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高専を中退して麻雀プロへ。そこから20年会社経営をして、今はポーカーで生きています。



こんにちは。

今回はポーカーの戦略から少し離れて、「そもそもお前は何者なんだ?」という話を書いてみようと思います。

乗っ取られたXのアカウントを新しく作り直したこともあり、最近僕のことを知ってくださった方も多いと思います。

今の僕だけを見ると、

「ポーカーをしている人」

という印象が強いと思います。

実際、現在はポーカーだけで生計を立てています。

ただ、ここに至るまでを振り返ると、ポーカーとはまったく違う世界で、かなり紆余曲折のある人生を歩んできました。

高専を中退して麻雀プロを目指し、ゴリゴリの営業会社に入り、会社員として最年少執行役員になり、起業して上場を目指し、その会社を突然去ることになり、フリーランスを経て再び会社経営へ。

そして20年間続けてきたビジネスの世界を離れて、今はポーカーをしています。

今回はそんな僕のこれまでについて書いてみます。


高専を3年で辞めて、麻雀プロを目指した


学生時代、僕は5年制の高専に通っていました。

普通にいけば、そのまま卒業して技術系の仕事に就いていたのかもしれません。

ただ、そこで人生を大きく変えるものに出会いました。

麻雀です。

見事にどハマりしました。

どれくらいハマったかというと、

「麻雀プロになりたい」

と思って、高専を3年で辞めてしまうくらいです。

今考えるとなかなか思い切った決断ですが、当時は本気でした。

学校を辞めた後は、全国展開している有名な麻雀チェーンに社員として入社。

雀荘で働きながら麻雀を打ち続け、実際に麻雀プロの資格も取得しました。

ところが、プライベートの事情もあって、その道を続けることが難しくなります。

結局、約1年間働いたところで麻雀の世界を離れ、

「普通の会社に就職しよう」

と考えるようになりました。

ここから、僕の約20年間のビジネスマン人生が始まります。


19歳。ゴリゴリの営業会社に入る


19歳で入社したのは、光通信グループの営業会社でした。

いわゆる、かなり営業色の強い会社です。

学歴もない。

特別な資格もない。

社会人としての経験もない。

そんな状態からのスタートでしたが、営業という仕事は自分に合っていたようで、比較的早い段階でトップセールスになることができました。

そこからマネージャー、部長と、とんとん拍子に役職が上がっていきます。

最終的には、その会社で最年少の執行役員となり、会社の事業全体を統括する立場まで任せていただきました。

19歳から29歳までの10年間。

僕の仕事に対する考え方の基礎は、ほぼこの会社で作られたと思います。

営業、マネジメント、採用、組織作り、数字への向き合い方。

本当にたくさんのことを経験させてもらいました。

ただ、20代後半になった頃から、あることを考えるようになります。

「このままずっと雇われる側で頑張っていていいのだろうか?」

社内では評価してもらえている。

役職も上がった。

収入も増えた。

でも、学歴のない自分にとって、それは会社という枠組みの中で評価されているだけで、一歩外に出れば一過性のものなのではないか。

そんなことを考えるようになりました。

だったら一度、

自分自身がどこまで通用するのか試してみたい。

そう思い、起業することを決めました。


29歳。車を売って800万円を作り、会社を立ち上げる


起業すると決めてからは、それまで長年温めていた事業プランを形にしました。

一緒に仕事をしてきた中で、

「この人とはまた一緒に働きたい」

と思っていた人たちに声をかけました。

資金についても、それほど潤沢だったわけではありません。

少しの蓄えと、自分の車を売って作ったお金。

合わせて約800万円。

それを種銭に会社を立ち上げました。

事業は、クラウドに特化したシステム開発。

2013年頃のことです。

当時、僕は

「これからSaaSが大きく伸びる」

と考えていました。

そこで、そのど真ん中で勝負しようと決めました。

最初の大きな目標は、当時の東証マザーズへの上場。

会社は毎年200%程度のペースで成長し、企業向けSaaSサービスのある分野ではシェアNo.1になるなど、小さな世界ではありましたが、それなりに面白いポジションまで来ていたと思います。

「これはいける。」

そう思っていました。


順調だった会社。そして突然、僕は会社を去った

創業から3年ほど経った頃。

会社の成長スピードにキャッシュが追いつかなくなってきました。

そこで同業の大手上場企業から出資を受ける形で資金調達を行い、いよいよ上場へ向けてさらにアクセルを踏むことになります。

社員も40名を超えました。

オフィスも手狭になったので、博多駅前の100名ほどが入れる大きなオフィスへ移転。

「さあ、ここからさらに会社を大きくしていこう。」

まさにそんなタイミングでした。

ところがある日、状況が一変します。

株主総会で突然、

代表取締役の退任動議が提出されました。

そして、その日のうちに僕は会社を去ることになりました。

詳しい経緯については、ここでは割愛します。

ただ、この出来事から学んだことは、その後の人生にかなり大きな影響を与えています。

どれだけ普段の人間関係が良好でも、

どれだけ「一緒に頑張ろう」と話していても、

ビジネスにおいて重要なことは、口頭の約束や信頼関係だけに頼るのではなく、契約やルールとして事前にきちんと決めておくこと。

そしてもう一つ。

人間関係が何を中心に作られているのかを見誤らないこと。

これは嫌というほど経験させてもらいました。

もちろん当時は相当キツかったですが、今振り返れば、経営者としても人間としても大きな勉強になった出来事でした。


会社経営から離れ、しばらくフリーランスへ


会社を去った後、ありがたいことに、それまでの人脈から30社ほどに声をかけていただきました。

「取締役として来てほしい」

「社長をやってほしい」

という話までいただきました。

ただ、僕自身の気持ちがついていきませんでした。

もう一度、自分が当事者として会社を経営する。

そこに対するモチベーションが、どうしても戻ってこなかったんです。

そこでフルタイムでどこかの会社に入ることはせず、5社ほどの会社にコンサルや顧問のような形で関わらせてもらうことにしました。

そんな生活を2年近く続けました。


もう一度、社長をやることにした


その5社のうちの1社から、ずっと熱心に

「社長として来てほしい」

とオファーをいただいていました。

最初は断っていました。

それでも話を重ねる中で、少しずつ気持ちが変わっていきました。

最終的に僕がその会社を選んだ理由は、大きく3つあります。

* 僕が入ることで、人材採用・商流の変更・組織構築など、解決できそうな経営課題がたくさんあったこと
* 創業者の熱量が高く、株式の譲渡も含めて大きな裁量を持たせてもらえる環境だったこと
* そして何より、僕自身がその会社を好きになり、「この会社は必ず伸ばせる」と思えたこと

この会社で、もう一度経営者として勝負してみよう。

そう決めてフルコミットすることになりました。

社員総会の様子



そして、ポーカーと出会った


新しい会社の経営を始めて1年ほど経った頃。

今度は、僕の人生をまた大きく変えるものに出会います。

ポーカーです。

……麻雀のときと似ていますね(笑)

ハマり方も、なかなかでした。

仕事が終われば毎日のようにアミューズメントポーカーへ。

出張があれば、

「この近くで大会やってないかな?」

と調べて、現地のアミューズメントへ行く。

おそらく最初の1年間だけで、30店舗近くのお店に行ったと思います。

2年目からは、3ヶ月に一度くらいのペースで海外遠征にも行くようになりました。

仕事をして、ポーカーをして、また仕事をする。

そんな毎日になりました。


一方で、会社経営も面白いくらいに伸びていった


ポーカーにどんどんのめり込んでいましたが、もちろん本業の会社経営も全力でした。

そこから5年間、かなりの勢いで改革を進めました。

社員数は約2倍。

売上も約2倍。

そして利益については、引き継いだ当初はほぼトントンだった状態から、同業他社と比べてもかなり高い利益率を出せる会社になりました。

内部留保も厚くなり、優良企業認定された銀行から低い利息でお金を借りてほしいとお願いされる会社になってました。

会社が安定して利益を出せるようになった頃、僕は次のことを考えるようになります。

「会社で稼いだお金を、自分たちだけのためではなく、地元のためにも使えないだろうか。」

そんなとき、知り合いから、地元の老舗食品加工会社が倒産の危機にあるという話を聞きました。

そこで、その会社を買収することを決めました。

さらに、その会社の社長として送り込んだのは、

新卒2年目の若手社員。

今考えても、かなり思い切った経営判断だったと思います。


地方企業の挑戦が、全国放送されるまでになった


この取り組みが珍しく映ったのか、地元の新聞やメディアから取材を受ける機会が増えていきました。

そして最終的には全国放送のテレビ番組からも取材を受け、「カンブリア宮殿」などでも取り上げていただきました。

知名度が上がったことで、

「この会社で働いてみたい」

と思ってくれる学生も増えていきました。

IT業界は慢性的な人材不足と言われる中、この買収をキッカケにありがたいことに採用にはそれほど困ることなく、会社は順調に成長していきました。

順風満帆。

……に見えていたと思います。

ただ、また一つ大きな転機が訪れます。


経営に対する考え方の違い。そして、再び会社を去る


僕が進めていた企業買収や他業界への進出について、創業者とは少しずつ考え方に違いが生まれていました。

そして、買収した子会社の業績不振をきっかけに、その会社を売却するという議題が上がります。

ここからは、かなり揉めました。

会社経営ですから、数字だけを見れば合理的な判断もあります。

一方で僕には、

「何のためにこの会社を買ったのか」

「そこで働いている人たちに対してどう向き合うのか」

という、自分なりの経営に対する信念がありました。

最終的に、そこを曲げることができませんでした。

そして創業者と袂を分かち、僕は会社を退職することになりました。



そして、20年間のビジネスマン人生を終えた

これが、僕の約20年間のビジネスマン人生です。


振り返ると、

高専を中退して、

麻雀プロを目指して、

営業会社に入って、

最年少執行役員になって、

会社を作って、

上場を目指して、

自分が作った会社を去って、

フリーランスになって、

また社長になって、

会社を成長させて、

企業買収をして、

テレビにも出て、

そしてまた会社を辞めました。

こうして書いてみると、なかなか落ち着きのない人生です(笑)

ただ、一つだけずっと変わっていないことがあります。

自分が本当に面白いと思ったものには、とことんのめり込む。

学生時代の麻雀もそうでした。

仕事もそうでした。

会社経営もそうでした。

そして今は、それがポーカーになっています。


今はポーカーだけで生きています。


実は会社を経営していた頃から、

「いつか一度、ポーカーだけで自分がどこまでやれるのか試してみたい」

という気持ちはずっと持っていました。

なので会社を退くことになったとき、もちろん色々と思うところはありましたが、

「じゃあ今、一度やってみよう。」

と比較的あっさり次へ進めた部分もあります。

そして会社を辞めてから現在までの約2年間。

僕はポーカーのみで生計を立てています。

幸いなことに、今のところトータルではプラスでここまで来ることができました。

もちろん簡単だったわけではありません。

会社員時代とは収入の構造も違いますし、経営者時代ともまったく違うプレッシャーがあります。

43歳になって、まさか自分がポーカーをしながら世界中を飛び回っているとは、19歳で営業会社に入った頃には想像もしていませんでした。

でも、これまでの人生を振り返ると、案外自分らしい選択なのかもしれません。


最後に


今回これを書こうと思ったのは、自分の経歴をすごく見せたいからではありません。

むしろ失敗もかなりしています。

学校も途中で辞めました。

一度目の会社経営では、自分が作った会社を去ることになりました。

二度目の経営でも、最後は創業者と考え方が合わず会社を離れています。

今振り返れば、

「あのときこうしておけば良かったな」

と思うこともたくさんあります。

ただ、それら全部を含めて今の自分があります。

そして面白いことに、

麻雀、営業、会社経営、そしてポーカー。

一見まったく違う世界ですが、僕の中では意外と全部つながっています。

期待値を考えること。

リスクを取ること。

資金を管理すること。

相手を観察すること。

意思決定を繰り返すこと。

そして、結果が出なかったときに「運が悪かった」で終わらせず、自分の判断を振り返ること。

会社経営で身についた考え方がポーカーに生きている部分もあれば、ポーカーを始めたことで改めて気づいたこともたくさんあります。

だからこのnoteでは、単純なGTOやハンドレビューだけではなく、

僕自身がこれまでの経験からどうポーカーを考えているのか。

そんなことも書いていけたらと思っています。

長い自己紹介になりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

そして、ポーカー専業になってからの2年間については――

また別の機会に書きます。

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