見出し画像

せりふ三題噺 嘘とネモフィラ

 「ほんとにいたんだって!」受話器越しに、夫が裏返った声で叫んでいる。

 ビジネスクラスの隣の席に、今をときめく若手俳優が座っていたのだという。私があまりに「はいはい」と聞き流すものだから、向こうはムキになって当時の状況を説明し始めた。

 必死になればなるほど怪しい。そもそも、くじ運もなければ執着心もないあの人が、わざわざ俳優に気づいてサインをねだるような真似をするだろうか。
もしかして、本当はもっと「別の誰か」と隣り合わせだったのではないか。その浮ついた心を隠すための、精一杯の目くらましが、その俳優さんだったりして。

まあ、どっちでも良いのだけれど。
私は泥のついた長靴で地面をしっかり踏みしめ、庭の主として君臨している。夫がいない間に、花壇は私の天下だ。

去年の秋、期待を込めて植えたネモフィラ。
その青い花が、まるで「あの人の話、信じているの?」と首を傾げているように揺れている。

足元を、骨の浮き出た野良猫が通り過ぎる。
 「あなたも、見透かしているの?」
猫は答えず、優雅に去っていく。

夫の必死な嘘(かもしれない話)は、この痩せた猫の尻尾よりも私には価値がない。

「わかったわ。信じるわよ。帰ったらゆっくり聞かせてね」
信じているフリをしておけば、夫は後ろめたさから、きっと豪華なお土産を買ってくるだろう。

やはり、亭主は元気で留守が良い。
嘘の匂いがするお土産なら、なおさら良い。



※フィクションです。
見出しの写真は我が家の花壇のネモフィラです。

※はらとけい様、どうぞよろしくお願いします。


いいなと思ったら応援しよう!

小杉かほり よろしければ応援お願いします。 いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます。