土の匂いが立つ日ー七十二候・第三十五候 土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし)
土の匂いがちがう。地面から匂いが立ちのぼってくる。
むっとした、生あたたかい匂い。畑じゅうが、大きな生きもののように、しっとりと汗ばんでいます。
七十二候の第三十五候、土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし)。大暑の次候、太陽黄経はおよそ百二十五度。
七月二十八日ごろから八月一日ごろ。「溽」は、うるおう、蒸れる、という字。土がじっとり湿って、蒸し暑さが極まる候です。
「溽」という、めったに会わない字
溽暑(じょくしょ)の「溽」は、日ごろまず使わない字です。
さんずいに、辱(はずかしめる)。もとは「濃い」「まとわりつく」といった意味を持つといいます。空気そのものが水を含んで、肌にねっとりと絡みついてくる——あの感じを、たった一字で言い当てている。暑さにも種類があって、からりと乾いた暑さと、この、まとわりつく暑さは別のものです。昔の人は、その区別に一字を割いた。不快なものほど、名を与えてよく見ておく。それも暦のひとつの知恵なのかもしれません。
匂いの正体は、土の呼吸
雨あがりの土の匂いの正体は、土のなかの微生物——放線菌が出す物質だといいます。つまりあの匂いは、土のなかの無数の小さな働き手たちが、生きて息をしている証。溽暑の候に土の匂いが濃く立つのは、蒸し暑さと湿りけのなかで、彼らがいちばん忙しく働いているからです。畑の地面の下では、目に見えない生きものたちが、暑さのなかを全力で駆けている。土が潤って蒸す、というこの候の名は、その見えない繁忙期を、地上からそっと言い当てているように思います。
うるおいの神、みつは
『古事記』の神生みの段、伊邪那美命が火の神を生んで身を焼かれ、苦しみのなかで生み落とした神のなかに、水の神がいます。
弥都波能売神(みつはのめのかみ)。田の水、井の水をつかさどる、灌漑と農耕の水の神です。火に焼かれる痛みのただなかから、水の神が生まれてくる。この配置の妙を、溽暑の畑に立つと思い出します。暑さが極まるこの候は、いのちにとって水がいちばん要る季節。日照りは作物を枯らし、けれど水は、その日照りと隣り合わせにしか現れない。潤いと暑さは、別々のものではなく、ひとつづきのものとして畑に届きます。
畑では、水をやらない
この蒸し暑さのなか、意外に思われるかもしれませんが、
自然農法ではほとんど水をやりません。水やりは最小限です。
かわりに、土をむき出しにしない。刈った草を株もとに厚く敷いて、土に蓋をする。すると、溽暑の湿りけは土のなかにとどまり、日中の暑さでも簡単には逃げていきません。草の布団の下で、
土はしっとりと呼吸を続けている。水をやるのではなく、
水を逃がさない。与えることより、逃がさないこと。
この候の畑仕事は、そういう引き算のかたちをしています。
蒸し暑さは、人にはこたえます。でも畑にとっては、土のなかの働き手たちがいちばん力を出せる、恵みの時季でもある。溽暑を厄介なものとしてだけ受け取るか、土の繁忙期として受け取るか。同じ蒸し暑さが、立つ位置でまるでちがう顔を見せます。
汗ばむ土のそばで
エアコンの効いた部屋にいると、土が匂う日を、私たちはもう知らずに過ごします。除湿された空気には、匂いがありません。溽暑の候に土から立ちのぼるあの匂いは、快適さと引きかえに、まっさきに手放してきたものかもしれません。
あなたのまわりの土は、いま、匂っているでしょうか。
汗ばむ地面のそばに立って、その息を吸い込める場所が、
まだ暮らしのどこかに残っているでしょうか。
