あんなの善意に、るるかが引いた線【名探偵プリキュア】
他人のために動くことは、本当に“善”だけで成立するのか。
『名探偵プリキュア』15話を見ていて、
ずっと引っかかっていた言葉があります。
森亜るるかの、
「依頼があって探偵は成立する」
という一言です。
初見では、
少し冷たく感じる台詞かもしれません。
困っている人がいるなら助ければいい。
実際、主人公・明智あんなは、その精神で動いています。
しかし、よく考えると、
ここには単なる屁理屈ではない、
“探偵観の違い”が存在しています。
あんなの探偵像――「ヒーロー」
あんなは、困っている人を助けたい。
困っている人を見ると放っておけない。
自分から踏み込む。
善意で行動する。
彼女にとって探偵とは、
「人を助ける存在」
なのだと思います。
その姿は、
ほとんどヒーローです。
そして子どもたちは、
きっとそんな名探偵あんなに憧れる。
「私も、困っている人を助けたい」
そう思う子も出てくるでしょう。
それ自体は、とても素敵なことです。
実際、
あんなの母は、
彼女を本当に良い子に育てたのだと思います。
人のために動ける。
他人の痛みに気づける。
それは簡単なことではありません。
るるかの探偵像――「観測者」
でも、るるかは違います。
彼女は、
「私は依頼していない」
とはっきり線を引く。
これは単なる拒絶ではなく、
「他者の意思を侵害してはいけない」
という感覚に近いように見えました。
つまり、るるかにとって探偵とは、
“依頼者の意思を前提に成立する存在”
なのです。
だから彼女は、
あんなの“善意だけで踏み込む姿勢”を危うく見ている。
善意は時に、
相手の「助けられたくない」という意思すら踏みにじる。
優しさのつもりでも、
相手の尊厳を傷つけてしまう場合がある。
るるかは、
その危うさをよく知っている側なのかもしれません。
それは、
優しさを否定しているわけではない。
むしろ逆です。
優しい人ほど、
無自覚に自分を削ってしまうからこそ、
るるかはブレーキ役になっている。
そんな風に見えました。
理想のヒーロー像――「明智あんなならどうするか」
近年、
『葬送のフリーレン』の
「勇者ヒンメルならどうするか」
という言葉が大きな支持を集めました。
また海外では、
WWJD(What Would Jesus Do?)
「イエスならどうするか」
という有名な考え方もあります。
理想像を指針にする文化そのものは、
決して珍しいものではありません。
理想は、
人を前向きに導いてくれる。
だから、
「明智あんなみたいになりたい」
と思う子どもが現れること自体は、
とても自然なことだと思います。
ただ一方で、
「理想のために、自分を削り続ける」
方向へ変質してしまう危うさも存在します。
現代社会には、
優しい人を利用する人
善意に依存する人
他人の責任まで背負わせる空気
も確かに存在しています。
だからこそ、
るるかの視点が重要になる。
私は、
この作品が単純な「優しいヒーロー礼賛」だけでは
終わっていないと思います。
あんなに足りないもの――「境界線」
私は、
あんなの母は、
「人を助けたいと思える子」
として、あんなを育てることには成功しているように思います。
ただ、その一方で、
自分を守る方法
危険との距離感
他者との境界線
までは、まだ継承途中なのかもしれない。
とはいえ、あんなは14歳の少女です。
未完成なのは当然でもあります。
だからこそ、
元探偵であり先輩でもある、るるかの存在が大きい。
彼女は、
あんなの理想を否定しているのではない。
むしろ、
「その優しさを、壊させないため」
に線を引いている。
私は、そう受け取りました。
子どもだけでなく、大人も試されている
子どもたちは、
きっと名探偵あんなに憧れる。
では、大人は何を見るべきなのか。
私は、
るるかの言葉の意味を、
ちゃんと受け止める必要があると思っています。
憧れる心を育てることは大切。
でも同時に、
「どうすれば、その優しさを消耗させずに守れるのか」
も考えなければならない。
『名探偵プリキュア』は、
ただ「優しい子になろう」と語る作品ではなく、
“優しい子を、どう守るか”
まで描こうとしている作品なのだと思います。
※私自身、子育て経験があるわけではありません。
それでも、一人の視聴者として、
「優しい子をどう守るのか」というテーマを強く考えさせられました。
