覚めない夢を、描き続ける。
超新星ジータ × きすけ
夢見るぬいぐるみの夜。
午前一時をすぎたころ、きすけはベッドに入った。
正確には、ベッドに「もぐりこんだ」のだけれど、毛布の端から耳だけを出して天井を見上げるこの姿勢が、きすけにとっての「入った」だった。
窓の外では、雨がやんだあとの空気が、濡れたアスファルトの匂いとともに漂っている。遠くで電車の音がした。もう終電は過ぎていたから、貨物列車かもしれなかった。
きすけの大きな刺繍の目は、天井のしみをぼんやりと見つめていた。
今日もいろんなことがあった。いや、正確には、なかった。何もなかったわけではないけれど、「いろんなことがあった」と誰かに語れるような出来事は、ひとつもなかった。それがまた、じんわりと胸に重かった。
緑のビーズのネックレスが、毛布の上でわずかに揺れた。
きすけは目を閉じた。
眠りに落ちる前の、あのわずかな時間が好きだった。
現実と夢のあいだにある、薄い膜のような時間。そこでは何でも起こりえた。何でも、考えられた。
きすけはまず、バイクで北海道を走ることを想像した。
風が、耳を後ろへ倒す。夏の終わりの、少し冷たくなりはじめた空気が、黄色い体をなでていく。広い道。どこまでも続く道。地平線に向かって、ただまっすぐに走る。
行き先は決めない。どこかのコンビニに寄って、ホットコーヒーを買って、外の椅子に座って、誰も知らない土地の空を見上げる。それだけでいい。それだけで、十分だった。
次に、フランスのどこかの街角にいる自分を想像した。
石畳の道。朝の光。カフェのテラスで、言葉もわからない新聞をめくりながら、クロワッサンをちぎる。誰も自分のことを知らない。何者でもない。名前もない。ただ、そこにいる。それがひどく心地よかった。
きすけはそのまま、想像の中のカフェのコーヒーをゆっくりと飲んだ。
毛布の中で、体が少しずつ温かくなっていった。
今度は、小さな店を持つことを想像した。
場所は、東京の外れのどこか。駅からすこし歩いた、路地の奥。看板は手書きで、メニューは三つか四つしかない。朝は自分でパンを焼いて、昼すぎに開けて、夕方には閉める。常連が何人かいて、その人たちの顔と好みを覚えている。名前は知らなくていい。どんな仕事をしているかも知らなくていい。ただ、いつもの席に座って、いつもの飲み物を頼んで、しばらくしたら帰っていく。それだけの関係が、静かに続く。
そういう場所を、作りたかった。
そういう場所に、きすけ自身がいたかった。
想像は続いた。
海の近くに住むこと。猫を二匹飼うこと。名前はまだ決めていないけれど、一匹は気難しくて、もう一匹はどこにでもついてくる。夕暮れどきに、縁側でその二匹と一緒に海を見る。特に何も話さない。でも、静かで、満ちていた。
山小屋で本を読むこと。川で釣りをすること、正確には釣りのやり方を全然知らないのだけれど、やり方を知らないまま、水に糸を垂らして、ただ待つ時間を持つこと。
誰かのために料理を作ること。テーブルの向こうで、その人がおいしそうに食べること。
音楽を、もう少し聴くこと。
旅先の宿で、ひとりで夕食をとること。
夜明けを、外で見ること。
どれも、ぜんぶ、できそうなことだった。
できないことじゃなかった。お金がたくさん必要なわけでも、特別な才能がいるわけでも、誰かの許可を得なければならないわけでもなかった。
ただ、まだ、やっていないだけだった。
きすけの体が、毛布の中でゆっくりと沈んでいくような感覚があった。眠りが、少しずつ近づいてくる。
窓の外で、また遠くから電車の音がした。夜の街は、いつもより静かで、いつもよりやさしかった。
眠りに落ちる直前、きすけはそっと思った。
今夜、どんな夢を見るかはわからない。知らない場所をさまようかもしれないし、知らない誰かと話すかもしれないし、ただ何かに追いかけられ続けるだけかもしれない。
それは、自分では決められない。
でも。
でも、こうして目を閉じながら考えていた夢は、違う。バイクで走る北海道も、石畳のカフェも、路地裏の小さな店も、縁側で猫と見る夕暮れも、全部、自分で選んだものだった。
誰も奪えない。誰にも邪魔されない。
目を閉じたまま、きすけは小さく息をついた。
緑のビーズが、また、わずかに揺れた。
寝て見る夢は選べない。
だけど、起きて見る夢は、自分で選べる。
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