夏に読みたくなる本
6月24日は全世界的にUFOの日だ。
毎年その日を過ぎると、読みたくなる小説がある。
中高生の頃はよく読んでいたライトノベルも、おっさんになってしまった今では触れる機会もない。
それでも、この作品だけは定期的に読み返している。
人生で最も好きな小説は?といわれたら、この「イリヤの空、UFOの夏」(秋山瑞人/電撃文庫)である。
何がそんなに自分を引きつけてやまないのか。
多感な時期に読んだ物語だからということもあるだろう。しかし、同時期に読んだ物語はほかにもある。その中でもこの作品だけが一等特別なものとして、大切な宝物のように、または呪いのように心に残り続けている。
なぜか。
タイトルの通り、夏の物語だ。
自分は夏を感じられるものが好きだった。
理由は思い出せないが、やはり四季を通じて最も長い、子どもだけの特権ともいえる「夏休み」の存在があると思う。
当時から夏休みの自由さが好きで、多くの大人が共感するであろうが、この時間が永遠に続けばいいと思っていた。
物語は中学二年生の夏休み最後の日から始まる。
主人公は夜に学校のプールに忍び込んで泳ぎ、夏休み最後の夜を締めくくろうとする。
この導入部分に、もう引き付けられる。
そのような発想は子どもにしか許されず、大人には許されない。
自分自身はあの頃から変わっていないと思っても、今となってはできないのである。
うらやましいのは夜のプールだけではない。
主人公は夏休みの間、宿題そっちのけで部活の先輩と裏山でUFOを探すためにテント泊をして夏休みを過ごしているのである。
これ以上の自由があるだろうか。
最初の十数ページで、心をわしづかみにされている。
そんな主人公が夜のプールで謎の少女と出会うことから物語が始まる。
この出会いも、「これからラブが始まりそう」というような甘い感じではなく、なにか悪い夢でも見たかのような印象を持つ。
真夏のホラー体験である。
以降も物語前半は、主人公のオカルトに毒された思考も相まって、得体の知れない恐怖が入り込んでくる。
子どもの頃に感じていた、日常に潜む不安をここまで魅惑的に描いた小説には、この作品を除いて出会えていない。
得体の知れない恐怖が子ども心を刺激する一方で、物語は妙なリアルさをもって大人側の視点を見せてくる。
中学生という無力な主人公の日常の影で、どうしようもない残酷な事実が少女を通して見え隠れする。
その対比が物語の核であると気づいた時には、子どものままではいられなくなってしまう。
子どもでいたいが、子どものままでは少女は守れない。
少女を守れる強い大人になりたいが、結局は無力な中学生なのである。
この無力感に自分を重ねることで、今以上にちっぽけだったあの頃を思い出して感傷に浸ってしまうのである。
では、物語の魅力に引き付けられているのかというと、それも違う。
最大の魅力は別にある。
それは作者の描く、登場人物の思考の言語化や、痛みを感じるほどの情景描写にある。
人間だれしも、外面と頭で考えていることは一致しない。
他人に対してニコニコへらへら笑っている一方で、心の中では「何言ってんだこいつ」と思っている。
作者はこういった描写を、一人称に限りなく近い三人称という独特な表現方法で印象的に描く。
その文章に飲まれ、感動すら覚える。
また、ここぞという場面では、情景がくっきり輪郭を感じられるほどに細かく、言葉の限りを尽くして描き、読者の胸をえぐる。
命を削って文章を書くとは、こういうことなのだろうかと思うほどに印象深い。
20年以上経った今も、この作品は私の心に「UFOの残影」を残し続けている。
