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kyoto_gonchan
わたしが難問を選び続ける理由
わたしはなぜか、
困難な場所に配置される。
強い利用者さま
荒れているフロア
誰もが頭を抱えるケース
周囲は消耗しているのに、
わたしは笑っている。
昔はこれを「性格」だと思っていた。
でも長く現場にいると違うと分かる。
これは性格ではない。
神経の適応だ。
人は無意識に、
自分の神経が安定する場所を選ぶ。
静かな場所で落ち着く人もいれば、刺激の少ない環境で疲れる人もいる。
私は後者だった。
混乱を見ると、
怖くなる前に観察が始まる。
怒りを見ると、
距離を取り構造を探す。
強者を見ると、研究対象なる。
感情より先に好奇心が動く。
これは冷たいわけではない。
脳がそう学習しただけだ。
グループホームを運営していた頃、
わたしは常に追い詰められていた。
一人で判断しなければならない。
答えがない。
正解も保証もない。
だから
試す → 観察 → 修正
この回路を何度も回した。
抗精神薬の調整も同じだった。
結果はすぐに出ない。
でも神経は必ず反応する。
その繰り返しで脳は学習した。
混乱は読める問題には
構造がある神経は整えられる
そしてある時から
難問 = 快感
になった。
私は混乱を救いたいわけではない。
混乱の中にいる方が
自分の神経が整う。
これが本音だ。
だから私はそこに居続ける。
英雄でも使命でもない。
自己調整だ。
安心を作る側にいると
自分が安心できる。
ただそれだけの話。
現場には必ず、
空氣を支える人がいる。
声が低い人
呼吸が静かな人
慌てない人
その人の神経がフロアの基準になる。
わたしはたまたま
その役割に収まっただけだ。
選んだというよりフィットした。
魚が水に戻るように。
もし整った場所に行ったら
わたしは退屈すると思う。
だからまた混乱を選ぶ。
そこが一番呼吸できる場所だから。
そして今日も強者だらけのフロアで
少しニヤリとしている。
