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『怒ってしまった母親』とそれでもママを求めてくる2歳半の長女


19時半ごろ、長女が「眠い」と言った。
少し眠そうに目をこすりながら、
こちらを見上げていた。

次女は寝室で眠っている。
起こさないように、私は長女を抱き、足音を忍ばせて寝室へ連れて行った。

部屋の明かりは落としてあり、カーテンの隙間から入る外の光だけが、ぼんやりと床を照らしていた。次女の小さな寝息が、静かな部屋にかすかに響いている。


「今日はこのまま寝てくれるかな」

そんな期待を抱きながら、
長女を布団に入れた。
でも、そこからが長かった。

「お水飲みたい」
「これがね、あのね」

長女は布団の中で何度も寝返りを打ち、
歌を歌い、途切れ途切れに話し続けた。
眠いはずなのに、目はまだぱっちり開いている。
私の足に自分の足を絡めるようにして、何度も蹴ってくる。


「眠いって言ったじゃん。寝るんじゃなかったの?」
心の中で何度も繰り返す。


次女も寝ている。できるだけ静かにして、早く寝かせたい。私だって疲れている。

そんな気持ちが、
胸の中で少しずつ膨らんでいった。

長女の声が、静かな寝室の中でやけに大きく聞こえる。布団が擦れる音も、足が当たる感触も、ひとつひとつが私の神経に触れた。

1時間半経って
珍しく夫が早めに帰宅した。

我慢できなくなった。
「寝ないなら、もう一人でパパいるからあっちの部屋行ってくれる?」

自分でも、静かな声だけど
声が強くなっているのがわかった。 

長女は一瞬、黙った。

それから、少し背筋を伸ばすようにして、
「はい!いいよー」
と返した。
明るく返事をしようとしたのだと思う。
保育園の先生に呼ばれたときのような、
元気な声だった。
でも、いつもの「いいよー」とは違った。

声の奥に、
ほんの少しだけ寂しさが混じっていた。

その声色を聞いた瞬間、胸の奥がチクリとした。

けれど、そのときの私はまだイライラに包まれていて、長女の気持ちを受け止める余裕がなかった。


私は長女を抱き上げ、
そのままリビングの夫に渡した。
「寝ない」
短くそう言うと、もう私には無理だと思った。


長女の体温も、髪の匂いも、いつもなら愛おしいはずなのに、そのときはただ重く感じた。自分の中に残っている余裕が、すっかりなくなっていた。


私は寝室に戻った。

これで少し落ち着ける。


そう思ったのも束の間、
すぐに夫が長女を抱いて戻ってきた。
「なんで連れてくるの?」
思わず、夫にも静かに怒った。
夫は少し困ったように、
「ママと寝たいっていうから」
と言った。

その瞬間、長女が夫の腕の中で身をよじった。
「ママ! ママ! ママ!」
小さな手を私のほうへ伸ばしながら、
何度も呼ぶ。

その声は、明るい声だけど少し泣きそうで、必死で、私を探しているような声だった。

やっぱり、ママがいいんだ。
そう思った。

でも同時に、
「甘えれば戻してもらえると思っているだけなのかな」
という、ひねくれた気持ちも浮かんだ。


その思うなら、どうして寝てくれないの。
どうして私を蹴るの。
そんな思いが、まだ胸の中に残っていた。


そのとき、次女が泣き始めた。
夫は次女を抱き上げ、リビングへ向かった。

ドアが閉まると、
寝室には私と長女だけが残った。

さっきまでの騒がしさが嘘のように、
部屋が静かになる。

長女は布団の上でゴロゴロしながら
急に保育園の話を始めた。
「今日ね、キューピーちゃんで遊んだの」
「楽しかった」
「また遊びたいなあ」
話すたびに、長女の表情が少しずつ明るくなっていく。眠そうに目をこすりながらも、
今日あったことを一生懸命伝えようとしている。
私はようやく、長女の話に耳を傾けた。
「楽しかったんだね」
「また遊びたいんだねママが保育園の先生にキューピーちゃんで遊びたいって言ってたって伝えておくからね」
そう返すと、長女は楽しいとケラケラ笑った。

その顔を見て、
胸の中に張りつめていたものが、
少しずつほどけていった。

長女は、ただ寝たくなかったわけではなかったのかもしれない。

今日あったことを話したかった。

楽しかったことを、
もう一度思い出したかった。

そして、
それをママに聞いてほしかったのだと思う。
話を聞いているうちに、時計の針は進んでいった。

気づけば21時半。
長女はようやく眠った。

さっきまで動き回っていた体が、布団の中で静かに横たわっている。長いまつげが頬に影を落とし、寝息に合わせて胸がゆっくり上下していた。
私はその寝顔を見ながら、今日のことを振り返った。

早く寝てほしくて、
イライラして、怒ってしまった。
「もう一人であっちの部屋行って」と意地悪を言ってしまった。

でも、長女にとっては、
眠ることだけが目的ではなかったのかもしれない。
「今日こんなことがあったよ」
「楽しかったよ」
「また遊びたいな」
そんな一日を、
ママに聞いてほしかったのだと思う。

2歳半の長女にとって、
楽しかったことも、寂しかったことも、
まだ自分の中だけでは完結できない。

眠気と甘えとおしゃべりを抱えたまま、
ママのところへ持ってくる。

私は「早く寝て」と思っていた。
長女は「ママといたい」と思っていた。

同じ寝室にいたのに、
見ていたものは少し違っていたのだ。

あのときの「はい!いいよー」という返事が、
今になって胸に引っかかる。
明るく振る舞おうとしていた声。

本当は、「ママがいい」と言いたかったのかな。
それとも、眠くてわけがわからなくなっていただけなのかな。
わからない。
でも、そのあと何度も「ママ!」と呼んでくれた。

そして最後には、今日の楽しかったことを私に話してくれた。

私は今日も完璧な母親ではなかった。

赤ちゃんのお世話をしながら、
2歳半の子どもの相手をして、
家のことをする。
余裕がなくて、イライラする夜もある。

長女の声を
「うるさい」と感じてしまうこともある。

抱きしめたいはずの小さな体を、
早く離したいと思ってしまうこともある。

それでも、怒ったあとに
もう一度話を聞くことはできる。
今日の私は、それができた。

だから今夜は、
「怒っちゃったな」
と思いながらも、
「最後は長女の話を聞けた」
と思って眠ろう。

明日の朝も、いつも通り「おはよう」と言おう。
眠そうな顔で起きてきた長女に、
できれば笑って声をかけたい。

2歳半の長女と、4か月の次女。

余裕がある日も、ない日も、
私は二人のお母さんだ。

優しくできる日も、怒ってしまう日も、二人にとって私はママなのだ。

明日もまた、「ママ!」と呼ばれるのだろう。

その声に、
今度はもう少し早く振り向けるように。
できれば今日より少しだけ、余裕のある私でいたい。

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