言葉にできない、疲れの日には。
深夜のオリジン弁当で見つけた、小さな救い。
時計の針が深夜十二時を過ぎたあたりで、きすけは街に出た。
正確には、きすけはぬいぐるみなのだけれど、夜になると静かに歩き出す。丸い頭と、小さな耳と、ちょっとだけ出た口。古びた黄色の毛並みには、誰かの思い出がしみこんでいる。首元の緑のビーズのネックレスだけが、夜の光にひっそりと光っていた。
その夜のきすけは、正直なところ、かなり疲れていた。
なにに疲れたのかは、うまく言えない。言葉にできないような種類の疲れは、何者かがいたずらに割り振ったかのように、突然にやってくるときがある。
その重さを拾いながら歩いていると、気がつくとオリジン弁当の前に立っていた。

自動ドアが開いて、温かい空気が流れてきた。
揚げ物の匂いと、ほんのり甘いご飯の匂い。蛍光灯の白い光が、深夜の疲れた目には少しまぶしい。それでもきすけは中に入った。
夜の光に集まる虫のように、疲れた人々も明るさを求める時がある。
こういう場所には、理由なく入っていい気がする。深夜のコンビニとか、深夜のファミレスとか、深夜のオリジン弁当とか。誰も、なぜここにいるのかを聞かない。
きすけはメニューの前で立ち止まった。
タルタル特のり弁当。
それを見た瞬間、なんとなく決まった。今夜はこれだ、と思った。
おなかが決めた訳でも、脳が決めた訳でもない。心がそれを決めた。
深夜の選択というのは、だいたいそうやって決まる。
「タルタル特のり弁当、ひとつお願いします」
店員の男性は、眠そうな目をしていたけれど、「少々お待ちください」とちゃんと言った。深夜に働いている人間の、静かなプロフェッショナリズムがそこにあった。きすけはそれに少し、胸を打たれた。
待つ時間というのは、昼間と深夜では質が違う。
昼間の待ち時間は、なんとなく焦る。次のことを考えたり、スマホを見たり、時間を潰そうとする。でも深夜の待ち時間は、ただそこにある。潰さなくていい。東京の深夜十二時には、急ぐべき理由がどこにもない。
むしろ、急ぐべきでもないのかもしれない。
きすけはレジの横に立って、ぼんやりと店内を見渡した。
おでんの鍋がぐつぐつと湯気を立てていた。ちくわとこんにゃくと、大根が仲良く並んでいる。誰も買わないかもしれないのに、それでも温め続けている。なんとなく、その健気さが好きだと思った。
外では、たまに車が通った。深夜の車は音が違う。静かな街の中で、エンジン音だけが遠くからやってきて、遠くへ消えていく。どこかに向かっている人がいる。どこかから帰ってきた人もいる。この街は、眠らない。

「お待たせしました」
白い袋に入ったタルタル特のり弁当を受け取ったとき、きすけの手に温度が伝わってきた。
あたたかかった。
それだけのことなのに、なぜか少し泣きそうになった。疲れているときというのは、温かいものに触れると、余計なものが緩んでしまう。弁当の重みが、ちょうどいい重さだった。何かをちゃんと持っている、という感覚。
外に出ると、夜風が頬に触れた。六月の夜の風は、少しだけ湿っていて、少しだけ優しかった。きすけは近くのガードレールに腰を下ろして、袋を膝の上に乗せた。弁当箱を開けると、白いご飯の上に黒いのりが一面に広がっていて、その上に白身魚と唐揚げ、エビフライが温かいご飯の上に気持ちよさそうに座っていた。
端に遠慮がちに座って見える、ちくわの磯部揚げときんぴらごぼうはのり弁以外では、あまり食べないけれど、
そこに「必要なもの」としてきちんと存在していた。
きちんと存在していたんだ。
深夜十二時ののり弁に、きすけは自分自身を映した。
最初のひと口を食べたとき、きすけは少しだけ笑った。
タルタルソースの酸味と、のりの風味と、白いご飯の甘さが、口の中で不思議とまとまっていた。誰かが考えて、誰かが作って、誰かが揚げて、誰かが詰めた。この弁当に関わった全員のことを、なんとなく想像した。それはちょっと、温かい気持ちだった。
東京タワーは見えなかったけれど、遠くのビルの明かりが夜空に滲んでいた。どこかの会社の窓に、まだ灯りがついている。あの部屋にも、遅くまで頑張っている誰かがいるのかもしれない。
焦らなくていいのかもしれない。
ときすけは思った。
今夜はここで、これを食べていればいい。明日のことは明日でいい。昨日のことはもう終わった。深夜十二時のオリジン弁当の前では、それだけで十分だった。
弁当を食べ終わったころ、少し肌寒くなっていたが、気にならなかった。
まだ夜だけれど、夜の終わりが、どこかで準備を始めている。きすけは立ち上がって、空の弁当箱をゴミ箱に入れた。
少し、軽くなった気がした。
お腹が満たされたからかもしれない。夜風を吸ったからかもしれない。あたたかいものを手で持ったからかもしれない。理由はわからないけれど、さっきより確かに、足が前に出る気がした。
東京の夜は今日も誰かを疲れさせて、それでも誰かを一人にはしなかった。
どんなに苦しい日でも、小さな幸せが全部をひっくり返す夜がある。
タルタル特のり弁当くらいの大きさで。
いいなと思ったら応援しよう!
ありがとうございます!頂いたチップは超新星ジータのマスコットキャラクター「きすけ」のお夜食代にさせて頂きます!これからも応援して頂ければと思います!
