心眼の地歴譜~白杖と往く、古刹探訪記~第2巻第7話『湖南路、天保の義民と静寂の古刹をたどる』

第7話『湖南路、天保の義民と静寂の古刹をたどる』


青葉わかつ湖南の路に義民の碑  慈尼


2023年6月某日


梅雨の合間の晴れ間が覗く週末。初夏の薫風が吹き抜ける中、我々同窓の仲間と後輩は京都駅の改札前に集っていた。白杖の先が弾く床の音、そして交わされる挨拶の声が、これから始まる長い道のりへの期待を予感させる。今回の逍遥は、琵琶湖線の草津を経由し、湖南の地へと向かう「心眼の地歴譜」の第七弾である。

東海道本線の新快速に揺られ草津へ。さらに草津線へと乗り換えると、車窓の風景は急速に緑を増し、穏やかな田園地帯が広がり始める。三雲駅で下車し、まず向かったのは駅の南側に位置する高台の天保義民碑であった。吹き抜ける風に身を委ねながら、私は白杖で碑の刻銘の感触を確かめた。今からおよそ180年前の天保年間に起きた大規模な農民一揆。代官の不正な検地や過酷な収奪に対し、命を賭して立ち上がり、非業の死を遂げた農民たちの魂が、この地に眠っているのだ。歴史の教科書で学んだ無機質な文字列が、この湖南の土の熱量として私の掌に蘇る。

そこから旧東海道の面影を追い、横田の渡しの常夜灯へと歩を進める。約180年前、義民たちが三上山方面を目指して歩んだのと同じ野洲川沿いの田畑。白杖の先で踏みしめる土の感触を感じながら、緑豊かな大地を踏みしめると、突如として広大な駐車場を抱える現代の巨大な構造物、イオンタウン湖南が現出する。この新旧の急激な対比に戸惑いつつも、フードコートにある「牛めし げんさん」にて近江牛膳を味わい、鋭気を養う。互いの息遣いを確認しながらの昼食は、旅の温かな支えである。

腹ごしらえを終えた後、我々は岩根山の麓から山道へと足を踏み入れた。静寂に包まれた湖南三山のひとつ、善水寺への参道である。白杖が石や木の根を探りながら、上り坂の傾斜を身体に伝える。苦難を乗り越えてたどり着いたその先にある、国宝の本堂は、時の重みをずっしりと湛えていた。

本堂の薄暗い内陣に入ると、空気の密度が一変する。住職の温かな声に導かれ、私は数々の仏像の前に立った。信長の焼き討ちという幾多の災厄を乗り越え、今日まで守り継がれてきた本尊の薬師如来、梵天、帝釈天、そして四天王。特に四天王像の力強い造形や、柱に残る生々しい刀傷に指先で触れるとき、そこにあるのは無宗教的な鑑賞ではなく、祈りの連綿とした歴史との対話である。来年から始まるという修復を前に、先人たちが命を削って護り抜いた信仰の重みに、私は深い畏敬の念を抱かずにはいられなかった。

善水寺を後にして山腹の磨崖不動明王を拝観したのち、再び我々は静寂に包まれた田園地帯を甲西駅に向けて黙々と歩いた。歩数はすでに2万歩を超え、足腰には疲労が蓄積しているが、それを分かち合う仲間の気配が、一歩一歩を支えてくれる。

夕刻、電車で草津駅へと戻ると、街の様相は一変した。かつて私が自社の工場実験などで通っていた頃の、どこか寂しげな風景は消え去り、高層マンションや飲食店が立ち並ぶ活気あるベッドタウンが広がっている。その変貌に郷愁と、抗えない時の流れを感じながら、私たちは旧東海道と旧中山道の分岐点、そして本陣跡を巡り歩いた。

旅の締めくくりは、いつもの居酒屋での打ち上げである。湖南の銘酒である北島酒造の「びわこのくじら」を酌み交わしながら、若人たちの熱気の中で、私たちの議論は自然と「リタイア後の生きがい」や、老後の延命の是非という生々しい主題にまで及んだ。だが、どのような困難や葛藤があっても、互いの五感を研ぎ澄まし、こうして知の探求を共にすることこそが、豊かな人生の証であるという結論に至る。

湖南の風が吹き抜ける中、次なる目的地である吉野の「青き秘仏、蔵王大権現」へと、我々の想いはすでに未来へ向けられている。白杖の先から伝わる確かな振動を胸に、私は次なる旅路への一歩を踏み出す力を得たのである。

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