深夜の洗濯機とポトスとカモミールティー。
深夜の洗濯機が止まるまで
きすけは、洗濯機の「ピー」という音で目が覚めた。
時計を見ると、午前1時17分。
ああ、そうか。まわしてたんだった。
ソファから体を起こす。古い黄色い体は、なんとなくあちこちが重かった。緑のビーズネックレスが、胸のあたりでかすかに揺れる。
今日は、長い一日だった。 というか最近、長くない一日というものが、存在しない気がする。

洗濯物をベランダに持っていく。
夜中の1時過ぎのベランダは、思っていたよりずっと悪くなかった。
東京の夜景が、ぼんやりとそこにある。遠くにマンションの灯り。高速道路のオレンジ色の光の帯。どこかのコンビニの白い輝き。
みんなそれぞれ、なにかをしてるんだな。
きすけは、濡れたTシャツをハンガーにかけながら、そんなことを思った。
ベランダの隅には、ポトスが一鉢置いてある。ちょっとだけ窓の灯りを受けて、葉っぱがひとつ、ひとつ、光っていた。水やりを三日さぼってしまったやつだ。それでも死んでいない。
えらいな、おまえ。
声には出さなかったけど、心の中でそう言った。

タオルを広げながら、今日のことを思い返す。
うまく言えなかった言葉のこと。 もう少しうまくできたかもしれないこと。 笑顔を作り続けた、午後3時ごろのこと。
誰かを傷つけたわけじゃない。大失敗をしたわけでもない。ただ、なんとなく、消耗した。そういう日が最近多い。
感情というのは、使えば減るらしい。
補充の仕方が、よくわからないでいる。
シャツをハンガーにかけた拍子に、緑のビーズネックレスが揺れて、夜風に吹かれた。
少し冷たい風だった。 でも、悪くはなかった。
東京の夜は音がある。遠くの車の音、どこかの換気扇の音、たまに電車の音。全部混ざって、なんとなく「夜だ」という感じになっている。
きすけは洗濯物をひとつかけるたびに、少しだけ息を吐いた。
意識してやっていたわけじゃない。自然にそうなっていた。
ああ、深呼吸みたいなものかもしれない。これ。
洗濯物を全部干し終わると、きすけはそのままベランダに立ち続けた。
急いで部屋に戻る理由も、特になかった。

夜景を眺めながら、ぼんやりと考える。
小さな疲れの積み重ねと、小さな幸せの摂取でバランスを取っているのかもしれない。
今夜で言えば、濡れた服がきちんと干せたこと。夜風が冷たかったこと。ポトスがまだ生きていたこと。東京の夜景が、予想より綺麗だったこと。
それくらいのことで、なんとかなっている。
なんとかなっているのかどうか、正直まだわからないけれど、少なくとも今夜はそういうことにしておこうと思った。
部屋に戻ると、ポットでお湯を沸かした。
カモミールティーのティーバッグが一個だけ残っていた。
ラッキー。
マグカップに注いで、ソファに戻る。
テレビはつけなかった。スマホも、もう見なかった。
ただ、温かいものを両手で持って、夜の部屋の中にいた。
きすけの丸い目が、湯気をぼんやり眺めていた。大きな刺繍の目には、涙袋もないし、まばたきもできないけれど、なんとなく今夜は、それでよかった。
まあ今日くらいいいか。
深夜のベランダで洗濯物を干したこと。東京の夜景がきれいだったこと。明日のことは、明日考えること。
カモミールの香りが、少しだけ部屋に広がった。
遠くでまた、電車の音がした。
きすけは、それを聞きながら、目を細めた。
ぬいぐるみには、まぶたがない。でも、なんとなく、そういう顔ができる気がした。夜がそういう顔にさせてくれる、ということが、この街には時々ある。
午前1時42分。
東京のどこかで、今夜も誰かが洗濯物を干している。
それだけで、少し、救われる気がした。
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