なぜ経済学者は負の所得税を支持するのか
なぜ経済学者は負の所得税を支持するのか?そもそも経済学者が支持しているというソースはどこだ、と言われそうなので最初にそれを示しておこう。
The government should restructure the welfare system along the lines of a “negative income tax.” (79%)
「政府は福祉制度を“負の所得税”の仕組みに沿って再構築すべきである。」(79%)
有名な『マンキュー経済学』の著者のマンキュー先生のブログからの引用だ。経済学者を対象にしたアンケートでは79%が「負の所得税」に賛成している。それはなぜなのか?僕の推測を話そう。
負の所得税とは
負の所得税とは一定の基準額を定め、その基準額と所得の差額を一定の税率に従って給付する政策だ。

たとえば、基準所得が年間100万円で、税率が50%であれば、無所得者には50万円の現金給付が行われる。所得が50万円のものには25万円の給付が行われる。基準所得を超えるものはまた別の税率が適用される。そして、基準所得を超える人から徴税した所得税が再分配の財源として当てられる。
再分配政策を設計する上で条件
まず、再分配政策に必要な条件から考えよう。そして、その条件に見合うのが基本的には負の所得税しかないことがわかるはずだ。それでは必要な条件を上げていく。
条件①:一括税、一括補助金は使えない
一括税とは無条件で固定された金額を特定の主体から徴収することだ。一括補助金はその逆で無条件で固定された金額を特定の主体に給付することだ。この一括税や一括補助金のいいところは課税や補助金の条件が無条件であるため人々のインセンティブが補助金給付後、課税後で変化しないということだ。
条件をつけると基本的に罰金になるためそれをしなくなるインセンティブが働く。そして、この一括税や一括補助金を「うまく」使えば効率性を損なわずに再分配ができることが経済学では証明されている。
厚生経済学の第2基本定理:いかなるパレート効率的な配分も、一括固定税と一括補助金を使った所得再配分を行えば、完全競争市場均衡として実現できる
じゃあなんでこれがつかえないかって?それは政府が「うまく」使えないからだ。まず、一括税と一括補助金を使った配分を行うには人々の「初期保有量」を知る必要がある。でもこの初期保有量、知るのがとても難しいんだ。この初期保有量は単なる資産や所得だけではない。例えば「どんな技能を持っているか」「病気によくかかるかどうか」「イケメンか否か」などなど‥。初期保有量を知るには政府はほとんど全ての情報を知る必要があるがはっきりいって無理だ。だから一括税や一括補助金を用いた再分配は使えないんだ。
それに初期保有量に基づいた一括税や一括補助金を通した配分は差別的になる可能性が極めて高い。例えば政府は初期保有量を完全に把握できないとして、その上で
「初期保有量は観察できないけれど、初期保有量に相関し、かつインセンティブを歪めないような指標に基づいて一括税と一括補助金を使おう。そうすれば『平均的には』再分配ができるはずだ!」
というような考え方は成立するだろう。ではこの考え方に基づいた具体的な課税方法を考えてみよう。例えば「身長への課税」とかが考えられる。身長と所得は強く相関している。だから初期保有量と身長が相関している可能性は極めて高い。そして、簡単に身長を縮めたり大きくしたりすることはできないのでインセンティブが歪まない。ゆえに高身長に一括税を課して、低身長に一括補助金を課したらどうだろうか?
実際にこのような考察を行なっている経済学者もいる。(その経済学者はもちろん賛成してない。あくまで思考実験としてだ。)
他にも「生まれた時に白人か黒人かを判断し、白人に一括税を課税して黒人に一括補助金を支給する」という案もあるかもしれない。まず、白人は黒人よりも一般的に差別を受けないし、平均的な所得も高い。となると初期保有量と人種は相関関係があり、指標として適切かもしれない。そして、白人か黒人かは生まれた時に判断され課税されるのでその後に「黒人になろう」というようなインセンティブもない。人種課税は効率性を損なわずに再配分ができる。
では「身長課税」や「人種課税」は正当だろうか?おそらく多くの人は同意しないだろう。私も同意しない。基本的に「インセンティブを歪めないような指標」とは「自分ではどうにでもできない指標」なんだ。これに課税するのは多くの人間の道徳的直感に反する。ゆえに基本的に政府が一括税と一括補助金を使って再配分するのは困難と考えるべきだ。だからまず、一括税や一括補助金は使えないという条件を置く。
条件②:現物支給ではなく現金支給であるべきである
ミクロ経済学の消費者理論では、個々人はあたかも自身の選好をもとに作られた効用関数を最大化するかのように消費点を決定するとされている。もし消費者がAよりもBを好むならば、実際にAとBが用意されたならばBを選ぶだろうし、そちらのほうが厚生水準が高いということだ。基本的に現物支給は非効率だ。
だから選択可能性がある現金のほうが現物よりも効用最大化においてはよいのだ。特定の商品を現物で支給するにせよ、ある特定の商品の種類(例えば食料など)の割引券を支給するにせよ、現金を直接支給するよりも厚生水準は下がるか同等になる。このことはミクロ経済学の古典的な消費者理論を用いれば簡単に証明できる。
現物支給よりも現金支給というのは実際多くの経済学者が賛成している。
Cash payments increase the welfare of recipients to a greater degree than do transfers-in-kind of equal cash value. (84%)
「現金給付は、同額の現物給付よりも、受給者の厚生をより大きく高める。」(84%)
政府はすべての情報を知っているわけではない。個々人の効用関数を観察し、それに合う現物支給を行うということなどできない。個々人がどのような選好を持っているか、どのような効用関数なのかはそれぞれの個人以外には知りえない情報なのだ。(効用関数なんて知らないよ!という人もいるかもしれない。それは確かにそうだ。その場合はこう言い換えよう。個々人のニーズは個々人しか知らない。)
しかしながらパターナリストは「悪い使い方」をするかもしれないので現物支給にすべきだ、というかもしれない。ではその悪い使い方とは何だろう。まず経済政策の原則論に立ち返ろう。経済政策、要するに政府の介入は市場の失敗がある場合に限られる。そして、もし受給者に制限をかける根拠があるとすれば外部性と情報の非対称性だろう。
例えば薬物を消費することは犯罪の増加など負の外部性がある。故に一定の規制は正当化される。他にはとんでもない毒が入っている食品を知らぬ間に買って食べてしまう可能性がある。これは情報の非対称性の一種だが、このような場合規制や情報の開示などが正当化される。しかしながらこれらの問題は受給者の消費活動に限った話ではない。
消費活動における負の外部性や情報の非対称性の問題において、社会保障制度の受給者に限定されるべき問題が特にない。故に消費活動における負の外部性や情報の非対称性は社会保障制度とは違う別の政策により対処すべきだ。となるとこれらは社会保障制度とは別の議論だ。
で、外部性や情報の非対称性の問題を切り離したうえで「受給者限定で消費活動に制限をかける理由」はあるだろうか?もしあるとすればそれは「個々の利害を超越した価値判断」である。
「ギャンブルは堕落だから禁止すべき」
「健全な娯楽ではないから補助対象から除外すべき」
こういった個々の利害を超越した価値判断を行うことは極めて危険だし、功利主義者が最も敵視しているものの一つといってよいだろう。個々の利害に還元できない価値判断の例が道徳や宗教などだ。
宗教「同性愛は悪だ」
功利主義者「同性愛は他者に危害を加えてない。損失を与えてない以上認められるべきだ。」
宗教「いや生物として不健全なのだ!!」
このように個々の利害を超越した価値判断は人々の幸福を減少させるし自由も制限する。だから効率的で幸せで自由な社会を維持したい場合、こういった価値判断は積極的に拒否しなければならない。
それに現物支給は政府と事業者の癒着という問題もある。どの商品を選定するか、どの事業者を選定するかというのを「完全に理性的な政府が行える」と考えること自体おかしい。こういったところに政府の失敗のコストが生まれる。現物支給は単に消費活動において非効率的であるだけでなく、政府の失敗も含めてさらに非効率的なのだ。
再分配を現物支給によって行うべきではないという条件は単に現物支給を禁止するだけでなく、他の政策と再分配政策を混ぜる行為も禁止する。例えば年金制度と再分配政策、例えば公的医療保険と再分配政策を混ぜるのを禁止する。あくまで再分配は再分配を目的とした政策を独立して作るべきであって、年金サービスや医療サービスに混ぜて再分配をすることは現物支給が非効率なのと同様に非効率なのだ。
条件③:給付は崖ではなく坂であるべき
給付はある所得水準になると急になるなる、というような設計ではなく、所得水準の上昇とともに徐々に少なくなっていく制度が望ましい。なぜなら急に給付がなくなると労働に対するインセンティブがなくなるからだ。これは所謂労働と余暇の二財モデルで示せる。
この崖よりも坂の方が望ましいというのは直観的にも理解できることだが、モデルでも示すことができる。これについてわかりやすく解説している動画があるので貼っておく。
条件④:効率性と公平性はトレードオフであるため最小の厚生損失で最大の公平性を達成すべき
一括税や一括補助金が使えない。そうである以上は徴税や給付の際に厚生損失が発生するのは必然だ。ゆえに、必然的に効率性と公平性はトレードオフになる。これは課税手段がインフレ税でも同じである。だからこそ、最小の厚生損失で最大の公平性を達成しないといけない。
再分配には基本的には政府が観察可能であり、かつ公平性を損なわない指標を基準として行うのが良い。例えば所得という指標を基準に再分配を行うのは、多くの人の道徳的直感にかなうだろうし、公平性も担保される。
しかしながら所得を基準に行うとインセンティブを歪める結果になる。基本的にいくつかの事項はトレードオフとなっている。
ー、受給者の限界税率(これは1-税率で表現できる)を低くすると受給者の労働インセンティブが増えるが給付額が増加するため納税者の限界税率が上昇し労働インセンティブが減少する。
ー、受給者の最低給付額が増えるとより公平性が高まるが給付額が増加するため納税者の限界税率が上昇し労働インセンティブが減少する。
トレードオフであるため基本的にはそれぞれの変数を操作できる制度設計の方が望ましい。制約条件が多くなると最小の厚生損失で最大の公平性を達成するのは難しくなる。
上記の条件を満たす再分配政策
上記の条件をうまく満たす再分配政策が今の所、負の所得税かその亜種しかないのだ。負の所得税は、所得の低い者に対して現金給付を行いながらも、所得の増加に伴って段階的に給付を減額していく「滑らかな」制度設計を特徴とする。これにより、貧困削減という再分配の目標と、労働供給へのインセンティブを維持するという効率性の要請の双方を両立することが可能となる。
さらに現金給付という形をとることで、受給者の異質な選好を尊重し、政府の厚生関数が個人の効用関数と一致しないという問題を回避できる。
一方で、負の所得税に代わる制度案としてしばしば提案されるのがベーシックインカム(BI)であるが、受給者の限界税率や、納税者の限界税率などが操作できない点で最小の厚生損失で最大の再分配を達成するのが難しくなる。一回BIに必要な予算を計算してみればわかるが、明らかに膨大な予算が必要だ。膨大な予算が必要だということはそれだけ課税が膨大になるということだが、それは巨大な厚生損失を生み出す。ゆえに条件④を満たさない。
具体的に負の所得税の基準額をいくらにするか、給付率をいくらにするかというのは社会的厚生関数を最大化するように決定すれば良い。どの社会的厚生関数を採用するかは直接言及しない点で、多くの人に受け入れやすい制度だろう。比較的弱い価値判断のもとでも受け入れられるはずだ。
経済学的に望ましい条件をいくつか考え、それに合う制度が負の所得税のみであったため経済学者に幅広く支持されるようになったのであろう。
