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マサイの戦士より、土をかじっていた妊婦さんが頼もしい。

マサイ族の戦士より、土をかじる妊婦の方がずっと頼りになった。これはタンザニアで学んだ、最初の教訓だ。

スワヒリ語でムリンジは「警備員」のことだ。

若い頃、青年海外協力隊でタンザニアに1年間暮らしていたことがある。その時の話をしようと思う。もう25年以上前の話だ。

マンゴー通りと呼ばれる大きな通りを、街から山に向かって歩いていく。左に曲がって坂を少し下ると、オープンテラスのようなレセプションがあるホテルが現れる。受付のテーブルの向こう側にはいつもお姉さんが気だるそうに座っていた。ただそこにいて、時間を潰していますというオーラが出まくりで、とても宿泊客を迎えるウェルカムな態度ではない。

赴任初日、ホテルに着いて、慣れないスワヒリ語で「ハバリ。」と挨拶した。ご機嫌いかが?という意味だ。レセプションの女性は目も合わせず、顎をクイッと一瞬だけ上げた。日本でいううなずきとは真逆の、どこか失礼にも見えるそのジェスチャーで、低い声で「いいよ。」とだけ言った。大理石と分厚い板でできた受付のテーブル。明かりのついていない電灯。低い椅子に座っているから、顔の鼻から上しか見えない。そういうレセプションだった。

レセプションの前はロータリーになっていて、タクシーの客達はここで乗り降りする。ロータリーといっても舗装されているわけではなく、土がむき出しのただの広場のようなスペースだ。その奥に宿泊棟が並び、周りにはジャカランダやヤシの木、南国の木々が茂っていた。ジャカランダは、鮮やかな青紫色の花をつける。アフリカの原色の世界にこれ以上ないほどよく似合う花だ。奥の方には竹も生えていたが、日本の竹とは少し違って黄色みがかっていた。このホテルには中華料理店があり、かつては中国人が経営していたらしい。あの竹はその方たちが植えたのかもしれない。芝生もあり、庭師が手入れをする、美しい庭のあるホテルだ。

私がタンザニアに着いて住居として与えられたのは、このホテルの一室だった。円形の建物の中央に小さな中庭があり、それを囲むように4つに部屋が仕切られていた。バームクーヘンのような建物。この作りの棟が5つくらい間を開けて建っている。足を踏み入れたことは無かったが、さらに奥の方には同じようなバームクーヘンのような、草生してしまった、まだ建築途中の建物があと2,3棟見えていた。

私の部屋はシャワーとトイレ、そしてダブルベッドがひとつあるだけ。ホテルだからキッチンなどはない。ここで2年間暮らしていきなさいという事だった。正直、私はビビった。木の扉の下には大きな隙間、鍵はただの木の棒を入れても開けられるんじゃないかというような簡素な鍵、ルーバー式のベッドサイドにある2つの窓は簡単に外からガラスを外して中に入れそうな状態。かろうじて網戸はされていて、蚊は入ってこなさそうだからマラリアの心配はしなくてよさそう。その窓にはお気持ち程度のグリルと言って鉄格子が施されていた。でも男の人が本気になれば簡単に外せるんじゃないかというような細い鉄の格子だ。と、不安しかない部屋の第一印象だったが、とは言えそれだけの部屋を、校長の知り合いだという体の大きな優しいおばちゃんオーナーが、部屋代も光熱費もなしで無償で貸してくれた。なんとも太っ腹な話だ。ホテルにはフランスのNGOのオフィスもあり、そこのスタッフが使う青いオフロードバイクがいつも広場に駐車してあった。

そのホテルにはムリンジがいた。
マサイ族のお兄ちゃんたちで、常時2〜3人、レセプションの横にいつも立っていた。
伝統的なマサイ族の服装と髪型、廃タイヤで器用に作られた履き心地の良さそうなサンダルを履いていた。彼らは手足が長く、赤を基本とするマサイ族の布を纏っていて、私と同じ人類とは思えないほど美しい姿だった。そんなマサイ族のお兄ちゃん達だが、手首にはギラギラ光る金の腕時計、手には携帯電話。バイクにまたがったり、おしゃべりしたり、ふざけ合ったりしながらいつも携帯をいじっていた。警備というよりたまり場という感じだった。

赴任前に研修で、さんざん防犯対策の勉強をさせられた。
「もし強盗に出会ったら抵抗するな。持ち物は全部渡すこと。抵抗すると命を失いかねない」
「夕方以降は一人で外に出ないこと」
「鍵は備え付けのものに加えて自分でもう一つ調達して、取り付けること」
「財布を街で出さないこと」
「バッグは前に持つこと」
「さっさと歩くこと」
「カメラは街では出さないこと」。

現地に入るまでは、よっしゃ~冒険だ〜くらいのノリでいた私は、いざ現地での一人暮らしが始まると、とたんにへなちょこになった。
近くのモスクからは爆音コーランが流れてきて面喰い、あらゆる車から出されるクラクションはまるで打楽器のようにリズムを打ち、路面バスの料金係のお兄ちゃんはプシーッ、プシッと口笛のような音をずっと鳴らしながら、バンの窓から体を乗り出して走らせるものだから、唾がこっちに飛んできそうでイラっときたりして。
もう、あらゆる方向から初体験の音の波動が降り注ぐ街を歩くだけで、体力をかなり奪われた。日本の街にはない音の洪水に溺れそうになりながら、一気にアフリカで生き抜くべく、サバイバルモードにスイッチを勝手に切り替えられてしまった。

そんな危機に面してしまった私は、ムリンジのマサイのお兄ちゃんたちに身の安全を頼むしかない!と思いつき、一刻も早く話をつけに行った。
「ここは強盗とかいるんでしょ?危ないの?このホテル柵とかなくて誰でも入り放題じゃない!泥棒入ってくるんじゃない?夜とか怖いから、ちゃんと警備お願いね!!」
鬼気迫る勢いで、まだまだ少ないスワヒリ語の語彙力をフル動員させて話を付けに行った。

マサイのお兄ちゃんたちは
「大丈夫!俺たちがいるから入ってこない!俺たちは戦士なんだから強いんだぞ!安心しろ!」ととても頼もしい返事をしてくれた。たぶんそういっていたと思う。と信じていた。
ただ、なぜかニヤニヤしていたのが、少し気になってはいたけれど。

ある日の夜、食事会を終えて街から戻ったタクシーの中で、運転手が降り際に最初の約束の倍の料金を請求してきた。私がドギマギしていると、颯爽と現れたのはレセプションのあの無愛想なお姉さんだった。タクシーの運転手を一喝し、あっという間に片をつけてくれた。

マサイのお兄ちゃん達はいなかった。

そういえば夜に彼らを見たことがなかった。夕方になると、街の方へぞろぞろと歩いて帰っていくのだ。夜の警備をお願いしたはずなのだが。頼もしいお返事をいただいたはずだったけど、いつも夜にはいなかった。

結局私を守ってくれたのは、いつもレセプションのお姉さん達だった。後に知ったのだが、助けてくれた彼女達の一人は妊娠中だったことがあとで判明する。受付に座りながら、あきらかに赤土の塊で作ったであろう、チョコバーのようなものをいつもかじっていた。ある日、あまりにもおいしそうにカリッカリッとかじっているものだから、少し分けてもらったが、やっぱり想像していた通り、ただの土の味だった。日本で言うところの妊婦さんが摂る葉酸サプリのような役割をするらしい。
そんなこんなで結局はマサイの戦士より、土をかじる妊婦の方がずっと頼りになった。

タンザニア生活も一年が経つ頃には、私も変わっていた。
ぼったくろうとするタクシーの運転手に、自分でまくしたてられるようになっていた。
「ふざけんじゃない。最初にその値段でいいと言ったのはあなたでしょ!」私ってこんなに怒れるんだあ〜とちょっと嬉しくなった。
それにしても、日本ではあり得ない話だが、どこに行っても初めてのお店や場所では必ずぼったくろうとしてくる。本当にみんなが。これは一体何なんだろうか。みんな泥棒?なんてこった、とんでもない所に来てしまったぞ。と半年くらいは警戒態勢ビンビン状態だった。でも半年くらいして街の商店や住民と顔見知りができたり、通りの子どもたちと毎朝挨拶を交わしていくうちに、気がつけばこの町の住人として認識されていったのか、タクシー乗り場のお兄ちゃんたちもぼったくってこなくなっていた。ぼったくりはここでは新参者への洗礼だったのだろうなと今では思う。無事、街中の人々からのキツイ洗礼を通過した私は、少しずつタンザニアの空気が自分の中に馴染んでいた。
マンゴー通り沿いを、朝歩いて街の学校まで行く間に、「カリブ、チャイ!」(こっちにおいでーお茶飲んできなー)と5m進むごとに声をかけられ、なかなか学校に着けないほど街の人たちと親しくなっていた。この頃には、顎をクイっと一瞬だけあげるリアクションはもうされなくなっていた。ちなみにこのリアクションは、尊敬や丁寧さを表明する行動だということも半年過ぎた頃にわかった。

ある朝、棟を出て庭を歩いていたら、右の藪からドッドッドッドドドドドドーとすごい音がした。ヤバい山賊だ。襲われる!と思った瞬間、1mほどの大トカゲが目の前を横切り、左の小川の藪へ消えていった。心臓が止まるかと思った。治安だけでなく、自然の動物からも身を守らなければならないことをその時に知った。もうこの頃にはマサイのムリンジたちには何も期待していなかった。

ムリンジだということすらも、もうどうでもよくなってきて、仕事を終えてホテルに帰ってきた時に、彼らがいつもの場所でたむろしている姿を見るとなぜかホッとした。そのうち私も仕事の後、一緒に毎日のように彼らとおしゃべりして、それから部屋に戻るのが日課になっていた。時々スワヒリ語ではなくマサイ語も教えてくれた。マサイ語で「ヤッホー元気?」と声をかけると、彼らはめちゃくちゃ大喜びしてくれた。

あの美しかったマサイのムリンジのお兄ちゃん達は今でもあのホテルで警備員をしているのだろうか。
そしてまた誰かに「任せとけ!」と胸を張っているのだろうか。

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