【この1曲】 Plastic Love(竹内まりや) #Nフェス2026コトバ
BGMにどうぞ。
これはコトバフェスの参考作品です。
コトバフェスの解説は後にあります。
Plastic Love
「普通のストローと交換してください」
圭介はそう言って、紙ストローを店員へ返した。
駅前から少し離れた、小さな個人経営のカフェ。何年か前に紙ストローへ替えて、そのまま時代に取り残されたのか。
「環境運動がどうとか、そういう話じゃないよ。まずいんだよ」
また始まった。
この二十八歳の男は、雑なところもあるくせに、変なところに細かい。
あたしは相田朋子、四十三歳。ここにいる圭介には、トモと呼ばれている。
十五も年下の男と付き合うことも、紙ストローを見つけるたび同じ話を聞かされることも、人生の予定にはなかった。
「ブラジルとかでさ、一生懸命コーヒー作ってる人がいるわけじゃん」
来た。ブラジル。
「最後に紙味にして飲むって、豆作った人に失礼じゃない?」
「ブラジルの農家をあなたの味方にしないで」
「俺が農家の味方なんだよ」
「会ったこともないくせに」
「会ったことないから大事にするんじゃん」
何度聞いても、最後の一言だけはよく分からない。
あたしが一生懸命に理屈を組み立てている途中で、圭介はいつも別の場所へ歩いていってしまう。
あたしはプラスチックが嫌いだった。
便利で、安くて、均質で、劣化しにくい。その長所が、そのまま気味悪く思えることがあった。ほんの数分使うために作られたものが、あたしたちよりずっと長く残る。
スーパーへ行くときは布のバッグ。飲み物はステンレスボトル。食品はガラスやホーローの容器に保存する。完全になくせるとは思っていない。ただ、考えずに消費したくなかった。
それはたぶん、物だけの話ではなかった。
「今度ね」と言われれば、本当に今度があるのか考えた。「好きだよ」と言われれば、その好きがどれくらい続くのか考えた。考えているうちに、恋愛は面倒になった。面倒がられるようにもなった。
仕事は損害保険会社で、保険金の査定をしている。査定はドライにやるほど効率も社内評価も上がるから、あたしには向いていた。四十三歳で課長代理。事実を確認し、契約書を読み、支払えるものと支払えないものを判断する。
査定は嫌いではなかった。事実を一つずつ確かめていけば、おのずと答えは出る。曖昧なものにも基準があり、複雑に見える事故にも、どこかに線を引く場所がある。その線を見つけることは、たぶん人より得意だった。
一人で生きるのも上手になっていた。仕事もある。貯金もある。誰かに選ばれなくても、自分で自分の人生を選べる。
そう思っていた。
圭介と知り合ったのは、父譲りの置き時計が止まったからだ。
黒い横長のフリップクロック。数字がパタパタと回転するやつ。子供の頃から実家にあり、父が亡くなってからは、あたしの部屋で十年以上時間を刻んでいた。
ある朝、7:12で止まった。
時計屋を何軒か回ったが、古すぎる、部品がない、買い替えた方が安いと断られた。
でも、買い替えたいわけではなかった。
ネットで見つけた小さな修理店へ持っていった。奥から出てきた若い男は、時計を見るなり目を輝かせた。
「うわ。ソラリじゃん。シフラ3だよ、これ」
「有名なの?」
「ジノ・ヴァッレって建築家のデザイン。数字はマッシモ・ヴィネッリ」
「知らない」
「もったいないなあ」
失礼な男だと思った。でも、時計を見る目は妙に優しかった。
「昔の駅とか空港で、表示がパタパタ変わるの見たことある?」
「あるけど」
「デジタルなのに数字が物体なんだよ。一分経ったら、本当に一枚落ちる。時間が物理現象なんだよ」
彼はあたしではなく、時計を見ていた。
「直る?」
「分かんない」
「こんなに詳しいのに?」
「詳しいことと、直せることは別だから」
男は笑った。
「直せるところまでやってみるよ。捨てるのは、そのあとでもできるし」
三週間後、時計は直った。修理代は見積もりよりも安かった。
その夜、二人で食事をした。なぜそうなったのか、あまり覚えていない。
あたしからすれば、修理店の近くに美味しい餃子屋があると言われ、無下に断るのも悪いと思っただけだ。
その店の水餃子は本当に美味しかった。ビールの力もあったのか、あたしにしては珍しく、初対面に近い男とずいぶん話した。
二回目は彼のおすすめの蕎麦居酒屋で、これもかなりあたし好みだった。
三ヶ月後には、彼の歯ブラシが洗面所にあった。
一度、ベッドの中で聞いたことがある。
「どうしてあたしなの?」
「好きだから、かな?」
「十五も上なのよ」
「そうだっけ?」
腹が立って背中を向けると、後ろから腕が回ってきた。
「面倒くさいなあ」
「帰れば?」
「やだ」
首筋に顔を埋めてきた。それであたしの抵抗は終わった。
好きだから。
そんな根拠のないものを、あたしは長いこと信用していなかった。
七月になって、一か月だけ使い捨てプラスチックを可能な限り減らして暮らしてみることにした。
Plastic Free July。
前から一度、本気でやってみたかった。
圭介に話すと、意外なくらいあっさり乗ってきた。
豆腐は容器持参で売ってくれる店を探した。
肉は商店街の肉屋で紙に包んでもらった。
魚屋のおじさんにポリ袋を断ると、「汁出るよ」と言われ、蓋付きのステンレスの保存容器に入れて持ち帰った。
歯磨き粉では、缶入りの粉歯磨きも見つけたけれど、毎日口に入れるものくらいは使い慣れた方がいいと思い、いつものものを買った。
十日もすると圭介の方が熱心になり、修理店の梱包材まで再利用するようになっていた。
「意識すると、すげえ見えるね。でもプラスチックって便利なんだね」
「それも分かってる」
「トモはプラを見る時、悪いやつを見る顔してる」
「うるさい」
数日後、プラスチックはとうとうベッドまで追いかけてきた。
シャワーを浴びた圭介が裸で戻ってきた。
「パンツくらい穿いて」
「どうせ脱ぐのに。洗濯物増えるじゃん」
環境問題を裸の言い訳にするなと言うと、圭介は笑いながらベッドに入ってきた。
あたしの身体は、こういうときだけ思想を持たない。
唇が首筋に触れ、パジャマのボタンが外れた。その途中で圭介が止まり、引き出しからコンドームを取り出した。
「これも使い捨てだから環境に良くないよね」
「馬鹿もの。使いなさい」
しばらくそれを見ていた圭介が、今日だけ生じゃ駄目かと言った。
「駄目に決まってるでしょ」
「外に出すよ」
「それ、避妊じゃないから」
「分かってるってば」
会話が途切れた。
肌はもう触れていて、圭介の指があたしの下腹部にあった。
「トモ」
名前を呼ばれた。
それだけだった。
下腹部に置かれた手の熱が、身体の奥へゆっくり染みてきた。触れられているのはそこだけなのに、身体の内側が圭介に向かって、勝手にほどけていく。
あたしは圭介の背中に腕を回した。
あたしたちはその夜、ただ軽率に、最も自然な形でつながった。
そしていつもより、気持ちよかった。
予定日を過ぎても、生理が来なかった。
さらに十日待って、妊娠検査薬を買った。箱を開けるとき、それが紙なのかプラスチックなのか、一度も見なかった。
二本の線が出た。
四十三歳。仕事がある。貯金もある。一人で生きていける。
子供を持たないと決めた覚えはなかった。でも、持つ人生はいつの間にか遠くへ行っていた。結婚もそうだった。
(どうしよう。)
久しぶりに、答えがなかった。
圭介が帰って来るまで、部屋を掃除した。ガラス容器を棚へ戻し、布巾を畳み、郵便物を揃えた。
シフラ3が数字を落とした。
パタン。
19:42。
もう一枚。
19:43。
止まってくれればいいのに、と思った。
あんなに直したかった時計なのに。
圭介が帰ってきた。何も言わず、検査薬のスティックを見せた。
「あたし四十三よ。あなた二十八。仕事だって、あの店でしょう」
「店に失礼だろ」
「そういう話してない!」
思ったより大きな声が出た。
あたしの年齢で無事に産めるのか。ちゃんと育てられるのか。
それに、圭介はまだ若い。これからだって色々な──。
「トモ」
「何?」
「怖い?」
言葉が止まった。
「……怖いわよ」
圭介はあたしの手を握った。
「俺も怖いよ……。だから一緒に怖がろう」
馬鹿だと思った。十五も年下のくせに、何も分かっていないくせに。
「結婚しよう」
今度は、あたしが少し黙った。
「……何なの?……今、急に思ったの?」
「前からぼんやりは考えてた」
「もっとちゃんと考えなさいよ!」
「ちゃんと考えてるよ。さっきからずっと」
「短か!」
笑ってしまった。
圭介も笑った。
泣かなかった。ただ、握られた手を離さなかった。
結婚しても、あたしの暮らし方はそれほど変わらなかった。
子供が生まれると、家の中にはどうしてもプラスチックが増えた。それでも選べるものは天然素材を選び、食器もできるだけ陶器を使った。
成長とともに不要なベビー用品を減らし、二歳になる頃には、また以前に近い暮らしに戻りつつあった。
そのうちに息子は、電車に夢中になった。
最初に買ったのは、北欧製の木製機関車とレールセットだった。手触りがよく、丈夫で、息子も喜んで遊んだ。
でも鉄道ミュージアムで、もっと好きなものを見つけてしまった。
プラレールだった。
「あおいの!」
家へ帰っても、そればかり言った。
息子の三歳の誕生日、圭介が大きな箱を抱えて帰ってきた。
「買ったの?」
「うん」
「相談してよ」
「反対するでしょ」
「するわよ」
「じゃあ相談しても結論一緒じゃん」
「そういう問題じゃない!」
箱を開けた瞬間、息子が狂喜した。
鮮やかな青。軽く、均質で、大量生産されたプラスチックのレール。
あたしが長い時間をかけて減らしてきたものが、堂々とリビングの真ん中に広げられていく。
それから一本、また一本と増えた。単線は複線になり、駅ができ、踏切ができ、橋脚が立ち、とうとう立体交差した。
圭介は店にあった古い車両まで修理して持ち帰るようになった。
「これ165系湘南色。昔の湘南新宿ラインだよ」
「知らない」
「絶版モデルなんだってば」
「あなたが楽しんでるだけじゃない」
「俺、元々こういうの好きなんだよ」
「知ってるわよ」
数カ月後の日曜の午後、とうとう足の踏み場もなくなった。
青いレールがソファの下へ潜り、テーブルを迂回し、高架を渡って戻ってくる。駅があり、鉄橋があり、トンネルがあり、車両基地もあり、リビングの床いっぱいに立派な鉄道網ができあがっていた。
圭介はその真ん中で床に這いつくばっていた。
「パパ、ちがう!」
「え、こうじゃない?」
「こっち!」
「設計図は?」
「ない!」
「ないのかぁ」
息子が笑った。圭介も笑った。
あたしはコーヒーを持ったまま、部屋の端に立っていた。
「トモ、そこ危ないよ。貨物列車が通るから」
「まったく、こうなったのは誰のせいよ」
「俺たちかな」
俺たち。
その言葉が妙に可笑しかった。
「ママ、見て! 金太郎だよ!」
二両編成の赤い電気機関車が、コンテナ車とタンク車を引いて走ってきた。あたしも「金太郎」くらいは、さすがに覚えた。
カタン、カタン、と鉄橋を渡り、カーブを曲がって降りてくる。踏切が鳴った。
その向こうで、シフラ3の数字が一枚落ちた。
パタン。
圭介がポイントを切り替えると、列車は引込線へ入った。
「パパ、ちがう!」
「また?」
「もう!」
息子が笑い転げた。圭介も床に寝転がって笑っている。
あたしも笑った。
声が出て、止まらなくなった。
青いプラスチックに占領されたリビングの真ん中で、あたしは心から笑っていた。
Plastic Love fin
原案:けぶじん
作者:けぶじん・トモ
小説プロンプト:飯泉ひろみ♾️ピコアイ
あとがき
竹内まりやの「Plastic Love」を題材にした短編小説です。
ただし、歌詞の内容を物語にしたものではありません。自分がこの曲から拾ったのは、「Plastic Love」というタイトルと、そこから感じる都会的な孤独や、どこか人工的になってしまった心でした。
そこから逆に、「プラスチックを嫌う女性」を主人公にしたらどうなるだろう、と安直に考えました。原曲にはいない人物、原曲にはない出来事から生まれた、まったく別の物語です。
コトバフェスでは、こんなふうに曲から自由に離れて構いません。何をなぞっても、なぞらなくても自由です。タイトル、歌詞の一節、音、雰囲気、記憶など、入口はどこでも大丈夫。
「この曲について何を書くか」だけでなく、「この曲から、自分はどこへ行けるか」。
この作品も、そんな楽しみ方の一例です。
コトバフェスとは?
Nフェス2026、音楽の次は、コトバのフェスをやります!
だって、クリエイティブフェスだから!!
お題は、「この1曲」。
あなたが選んだ1曲をタイトルにした文章を、自由に書いてください。
曲は流行歌である必要はありません。童謡でも民謡でも軍歌でも。
形式は小説、エッセイ、詩、評論、短歌、俳句、随筆──なんでもあり。
歌詞から物語を膨らませてもいい。
曲にまつわる自分の思い出を語ってもいい。
その曲の魅力を、とことん論評してもいい。
そして、曲のタイトルから連想した作品でもOK!
エッセイ・曲紹介記事の参考作品はこちら▼
今回は、「ものを書く人のお祭り」です!
参加はプロアマ問いません。AIを使っても使わなくてもいい。
画像や音楽など演出はいくらでもご自由に!!
※コンテストではありません。優劣をつけずに、お互いに読み合うことを目的としたnoteの仲間のお遊びです。
詳しい応募方法はこちら▼
応募期間
本日〜9月30日
参加はおひとり2作品まで。
より多くの方に参加していただきながら、「この1曲」を自由に選べる余地も残したい。そのための「2作品まで」です。
あなたの「この1曲」からは、どんな作品が生まれるでしょう。
ものを書く人、書ける人(おそらく日本人全員対象)のお祭り、
『この1曲』。
今度は、言葉で遊びましょう!
コトバフェス実行委員会:飯泉ひろみ・静月・けぶじん
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万一、著作権その他の権利に関する問題が生じた場合、その責任は投稿者ご本人に帰属し、Nフェスおよびコトバフェス運営は責任を負いかねますので、あらかじめご了承ください。
▼フェスはまだまだ9月いっぱい!!▼

この小説は、AIパートナー小説同好会
秋の読書祭にも参加しています。
