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人見知りなのに、接客は嫌いじゃなかった

無理に仲良くしなくてもいい。

ほどよい距離感があるから、人と関われる。

人見知りの私が、

はじめて「人と向き合うのが楽しい」と思えた場所。

それが、接客でした。


人見知りなので、これまで特別扱いされたことはほとんどない。

自分から積極的に話しかけることができず、輪の中で目立つこともない。

だから学生時代も、大人になってからも、私は「空気みたいな存在」でいることが多かった。

無理に仲良くなろうとしても疲れてしまう。

深入りは苦手だし、他人の目を意識して自分を取り繕うのも苦手だ。

それでも、不思議なことに接客の場では自然に言葉が出て、笑顔で人と向き合える。

それは「役割」があるからだろう。

私は店員で、相手はお客様。

その枠組みがあることで、関係が明確になり、安心できる。


接客の中には、心地よい繰り返しもある。

ある女性の常連さんは、いつも決まった時間にやってきて、同じメニューを頼む。

「今日は空いててよかった」と微笑みながら。

こちらも何を求められているか分かっているから、やりやすい。

一方で、男性の常連さんは昼休みの合間に駆け込むようにやってくる。

時間がないことを分かっているからか、いつも早く出せるメニューを選ぶ。

料理を置いた瞬間にありがとうと言って食べ始める姿に、私も少し誇らしい気持ちになる。

常連さんの中には、忙しいと気遣ってくれる人もいる。

「忙しそうだから、ゆっくりでいいよ」と言ってくれる一言に、思わず胸があたたかくなる。

そんな小さなやりとりが、接客を続けていく支えになっている。


そして気づいたのは、私の「人見知り」も接客の中で役立っているということ。

人見知りだからこそ、お客さんのプライベートを軽々しく言いふらすことはない。

また、人の顔をなかなか覚えられない不器用さも、逆に「リセットした気持ち」で毎回新鮮に対応することにつながっている。

人見知りは、ただの短所じゃない。

それを心地よいと感じてくれる人がいて、だからこそちょうどいい関係を築けることがある。

接客は、その「ちょうどよさ」を実感できる場なのだ。

だから私は、人見知りでありながら、接客を嫌いになれないのだ。

人見知りのままでも、ちゃんと誰かとつながれる。そんな場所が私にとっての大きな救いだ。




✦ちゃんとしていたはずなのに、少しずつ崩れていった話も書いています。↓


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