孤独なリーダーが「頑張っているのに、誰にも分かってもらえない」と思った日に。― 自分の役割を見失わないために ―
師長になってから、ときどき思う。
「私、こんなに考えているのに、誰にも分かってもらえないな」
スタッフのために考える。
患者さんのために考える。
病棟のことを考える。
上司から言われたことを、そのまま伝えるだけでは現場は動かないから、どうしたらスタッフが納得して動けるのかを考える。
うまくいかなければ、自分の関わり方を振り返る。
それでも、何もかもがうまくいくわけじゃない。
むしろ、管理者になってからのほうが、
「なんで分かってくれないんだろう」
と思うことは増えた気がする。
そして、たまに思う。
「私だって、できねーよ。」
そんな日は、ちゃんとある。
「私のほうが頑張っているのに」と思ったことがある
私は今の病院に、最初から管理職として入ったわけではない。
中途で入り、パートとして働いていた時期もある。
そこから少しずつ仕事を任されるようになり、教育や委員会の仕事に関わり、部署を異動しながら、その時々の課題に向き合ってきた。
「自分なりに、結構やってきたよな」
そう思っていた。
だから、自分より先に昇進した人を見たとき、
「……なんだかなーーーーーー。」
と思った。
正直に言う。
今でも、まったく何も思わないわけではない。
「私だって、結構やってきたんだけどな」
と思うことはある。
人間だから。
給料だって違う。
役職だって違う。
頑張った分だけ、同じように評価されるとは限らない。
そんな現実を目の前にすると、そりゃあ「なんだかな」と思う。
でも、あるとき、ふと考えた。
「私は、誰に評価されるために働いているんだろう?」
私が本当にうれしかった言葉
その頃、スタッフから言われた言葉がある。
「師長さんが来てから、病棟の雰囲気がよくなりました」
「働きやすくなりました」
「師長さんに、もっといろいろ教わりたいです」
「師長さんが異動するなら、私もそっちに行きたいです」
その言葉を聞いたとき、うれしかった。
すごく、うれしかった。
そして思った。
ああ、私は上司に評価されるために働いているんじゃないんだ。
もちろん、評価されることが嫌なわけじゃない。
昇進だって、給与だって、どうでもいいわけじゃない。
でも、それだけではなかった。
私が本当に残したいものは、役職でも、肩書きでもなかった。
自分の考え方や看護観を、誰かが受け取ってくれること。
そして、それをそのまま真似するのではなく、
「私はこういう看護がしたい」
と、その人自身の看護を見つけてくれること。
そういう後輩を、一人でも多くつくりたい。
その人たちが患者さんやご家族に関わり、その人らしく過ごせる時間をつくっていく。
もしそれができるなら
私が何番目に昇進したかなんて、たいした問題じゃないのかもしれない。
そう思えるようになった。
でも、「人と比べない」なんて無理だ
ここは、きれいごとを言いたくない。
「私はもう人と比べません」
なんて、言えない。
比べる。
落ち込む。
「なんで私じゃないんだろう」
と思う日もある。
誰かが評価されたら、素直に喜べない日だってある。
そんな自分を、
「管理者なんだから、そんなこと思っちゃダメ」
と押し込める必要もないと思っている。
大切なのは、
その感情を持ったあと、どうするか。
私は、そこで一度立ち止まるようになった。
「私は、何が悔しいんだろう?」
「評価されたいのか?」
「認めてほしいのか?」
「それとも、自分がやってきたことに意味があったと思いたいのか?」
そうやって考えていくと、少しずつ見えてくる。
感情そのものが悪いわけじゃない。
でも、感情のまま自分の価値まで決めてしまうと、苦しくなる。
孤独なリーダーが、自分を守るために持っていたい3つの視点
ここからは、私自身が少しずつ身につけてきた考え方。
①「評価」と「自分の価値」を分ける
上司から評価されなかった。
スタッフに理解されなかった。
病棟目標が達成できなかった。
思うように人が動かなかった。
これらは、もちろん管理者として振り返る必要がある。
でも、
「うまくいかなかった」=「自分には価値がない」ではない。
ここを一緒にしてしまうと、管理者は本当に苦しくなる。
だから私は、
「今日、師長としてやるべきことはやったか」
を見るようにしている。
結果だけではなく、役割を果たすために自分がどう動いたかを見る。
②「自分が背負うこと」と「相手に返すこと」を分ける
スタッフの問題が起きたとき、
「私がなんとかしなきゃ」
と思う。
でも、スタッフ本人が考えて、行動して、乗り越えなければならないことまで、師長が背負ってしまったら、その人は育たない。
師長ができるのは、
考えるきっかけをつくること。
必要な環境を整えること。
一緒に考えること。
必要なときに支えること。
そして、本人が向き合うべきところは、本人に返すこと。
「支える」と「背負う」は違う。
これは、私自身が何度も失敗してきたからこそ、今でも意識している。
③「自分は何を残したいのか」を持つ
役職も。
評価も。
病棟の数字も。
もちろん大切。
でも、それだけを追いかけていると、いつの間にか「何のために師長をしているのか」が分からなくなる。
私は、
「私がいなくなったあとも、私が大切にしてきた看護が誰かの中で生きていたらいい」
と思っている。
でも、それも「私の考えをそのまま引き継いでほしい」ということではない。
私から何かを受け取って、
そこから自分の看護をつくってほしい。
そして、その看護が患者さんやご家族のために生かされてほしい。
それが、私が残したいものだと思っている。
それでも、明日また「なんで分かってくれないの?」と思う
たぶん、これからも思う(笑)。
師長だって人間だから。
イラッとする日もある。
落ち込む日もある。
「もう知らない」と思う日だってある。
でも、昔と少し違うのは、
「分かってもらえないこと」と「自分の仕事に意味がないこと」を、同じにしなくなったこと。
そして、
「私は何のために、この役割をしているんだろう」
と、もう一度戻れる場所ができたこと。
管理者になったら、孤独がなくなるわけではない。
むしろ、増えることもある。
だからこそ必要なのは、
「孤独にならない方法」ではなく、
孤独なときに、自分を見失わないための軸を持っておくこと
なのだと思う。
今日、少しだけ立ち止まって考えてみてほしい
もし今、
「頑張っているのに、誰にも分かってもらえない」
と思っているなら。
今日、こんなふうに自分に問いかけてみてほしい。
私はいま、何を「分かってほしい」と思っている?
それは「評価」?「理解」?それとも「自分の存在を認めてほしい」という気持ち?
私が背負わなくてもいいことまで、背負っていない?
私は、この仕事を通して何を残したい?
今日、管理者として「やるべきこと」はできた?
全部答えなくていい。
一つだけでもいい。
私は最近、迷ったときほど、
「私は何のために、この役割をしているんだっけ?」
と考えるようにしている。
答えが毎回同じとは限らない。
でも、その問いに戻ると、少しだけ自分の足元が見える。
師長だって、「できねーよ」と思う。
それでいい。
完璧じゃなくてもいい。
ただ、感情に飲み込まれたまま終わらない。
自分の役割を、自分で見失わない。
それが、孤独なリーダーが長く働いていくために、私が今いちばん大切にしていることだ。
次回は……
「仲が良いチームほど、本音が言えなくなる。」
仲がいい。
人間関係も悪くない。
大きなトラブルもない。
なのに、なぜか誰も「それ、ちょっと違うんじゃない?」と言わない。
そんなチームで起きていることと、関係性を壊さずに一歩踏み込む方法について書きます。
