シュトルム「みずうみ」(1): 竪琴弾きの少女の歌
今回は、少し音楽から離れて、子供のころから愛読してきた、テオドール・シュトルムの「みずうみ」(イムメンゼー)についてお話ししたいと思う。
シュトルムの「みずうみ」に最初に出会ったのは、小学生低学年のころ、母にそろえてもらった少年少女世界文学全集を読んだ時のことだったと記憶している。最初に読んだ時から、印象に残った作品だったのだが、高校生の時に、高橋義孝先生の新潮文庫の翻訳を読んで虜になった。物語のストーリーは、一人の老人が、ついに結ばれえなかった幼馴染の恋人のことを回想するというもの。シュトルムの故郷である北ドイツの美しい自然を背景に、いくつかの短い詩を散りばめながら、淡々と過去の回想が語られてゆく。随所に美しい表現がある。たとえば、主人公のラインハルトが、徹夜の思索をへて、ついにかつての恋人エリーザベトとの永遠の別れを決心する朝のこの場面:
(高橋義孝訳)…東が仄かに白みそめて、そこはかとない暁の光が夜の紺色にとってかわる。さわやかな風が立って、ラインハルトの熱い頬を撫でた。最初の雲雀が囀りながら空に舞い上がった…
何と素晴らしい夜明けの描写であろう。ここでは主人公の心のうちは何も触れられていない。もっぱら朝の風景の中で主人公の別離への決意が暗示されているだけだ。このような手法は、「みずうみ」でも随所に用いられているが、シュトルムの作品全体の特徴でもあると思う。
高校生のころの私は、作曲や編曲に加えて、詩作にも興味があり、日本人の詩集だけでなく、ヘッセをはじめとするドイツの詩人の翻訳詩をたくさん読んだ。その中でも、この物語に登場する「竪琴ひきの少女の歌」は、大学にはいりドイツ語を第2外国語として選択したとき、まっさきに、ドイツ語の原詩を暗記したほど、大好きな詩である。
(髙橋義孝訳)
Heute, nur heute 今日のみ
bin ich so schön, われは美しく
morgen, ach, morgen 明日は消ぬべし
muß alles vergeh'n! わがかたち
Nur diese Stunden 今日のみ
bist du noch mein; 君と語らえど
sterben, ach, sterben 明日は死にゆく
soll ich allein. われひとり
この象徴的な詩は、物語の中盤で、ジプシー風の竪琴弾きの少女が情熱的に歌い、最後の別れの場面の直前で、最後のひとふし(明日は死にゆく われひとり)だけが再び若い女(零落したあの少女と再会?)によってうたわれる設定で、一人孤独に人生を終える老人(ラインハルト)の寂しい晩年を暗示していると思われる。実はこの詩は日本の多くの詩人によってさまざまに翻訳されており、明治から昭和にかけて、日本人に人気があった詩なのである。あの夏目漱石も、この詩を激賞していたとのことである。いくつかの翻訳を、下記のサイトで読むことができる。
「さすらい人の徒然日記」さん
https://ameblo.jp/ittetsu23/entry-11649086249.html
そのうちのひとつだけ、『シュトルム詩集』(吉村博次・訳、彌生書房)「竪琴ひきの少女のうた」を引用しておこう。
きょうの、ただこの日だけ
あたしはこんなに美しい。
あした、ああ、あしたになれば
なにもかも、きっとほろびてしまう!
ただ、このいまの時だけは
あなたはまだあたしのもの。
ただひとり、ああ、ただひとり
死んでゆくのが、あたしのさだめ。
私も、このような詩が書けたらな、と中高生の頃は思っていたのだが、ついに実現せずに終わってしまった。
さて、本NOTEは、楽曲分析を主なテーマとしているのだが、シュトルムの「みずうみ」は、作品形式として大変興味深い「枠形式」という形式で構成されているということを最近知った。この枠形式は、実はあの有名な、ちあきなおみの「喝采」の詩でも使われている。次回は、まずシュトルムの「みずうみ」を調べた結果を、次々回は「喝采」を調べた結果をアップロードしてみたい。
