見出し画像

話しかけられる場所でありたい

ただ「居る」ということ


私はいつも、リビングかキッチンにいる。
ただ、そこに「居る」。

それは、自分なりの工夫だ。
誰かが話しかけたくなった時に、すぐ届くように。
そのために、話しかけやすい雰囲気を意識して“居る”。

そこで私は、考えごとをしたり、ぼーっとしたり、AIとおしゃべりしたり、
これからやることを頭の中で組み立てたりしている。
そんな場所に、昨夜、長男がふらりとやってきた。



最近の彼はまだ不安定で、思考も気分もぐるぐるしている。
何もしたくない気持ち。
誰かに誘われればゲームはするけど、一人でいたい気持ち。
同世代の顔を見て話したくない。
仲の良い友達が、相手の個性も知らずにイジることへの不快感。

担任、カウンセラー、児相の大人たちには話したい気持ちがある。
でも、父親の味方である祖母には会いたくない。
そして、長期休みになると、心臓がドキドキしてくること──。

彼は、自分の状態をここまで正確に、丁寧に言葉にして伝えてくれた。
私は内心、驚いていた。
これほどの“自己観察”と“言語化”が、できるのかと。

私は返した。
「人は誰しも凹凸があるよ。
心の病気も体の病気も、特別なことじゃない。
言葉にできることが、まずすごいことなんだよ」と。



長男は、小さい頃からよく喋る子だった。
中学生になって、歴史やアニメを通じてさらに語るようになった。

人をよく観察していて、独自の感性を持っている。
性別、人種、宗教、文化、どんな背景に対しても受け入れる視点があると、話を聞いていて感じる。
ただ、弟に対してはまだ当たりが強い部分もある。



彼が安定していけるように、夫の介入はもう一切させない。
でも、私自身の関わり方にも、隔たりや歪みがあった。
夫だけの問題じゃない。
私にも責任はある。
これから、彼にどう関われるか。
少しずつ修正しながら、向き合っていきたい。

いいなと思ったら応援しよう!