見出し画像

GO!GO!7188を語り始めたはずがどういうわけか長い自分語りになっている。

GO!GO!7188を語る時。なぜだか思い出までセットでよみがえってきて、気づけば自分の話に変わっている。
浜田亜紀子(アッコ)が書く作詞の心情描写がリアルだから、つい自分を投影してしまうのかもしれない。
今日のnoteは需要ガン無視の長い長い自分語りである。

2000年に結成し2012年に惜しまれながら解散した3ピースバンドGO!GO!7188が、昨年デビュー25周年を迎えていた。
周年を記念して全音源の配信開始やOfficial YouTubeチャンネルが開設されている。

ギター&リードボーカルのユウとベースのアッコに憧れた女子は数しれず。
私が女性ベーシストで最初にファンになったのはゴーゴーのアッコだった。ラフな佇まいが同性の目から見ても存在感に溢れていてカッコよかったのだ。

Officialを開き、一番好きだった曲『こいのうた』を久しぶりに聴いた。

間違いなく邦楽ロック史に残る名曲。

教えてください神様
あの人は何を見てる?
何を考え 誰を愛し
誰のために傷つくの?

『こいのうた』GO!GO!7188

ベースとボーカルだけになるこの部分が昔から大好きだった。ベースの単音ってエモいなーとつくづく思う。

自分がやっていたバンドで『こいのうた』をコピーしたことがある。
その頃は「いい曲だなあ」と思いながらも演奏中に泣いたことなんかなかった。むしろ楽しかった記憶しかない。
なのに久しぶりに聴いたら沁みまくって、なんともいえない感情があふれてきてやばかった。
私はまだこの歌で泣けるらしい。“まだ”というか、酸いも甘いも噛み分けた今だから逆に刺さるのかもしれない。
冷静=オトナという図式はひとつの価値感でしかない。大人だってエモがっていいし、泣いたっていいはずで。

大人になれば経験と知識から答えを導くことが簡単になってイージーに生きられそうだな……と10代の頃は思っていた。
でもいざ大人になってみると違った。
正しい答えがわかっていても、従ったところで必ずしも幸せを運ぶとは限らないことを大人は知っている。だから苦悩する。
大人は人前で泣かない、弱音を吐かない、自分の機嫌は自分でとる。世間ではそれらが理想とされているから私もそうしている。
でも本当は人目を憚らずに泣きたい時もある。誰にも告げずに消えたくなる日もある。私だけじゃなく、きっとみんなそう。
本音を押し殺すことばかり得意になっている私達のことを、世間は“大人”と呼ぶ。

“終わることはないでしょう”という歌詞から『こいのうた』で歌われている「恋」は単純に片思いのみを指しているわけではなさそうだと感じる。
憧れや尊敬、慈愛の感情は「恋」ではなく「愛」である。だから薄れない。
この歌の主人公は“永遠の愛”がなんたるかを悟っている気がする。

『こいのうた』と並ぶ、ゴーゴーの代表曲『C7』。
読み方はシーセブン。音楽のセブンスコードの1種で洒脱な印象を与えるためJAZZなどでよく使われる。C7はドミソシ♭でほぼへ長調(Fメジャー)で使われる。

この曲にC7のコードは出てこない。
嬰ハ短調(C♯m)の曲なので出てくるわけがなく、サビの転調部もホ長調(E)なのでやはりC7は関係ない。
なぜC7が使われないスケールにしたのか?には諸説あるが、歌詞のラストに出てくる
“C7を押さえる あなたの指 思い出そうとする”
と関係あるのではないかとする説がある。
思い出そうとしても思い出せないからこの曲にも出てこない……という、ファンが立てたひとつの仮説である。

曲中に“赤いギター”というワードが出てくる。私がこの曲を聴くたびに思い浮かべるのは、高1の時にバイト代を貯めて買った赤いストラトだ。
私はやりたい事を全部やりたかったし、やりたい事が多すぎた。やりたい事のひとつがギターだった。

何はともあれお金がなくては何もできないので高校生という資格を得た4月1日からファミレスでバイトを始めてせっせと働いた。
そして高1の初夏、私は地元で有名な楽器店へと向かった。
アンプ、シールド、チューナー、ストラップ、ケース、スタンド、教本、ギター本体がひとまとめになったノーブランドの初心者セット。予備のピックと弦、ひずんだ音を出すためのエフェクターも一緒に買って帰った。
初めて音を鳴らした瞬間の感動は今でも鮮明に覚えている。
憧れのギターの音を自分で鳴らしているという事実に興奮した。

しかし感動したのも束の間、その後は試練の連続だった。
ピアノが弾けるからってギターのことをちょっと舐めていた私は、まずコードで面食らった。たとえばCのコードなら鍵盤の場合ひとつ飛ばしで押せばドミソになる。鍵盤の位置を覚える必要はない。
ギターはまず押さえる場所から覚えなくてはならない。
そして運指の問題。多くの人が最初の難関とするFのコード。小指が届かなくて唖然とした。
私は女にしては指が長いほうで、ピアノにおいては長い間アドバンテージとして助けられることが多かったのだが、ギターでは全く通用しなかった。
和音や音階のことは理解しているのに弾けない……というジレンマに心が折れそうになりながらもなんとかピストルズの『Anarchy In The U.K.』だけは必死でコピーした。

そんなポンコツだったので学校の軽音部に入る選択肢はなかった。なぜか母校は軽音部が盛んでレベルが高かったのだ。
ブラック・サバスのコピバンは地元のイベントに選ばれて出演するぐらい上手かった。
そして軽音部の人達は校内でも人気者だった。

バンドオタクの私は、たまたま同じクラスに何人かいた軽音の男子達と仲が良かった。(軽音部に女子は1人しかいなかった)
ハードコアパンクやらメタルやらを語り合えるのが男子しかいなかったから、CDを貸し借りしたり純粋に彼らと音楽談義をするのが楽しかった。

しかしいつからか、下駄箱にゴミが突っ込まれていたり上履きに画鋲が入っていたりなどの嫌がらせが始まるようになった。
そういうことが起きるのは、決まって軽音の人達と休み時間に盛り上がったり彼らのライブを観に行った翌日だった。
妬みなのか何なのかよくわからないまま、ゴミはゴミ箱にポイして終了。
安全なところから石を投げてくるような卑劣な人間は放っておけばそのうち自滅する。
だから犯人探しもしなかった。

すると今度は変な噂を流された。私が軽音の男子をとっかえひっかえして遊んでるみたいな内容。当然、事実無根。
信じる人がいなくて助かったのだが、噂の出どころがわかって驚いた。
犯人は私と友好的に接してくれていた他クラスの女子だった。
なんていうか一瞬、人間不信にもなったし、その女子の好きな人が軽音にいるなら全部誤解だから私に直接訊いてくれればよかったのに……とも思った。
私は彼女を責めず、知らないふりをした。
でも今までのように仲良くするのは無理だった。
私は彼女と距離を置いた。悪評流しの件を最後に、気が済んだのか地味な嫌がらせがされることもなくなった。

当時の私は自分に非はないと考えていたし、1ミリも悪くないと思っていた。悪いことなんて別にしてないんだから、と。
でも今思えば、もしかしたら誤解させるような言動が私にあったのかもしれないし、やり方が間違っていただけであの女子も自身の中に生まれたネガティブな感情をどうしていいかわからなかったのかもしれない。
人の感情は黒or白だけではない。
感情の多くはどちらにも至らないグレーの中で揺れ動いているものだ。

話を戻そう。
軽音の友人達をみているうちにバンドをやりたい気持ちが膨らんでいた私は幾つかメン募にも応募した。
でもどれもすぐに自然消滅していった。やはり自分含めメンバー全員が初心者だと続かないようだ。
そのうち他にもやりたい事がたくさんできて、ギターへの熱は落ち着いていった。
時折気が向いた時にピストルズやブルーハーツなど簡単な曲をかき鳴らすのは楽しかったが、必死に練習するということもなく「うまくならなくても別にいいや。私にはピアノがあるし」と逃げていた。
私が初めてバンドをやったのは19歳の時だが、ギターではなくキーボーディストとしての加入だった。

そんな苦楽を共にした(?)赤いギターを私はある時、手放すことになる。
きっかけとなったのは転職。
音楽ライターのメインともいえるインタビューの仕事はだいたい平日の昼間に行われるため、私は月〜金の会社員を辞めてシフトの融通がきくアパレル店員とライターの二足の草鞋生活を始めた。(ライター業だけで食べていける人はほんの一握りである)
アパレル店員の仕事も楽しくてやり甲斐があったがぶっちゃけお給料は安い。
カツカツの生活を送る中で、ギターを売ることを決めたのも自然な流れだった。
就職してから弾く機会は激減していたから、自分にはもう必要ないと思っていた。弾きたくなったらまた買えばいいとも思っていた。
ハードオフに一式持っていったら、購入時の10分の1以下の金額で買い取られた。
頑張ってバイトして買ったギターは、生活費の補填であっという間に消えていった。

自分で納得して売ったはずだった。
しかし、年月が経つにつれ罪悪感が心に重くのしかかるようになった。
代わりなんていない。思い出が詰まったギターはあれだけだったのに。
最初は大事にしてたのに、いつから放置するようになったんだろう。弦が切れてもほったらかしで。ネックも反っちゃって。
申し訳ないことをしたという思いがずっと消えなかった。
「安物のギターだったし悔いはない」って無理やり自分を納得させていただけで、私は自分の本音を見失っていたのだろう。

「売らなきゃよかったと思っている」という話を2つ目に組んだバンドのメンバーに話したら「もう今は使ってないから」と気前よくギターを貸してくれた。
Fenderのテレキャスター。私が持っていた赤いギターより何倍も良いギターなのに、なぜかワクワクしなかった。
たぶん私はギターが弾きたかったんじゃない。
四苦八苦しながらギターと向き合った日々や当時の情熱を軽く扱ってしまった、そういう自分自身を許せなかったのだと思う。

私が手放したギターは今どこで何をしているのか。もうこの世に存在すらしていないかもしれない。
私はもうセブンスもFも押さえ方を忘れてしまった。

GO!GO!7188の曲には“切なさ”が詰まっている。
そのセンチメンタルな世界観に引きずられて、過去の記憶が鮮やかによみがえる。
思い出話をしたくなるのは、自分がちゃんと生きていた証。
精一杯泣いたり笑ったりしたから、仲良かった友達のことも意地悪してきた女子に対してさえも、意味のない出会いはひとつとて無かったと断言できる。
過去の輪郭をなぞるのは、今の自分を肯定していくため。


最後に『こいのうた』と同じくらい好きな『神様のヒマ潰し』を。
センチメンタルでハモリが気持ちいい最高な名曲。

『神様のヒマ潰し』(Live)アコースティックver.

物語の鍵を握って遊んでいるのは誰?
ずいぶん悪趣味なヒマ潰し
その心の奥を掴んで揺さぶるものは何?
考えているだけで日が暮れる
苦しくて切なくて
楽しくて日が暮れる
苦しくて切なくて
この恋に明け暮れる

『神様のヒマ潰し』GO!GO!7188


💿GO!GO!7188ベストアルバム『ベスト オブ ゴー!ゴー!』


ゴーゴーの曲が由来になった恋愛小説もある。

📖『神様の暇つぶし』千早茜 

重くて狂おしい二人だけの世界が切なくて涙腺が壊れた。めちゃくちゃ良かった。文章も好み。
この作家さんの他作品も読んでみようと思いつつも積読のままになっている。今年こそ2冊目にいきたいところである。


いいなと思ったら応援しよう!