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東京・奥多摩はいつもと違う夢を見せる。

きすけは、奥多摩で別世界に行った。


きすけは少し古ぼけた、
黄色い熊のぬいぐるみだ。

人間の気持ちや考え、行動が気になって、
真似してみる熊のぬいぐるみだ。


平日の午前中、きすけは電車に乗った。


新宿から青梅線に乗り換えて、
奥多摩駅まで約二時間。
これだけできすけにとっては、
大冒険だ。

ザックを背負った古い黄色いぬいぐるみが、
ロングシートに座っている。


乗客が少しずつ減っていった。

立川を過ぎたあたりから、
電車の窓の外の風景が変わっていった。

ビルが消えて、
普段見ることのない、
山の輪郭、深い緑に窓の外が変わり出した。

線路は山を縫うように蛇行し、
いつも乗っている電車より心なしかゆっくりだった。

緑の山々に見とれていると奥多摩駅に着いていた。
二時間も電車に乗っていたのか、
不思議になるくらい時間が過ぎていった。


駅を出ると、
都内と違い、見上げるような高い建物もなく、
空がいつもよりも居心地が良さそうに見えた。

ふと、きすけは気づいた。
空気が、違った。
きすけは深く深呼吸をした。

長生きというのは、
「長く息をする」
という意味もあるらしい。

都会の人たちは、慌ただしさの中で
人間本来の生き方も忘れてしまっているのかもしれない。
きすけは最後に深呼吸をしたのを
思い出そうとしたが、思い出せなかった。

東京なのに、
東京じゃない匂いがした。

川の音が、
遠くから聞こえた。



氷川キャンプ場は、
駅から歩いて数分だった。

受付を済ませて、
サイトに案内された。

すぐそこに、多摩川があった。

太陽が1番高い位置で光を放ち、
それに反射して川が眩しく輝いて見えた。

そしてその川の音は止むことなく、
ずっと、ずっと聞こえていた。


きすけはわくわくしながらNEMOのテントを張った。

少し値段は高かったが、
気に入ったものが欲しかったし、
きすけはどちらかと言えば、
ひとつのものを長く大切に使うタイプだった。

慣れない手つきで、
ポールを通して、
テントの外幕をかけて、
ペグを打った。

立てること自体はとても簡単だったが、
少し弛んで張られたテントは思っていた形とは違った。

でも、まあいいか、と思った。

キャンプ場のテントは、
少し弛んでいても、
誰も何も言わない。

その不恰好に弛んだテントを、
何故か、
きすけは好感をもった。


テントに苦戦していると夕間暮れも近づきだした。
昼と夜の間を普段の生活でこんなに感じることはなかった。

きすけは焚き火を始めた。

着火剤を使った。それでも一回ではつかなかった。
素人丸出しだけど恥ずかしくなかった。

平日のキャンプ場には人は少ないし、
それ以上にひとりで奥多摩の山奥に来て、
テントを張っている現状に、
少し興奮していた。

火がついた。

小さな炎が、
少しずつ大きくなった。
少しづつ、少しづつ、煙を大きくして、
火が大きくなっていった。

きすけは、それをただ見ていた。



その頃には奥多摩は別人になったように、
辺りを真っ暗にさせていた。

焚き火というのは、
ずっと見ていられるものらしい。

何時間でも。

炎の形が、
一秒も同じじゃない。

ゆらゆらして、
大きくなって、
小さくなって、
また大きくなる。

まるで火の妖精のダンスだ。


ずっと見ていると、
時間の感覚が変わった。

さっきまで頭の中にあった
仕事のことが、
少しずつ遠くなっていった。

完全には消えなかった。

でも、遠くなった。


缶ビールを開けた。

プシュ、という音が、
川の音に混じり、一口飲んだ。

いつもの缶ビールなのに、
いつもよりうまかった。

きすけがキャンプを始めようとした理由は、
いつもなんとなく飲んでるお酒を、
より楽しみたいと思ったからだ。

はるばる奥多摩までやってきて、
テントを張って、火をおこし、
缶ビールを開ける。
それはまるでお酒をよりおいしく飲むための儀式のようだった。

好きなものをより楽しむ。

それはとても贅沢かもしれない。
ときすけは思った。


隣のサイトで、
家族連れが笑っていた。

子どもが何か言って、父親が笑った。

その声が、
川の音と焚き火の音に混じって、
遠くから聞こえてきた。

うるさくなかった。

むしろ、少し温かかった。

星が出ていた。

きすけは、
いつもは空のことなんか気にしていないのに。
と思った。

都心では見えないものが、
ここではちゃんと見えた。

数えようとしたけど、多すぎてやめた。

天の川が、薄く見えたような気がした。

本物を見たのは、いつぶりだろう。

きすけは思い出せなかった。

焚き火を見ながら、最近のことを少し考えた。

うまくいかなかったこと。
言えなかったこと。
疲れた理由。

考えたけど、答えは出なかった。

出ないまま、炎を見ていた。

川の音が、ずっとしていた。

悩みは消えないけど、
少し小さくなる夜はある。
川の音がそれを少し下流に流してくれるようだった。


この夜が、そういう夜だった。

解決したわけじゃない。

明日になれば、また同じ場所に戻る。

でも今夜だけは、
悩みが焚き火の向こう側にあって、
川の流れの向こう側に流れていった。


薪が一本、崩れた。

火の粉が、夜空に散った。

きすけは、それを目で追った。

すぐに消えた。

綺麗だった。

もう一本、薪をくべた。

炎が、また大きくなった。

風が少し吹いて、木が揺れた。

テントが、少し揺れた。

やっぱり少し弛んで不格好だった。

まあいいか。



時間はわからないが深夜になった。

隣の家族は、もうテントに入っていた。

キャンプ場が、静かになっていた。

川の音と虫の鳴き声だけが残った。

きすけは、
焚き火が小さくなるまで、ずっとそこにいた。

何もしなかった。

いつもならしている時間に、
スマホも見なかった。

音楽もかけなかった。

ただ、火と川と地球と、
一緒にいた。

こういう時間が、
たぶん必要だったんだと思う。

何かを得るためじゃなく、
何かを解決するためでもなく、

遠回りかもしれないけど、
ただ、自分が今ここにいるということを、
確認するだけの時間。

東京にいると、それを忘れる。

忘れていることにも、気づかなくなる。

炎が、小さくなった。

最後の薪が、
赤くなって、
少しずつ白くなっていった。

きすけは、それを最後まで見ていた。


テントに入り、シュラフに潜った。

川の音が、テントの外で続いていた。

目を閉じた。

まあ今日くらいいいか。

川の音を聞きながら、きすけは眠った。

深く息を吸えたからか、
久しぶりに、
よく眠れた夜だった。


東京を少し離れるだけで、
星の数はこんなに変わるらしい。

奥多摩の夜。川の音。焚き火。
そしてテント。

その日だけは、通知より星を見ていた。

NEMOのテントは、設営も簡単で、疲れた大人でも気力を使い切らないのがありがたい。

頑張るための道具じゃなく、休むための道具。

そんな感じだった。

きすけ曰く
「テントは寝る場所じゃなくて、現実から少し離れる装置。」

※Amazonアソシエイトを利用しています。きすけの部屋には、Amazonアソシエイトリンクが少しだけ置いてあります。

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