noteさんから、突然「認識論」というテーマをおすすめされた。


認識論。

人間がどうやって世界を捉えるのか。
何を知識として認めるのか。

そういう話らしい。

私は哲学を専門的に勉強しているわけではない。
だから最初は、「へえ、そういうものがあるんだ」くらいだった。

でも、説明を読んでいて、ふと思った。

「人間が世界を捉える」って言うけれど。

そもそも、その“世界”って何?

地球のこと?

宇宙のこと?

それとも、その人が生きている中で認識している世界のこと?

そこから考え始めた。


人間は「今」しか認識できない

私たちは過去を知っている。

未来も想像できる。

でも、実際に生きているのは「今」だ。

1秒前は、もう過去。

1秒後は、まだ未来。

そして、その1秒後が来た瞬間、それは「今」になる。

さらに1秒経てば、さっきの「今」は過去になる。

そう考えると、

1秒1秒が新しい世界であり、
1秒1秒が過去になり、
1秒1秒が今になっている。

じゃあ、どこからが過去なんだろう。

何秒前?

0.1秒前?

0.001秒前?

逆に、何秒先から未来なんだろう。

「今」を一点として考えたら、その一点には時間の幅がない。

でも私たちは、「今」というものをある程度の幅を持ったものとして経験している。

そこでまた疑問が出てくる。

私たちが「今」だと思っているものは、本当に同じものなんだろうか。


じゃあ、「世界」って何?

ここで最初の疑問に戻る。

「人間が世界を捉える」というときの世界は、

地球そのものなのか。

それとも、その人が経験している世界なのか。

もし後者なら、同じ場所にいる人でも世界は違う。

同じものを見ても、持っている知識によって見え方が変わるからだ。

私は、知識というものを、その人が生きてきた中で得たものだと思っている。

学校で学ぶ基礎的な知識。

生きていく中で身につける専門的な知識。

仕事でも、家事でも、子育てでも、人間関係でもいい。

一度経験して、そこから理解したことは、その人の知識になる。

だから、同じ世界を見ていても、同じものを見ているとは限らない。


本は「過去」を現在に持ってくる

ここで本が面白い。

自分が経験していない時代のことでも、本が残っていれば知ることができる。

過去の人が持っていた知識を、現在の自分が受け取れる。

つまり、

過去の経験

記録される

本として残る

現在の人が読む

その人の知識になる

ということができる。

ただし、完全に同じものを受け取っているわけではない。

著者が見た世界と、読者が見た世界は違う。

読者は、自分の経験や知識を使って、その本の内容を理解する。

だから知識は、ただコピーされているのではなく、受け取る人の中でもう一度作り直されているのだと思う。


それでも「今」は渡せない

過去の人が書いた本を読むことはできる。

写真を見ることもできる。

映像を見ることもできる。

だから過去の人がどんな世界を生きていたのか、ある程度は想像できる。

でも、その人がその瞬間に感じていた「今」そのものを、私が経験することはできない。

私は私の「今」を生きているからだ。

未来も同じだ。

未来の人がどんな世界を見るのか、私たちは想像できる。

予測することもできる。

でも、その人が実際に生きている「今」を、現在の私たちは経験できない。

だから、

過去は記録から再構成できる。
現在は自分で経験している。
未来はまだ経験できない。

それなのに、過去を見るときも、未来を想像するときも、私たちは必ず「今」から見ている。

ここに、ちょっとした矛盾がある。


そして「私は私なのか」という話になる

ここまで考えると、さらに変なことを考え始める。

私は、なぜ今の自分を「私」だと認識できているんだろう。

昨日の私と今日の私は、まったく同じではない。

知識も増えている。

経験も増えている。

感情も変わっている。

それでも私は、

「昨日の私も私」
「今の私も私」

と思っている。

その「私」という連続性は、何によってできているんだろう。

記憶?

身体?

意識?

それとも、「私だ」と認識し続けていることそのものなのか。

そして、ここまで行くと、

そもそも、この世界は本当に存在しているのか?

という話まで行ってしまう。

現実なのか。

何かに作られた世界なのか。

それとも、私たちが認識している世界そのものが「世界」なのか。

……ここまで来ると、急にSFっぽくなる。

『マトリックス』みたいな話だ。

でも、考えてみると、これも最初の問いからそんなに離れていない。

「人間は世界をどう認識しているのか?」

という問いだからだ。


世界、知識、生き物

ここまで考えて、私は少しだけ思った。

世界と知識と生き物って、別々のものではないのかもしれない。

世界がある。

その世界の中で、生き物が生きる。

生き物が世界を経験する。

経験が知識になる。

知識が言葉や本や記録として残る。

その記録を、次の生き物が受け取る。

そして、その知識によって、また世界の見え方が変わる。

そう考えると、

世界があり、
生き物がいて、
知識が生まれ、
知識がまた世界の捉え方を変えていく。

その繰り返しそのものが、私たちの「世界」なのかもしれない。

……なんてことを考えていたら、

「認識論」という言葉をおすすめされただけなのに、ずいぶん遠くまで来てしまった。

私は哲学者ではない。

ただ、

「これって、どういうことなんだろう?」

と思っただけだ。

でも、もしかしたら。

「どういうことなんだろう?」から考え始めること自体が、世界を認識するということなのかもしれない。

#認識論

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