見出し画像

手を合わせるということ。

手を合わせるとき、私たちは何を思っているのでしょうか。

祈るとき
願うとき
謝るとき
感謝するとき
誰かを想うとき

どんな場面であっても、「手を合わせる」という行為には、自分の内側の気持ちと、目に見えない誰か(もしくは何か)との間に橋をかけようとする、そんな静かな意思が宿っているように思います。

私は偽善者ぶるつもりはありません。SNSで平和を語りながら日常では誰かを見下すようなことはしたくないし、「善い人」として認められるための言葉を並べたいとも思いません。

でも、心の底から願っていることがあります。

それは――
世界から戦争がなくなってほしいということ。
誰もが自分とは異なる価値観を持つ他者を、恐れたり、憎んだりするのではなく、受け容れることができる社会になってほしいということ。

価値観の衝突の中で

今、世界では多くの対立が続いています。
宗教、文化、歴史、アイデンティティ、領土、情報、そして「正義」。
何が正しくて、何が間違っているのか――その答えが一つでないからこそ、人は争い続けます。

でも本当に必要なのは、答えを一つにすることではないと私は思います。
正しさの押しつけではなく、違いを理解しようとすること。
「あなたはそう思うんだね」と言える余白を、心に持つこと。

それは簡単なことではないけれど、まずは自分がその姿勢を持ち続けることが大切だと信じています。

手を合わせる時間を、自分に

仏壇の前で
空を見上げて
誰かの無事を祈るとき
知らない国のニュースに胸を痛めたとき

私たちは静かに手を合わせます。
それは、現実をすぐには変えられない無力感のなかにあっても、「変わってほしい」と願う気持ちがあることの証です。
そして、自分の中の怒りや悲しみ、無理解や偏見に気づき、それを見つめなおす小さな儀式でもあると思います。

「祈り」は、行動のはじまり

祈るだけでは、何も変わらない。
そんなふうに言われることもあります。たしかに、祈りがすべてを解決してくれるわけではありません。

でも、祈りは「無力な気持ち」の表現であると同時に、「何かを変えたい」という意志の出発点でもあります。

だから私は、今日も手を合わせます。
自分が何者であるかを見つめるために。
他者の痛みに鈍感にならないために。
そして、いつか世界が少しでも優しい場所になるようにと願って。



最後まで読んでいただきありがとうございました。

同じような気持ちをどこかで抱えている人に、静かに届きますように。

いいなと思ったら応援しよう!