、仲間と戯れる。そして次の日、また羽目をはめられて、また走ることができる。

ずっと羽目をはめ続けた馬は、壊れる。

人間も、きっと同じだ。


頑張りすぎる人ほど、上手に羽目を外せない。

きすけの周りにも、そういう人がたくさんいる。休日も仕事のメールが気になって、友人との食事でもスマートフォンを手放せなくて、旅行に行っても「こんなことしていていいのか」という罪悪感が抜けない人たち。

彼らは、羽目を外すことを「甘え」だと思っている。

でも本当は逆だ。

適切なタイミングで羽目を外せる人は、それだけ長く走り続けられる。自分のメンテナンスができる人は、それだけ大きな仕事を引き受けられる。深夜の居酒屋で少し笑えた夜は、翌週の月曜日を少しだけ軽くしてくれる。

それは逃げじゃない。

正確には、逃げじゃない、のだけれど。

それは、明日のための準備かもしれない。


きすけは、布団から出て、水を飲んだ。

窓の外は、秋の朝だった。空気が少しだけ冷たくて、遠くでカラスが鳴いていた。コンビニで買った生姜焼き弁当を、電子レンジで温めた。チンという音がして、湯気が立った。

おいしかった。

昨日の謝罪メールのことは、まだ少し気になっていた。部長の嫌味のことも、まだ少し引きずっていた。でも昨夜より、少しだけ軽かった。

全部解決したわけじゃない。

でも、少しだけ息ができた。

それで、十分だと思った。


誰かが言っていた。

悲しみは時間が解決するんじゃなくて、悲しむ時間が解決するのだと。

疲れも、たぶん同じだ。

疲れは休むことで解決するんじゃなくて、休む時間が解決するのだ。そしてその「休む時間」には、ちゃんとした形が必要なんじゃなくて、ただそこにいることが必要なのかもしれない。

深夜の居酒屋で、知らない人たちと笑っている時間も。 コンビニの前で、フランクフルトをぼんやり眺めている時間も。 翌朝、少し恥ずかしくなりながら水を飲む時間も。

全部ひっくるめて、羽目を外す、ということかもしれない。



きすけは今日も、また頑張る。

たぶん頑張りすぎる。

でもそれでいい。そういうきすけだから。ただ、また疲れた夜には、少しだけ羽目を外す。そのくらいの許可を、自分に出せるようになった気がする。

「まあ今日くらいいいか」という一文が、呪文みたいに使えれば、もう少し長く走り続けられる。

馬だって、たまには草原を走る。

ずっと締め付けた心は壊れる。少しだけ羽目を外した夜は、明日を守ってくれる。

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