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友達がいない

 私には、友達がいない。

 このように書くと、大変寂しげな響きがあるのであるが、人付き合いが苦手な私にとっては、この状態こそが理想である。

 誰かといるとき、私は絶えず相手に気を使ってしまうのである。そもそも、いわゆるコミュ力がない私にとって、誰かと一緒に過ごすのは苦痛ともいえることなのだ。

 世の中には、誰かとたくさん喋ったり、一緒に過ごすことで、心身ともに元気になる人が存在するというが(むしろ、こちらが普通なのか)、私はどんなに素晴らしい人と一緒に過ごしたとしても、ひたすら消耗するだけなのである。

 もちろん、消耗しつつも、楽しかったということはあるのだが。

 さて、そんななかで、私の唯一の友人とでも言える存在は娘であった。娘が小さい頃、私と娘の精神年齢はほとんど同じと言っても過言ではなく、公園の砂場やブランコなどで楽しく遊んだ仲なのである。

 しかし、娘が6歳の頃、そう思っていたのは私だけであるということが判明したのだ。

 ある日の夜。楽しそうに友人と電話をしている妻をみた娘が、気づいてしまったのだ。

 「パパには、友達いないの?」

 曇りなきまなこで私を見てくるこの娘に、私は、どのように答えるべきか大変悩んだ。

 もし、正直に答えるとするなら、こうなる。


 小さい頃は、パパにも友達いたんだけどね。

 小・中学校のときの友達は、高校生になったら、段々、二重の意味であわなくなっちゃったんだよ。あの時、あの場所で仲が良かったとはいえ、今はあの場所には立っていないんだ。鬼ごっこ仲間と、高校生にもなって鬼ごっこするわけにはいかないだろう?特に、10代後半の高校生は、人格形成期にあたるんだよ。もはや、小・中学生のときの友達なんて、思い出を共有するだけの他人になってしまってるんだ。だから、成人式にも、その後の同窓会にも行かなかったよ、パパは。シンガポールにはいなかったけどね。えっ、どういう意味かって?そういうCMがあったんだよ。

 それから、高校生のときの友達なんだけど、そもそも高校生のときは友達自体が少なかったんだよ。パパ、この頃、学校大っきらいだったからさ。クラスメイトの名前すら最後まで全員は覚えらなかったんだよ。ある時、教師にみんなのノートを配るよう頼まれて、本当に困ったものさ。名札着用にするか、座席表くらい作っておけよって話さ。えっ、教師って言い方が変だって?パパは、この学校には「先生」なんていなかったと思ってるからね。意地でも「先生」とは呼ばないんだ。

 話を戻すと、それでも数人はいたんだよ、友達が。でも、その後、すっかり付き合うのに疲れてしまってね。パパは多分、ギバーと呼ばれるタイプだと思うんだ。つまり、他人に尽くしすぎちゃうんだよ。それで、最初は感謝されるし、喜ばれるんだけど、段々、周りの人からいいように利用されるようになるんだよね。そして、全てが嫌になったころ、パパはひっそりといなくなるんだ。たぶん、友達たちはパパが豹変したように思っているかも知れないね。だけど、パパはパパで何一つ変わっていないのさ。むしろ、パパから言わせれば、変わったのは彼らなんだ。感謝や敬意を忘れなければ、パパは今でも彼らのために何かしてあげたいという気持ちでいたと思うよ。

 実際に、娘ちゃんのよく知っている人は、そうした気持ちを持ち続けてくれているから、今でもパパは尽くしているんだよ。えっ、ただ尻に敷かれているだけだって?どこで、そんな難しい言葉を。。まあ、ママはそもそもパパの一億倍は気が利くタイプだからね。パパが勝手に尽くすのに疲れたときは、察したように、そっと休ませてくれるんだよ。それでうまくいくんだろうね。

 おっと、お惚気が過ぎたぜ。その後の大学は、ほんっとに友達できなかったなあ。そもそも、パパの大学は、お金持ちの学生ばっかりだったんだよ。「いやー、孫さんには稼がせてもらったよー。」とか言ってる二十歳前はたちまえのやつとなんか、価値観合うわけないでしょ?あー、孫さんってのは、日本一のお金持ちの人だよ。そのお金持ちの人の会社にお金をあげると、その会社の価値があがって、お金が増えるんだね。なぜって?いや、なぜだろうな。簡単に言うと、お金はお金を生み出すことができるんだよ。パパは、お金ないから労働力を売るしかないけどさ。

 最初っからお金を持っている人はずるいって?確かに、ずるいよね。でも、それが資本主義というものなんだよ。一応、今のところは一番マシとか言われてるけど、どうなんだろね。ピケティって人が、、、いや、この話はどうでもいいや。とにかく、大学時代は、お金の感覚が違いすぎたし、仲良くなれそうな人が周りにいなかったんだよ。

 ただ、卒業式で、おばあちゃんが、一人も友達がいないパパを見て少し泣いてたのは申し訳なかったけどね。

 大人になってからは、もう友達なんてつくれなかったよ。仕事の仲間だと、どうしても利害関係があったりするからね。誰と付き合うのが得だ損だとか、そういうのだよ。そんなの考え始めたら、友達なんて呼べないだろ?だから、もしかしたら、今仲がいい仕事の仲間が仕事をやめたら、本当の友達になれるんじゃないかと思うときがあるんだよ。でも、多分、仕事やめたら付き合うことはなくなるんだろうなあ。これは、難しいところだね。なにせ、大人は忙しいんだよ。

 あとは、同じ趣味の人と仲良くなるってパターンもあるらしいんだけど、パパと同じ趣味の人って滅多にいないんだよね。いても、むしろ、あまり仲良くなりたいって思わないもんなあ。同族嫌悪ってやつなんだと思うけど。

 結局、パパは、自分に似てる人とも、自分と違う考えの人とも仲良くなれないってことなんだね。

 ってなわけで、パパには友達がいないのさ。 


 …さすがに、6歳の娘にこうは言えなかった。
 そこで、とっさに代わりとなるうまい返事を閃いたのだ。

 「パパの友達は、娘ちゃんだよ!」

 このときの私の笑顔に擬音をつけるなら、「にちゃあ」である。あるいは、それを世界一汚いドヤ顔と形容してもよいだろう。

 しかし、私は、我ながらうまい返しをしたなあと思っていたのである。そして、娘もこの答えに喜んでくれると思ったのだ。

 だが、娘は、私の顔をじーっとしばらく見たあと、さも当然のようにこう言ったのである。

 「娘ちゃんの友達は、ママだよ?」