The WAR must END. ── 『戦争は女の顔をしていない』を読んで
原作はスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチさんという方の書いたベラルーシのノンフィクションなのですが、このコミカライズ(ワイド版)を今、読んでいます。
うん、ストレートに戦争の話ですね。
でも男たちでははなく、女たちの語る話です。
戦争はいつも男たちの視点で語られる。
そのとき、女性たちはみんな透明化されている。
そのことについて語るのがタブーであるような空気を感じる。
この国は太平洋戦争による敗戦以降、憲法で戦争をしないことを誓った国になりました。
戦後80年、もう戦争を体験した世代は亡くなりつつあります。
敗戦は遠くになった。
けれど台湾有事の可能性が囁かれたり、緊急事態条項が半ばなし崩し的に採択になったり、またキナ臭い匂いがし始めている。
イスラエルがパレスチナを空爆したガザ戦争では46,000人以上が亡くなった。
そのおよそ60%は女性と子どもだ。
餓死などの関連死を加えると、その数は100,000万人を超えてくるとも言われている。
ウクライナとロシアの戦争はまだ続いている。
これについては死者数は43,000人と公表されているけれど、定かではない。
いつも報道で語られるそれは、男性の視点だ。今日の死者数は。戦局はどちらが有利。正義はどちらにあるか。
馬鹿馬鹿しい。
戦争に正しいもクソもあるか。
今、ここで殺し合っている。それが最低で、最悪なことだ。
ここで出会わなければ、全く違う関係を作れたかもしれない2人が、戦場で出会ったというだけで殺し合っている。
それがクソだというんだよ。
こんなこの時代にこそ、この本は読まれるべきであると思うんだ。

この本を読んで、1巻も2巻もだけど、胸がいっぱいになって涙が流れてくる。
あれ、前に感想文を書いた『52ヘルツのクジラたち』のときもそんなこと言ってたな?
歳のせいかなとも思うけど、きっとそれだけじゃない。
この本で作者のインタビューを受けて語るのは旧ソビエト連邦のおばあちゃんたちだ。
だけど、この戦争の時代(ナチスドイツとソ連が戦争をしていた時代だ)みんな、このおばあちゃんたちは10代の女の子たちだったんだ。
その10代の女の子たちは、私たちが10代だったときとなにも変わらない。
政治的信条が違うかもしれない。
髪や瞳の色が違うかもしれない。
言葉が違うから意志疎通はしにくいかもしれない。
でも、好きな人がいたり、友だちと笑い合っていたり、配給される男物の下着を嫌がっていたり、かわいい洋服が好きだったり、ハイヒールを荷物のなかに隠し持っていたり、生理を嫌がっていたり。
それはいつの時代も、どこの国の女の子たちも変わらないのだ。
それなのにこの国、この時代に生まれた ── ただそれだけで、こんなふうに殺し合いに身を投じなければならないというのが、本当に悲しい。
男の子ならいいのか?
いや、そういうことじゃない。
戦争をしたいのはいつの時代も、どの戦争も、彼女ら/彼らよりもずっと年上の世代で、その世代の国を動かす人たちが耳障りのいいスローガン(愛する人たちを守ろう、とかそういうやつだ)やプロパガンダを掲げて、彼女ら/彼らを殺し合いへ導こうとする。
それがとても腹立たしい。
戦争がそんなにしたいなら、したい人だけでしたらいいのだ。
無責任に聞こえるかもしれない。
今の日本なら、東側の肩を持つのか!とか左翼だ!とか非国民!など罵られかねない。
でも別にいいや。
そもそも西側諸国が正義だと誰が決めたのか。
それに戦争はいつも国の真ん中にいる人たちだけで勝手に開始される。
それも随分と無責任な話だ。
そんな無責任な人たちにこちらが礼を尽くす必要があるのか?
だから私は、どんな大義名分を持った戦争であっても反対なのだ。
お国のために。民主主義を守れ。
どうでもいいよ。
最初に誰のものでもなかったこの世界に勝手に線を引いたのは誰だ? ── 施政者たちだ。
東とか西とか、勝手に分けて争わせているのは誰だ?
そう、施政者たちだよ。
♧♧♧
日本も最近、大分治安が悪くなってきた。
私の働く店(ホームセンターだ)では防犯フィルムが売れすぎて予約不可、入荷も未定。
同僚は夜間の不審者が不安で、台所の電気は灯したまま眠ると話す。
我が家は玄関先に鉄製のスコップを置いている。
戦わなければならないのは、不法移民かもしれないし、闇バイトの若者かもしれない。はたまた、昔ながらの空き巣かもしれないけど。
これも新しいかたちの『侵略』といえるのかもしれないよ。
日本政府は移民をまだまだ受け入れる方向だし、諸外国に支援を怠らない。特にウクライナ。
NATOの事務所ができたりして、現状、日本政府ははっきりいって西側諸国の使い走りに近い。
ねえ、それは国の在り方として正しいの?
私たちはそんな彼らの選択の結果にも、命を投げ出すことで、彼らの責任を取らなくてはならないの?
その結果としての戦争でも?
♧♧♧
私たちは『戦争』を知らない。
だからこそ、戦争を美しき行為として語る者たちには気をつけなければならない。
正義?
そんなものは、幻想だ。
正義は我にあり ── そう確信したその瞬間から、そう語る者は堕落し始めているのだから。
この感想文は、受け入れられない方もいるかもしれないね。仕方ない。
だけど、少しでも何かを感じたなら ── ぜひ、そのときはこれを読んでみて欲しい。
特に、いつか10代の女の子だった日がある、あなたには。
これからの私たちは、守るべきものを間違えるわけにはいかない。
国籍が違う、肌の色や髪の色、瞳の色が違う、貨幣価値が違う、イデオロギーが違う。
守るべきものはそんなものじゃない。
ただ、私たちが守るべきものは。
『日常』なのだ。
夕暮れには夕焼けチャイムが鳴って、近所の家からお味噌汁やカレーの臭いが漂う。いや、漂わなくてもいいけど……人々が家路につきだす、そういう日常。
どうか、そのニュアンスが分かる方ならば、この本を読んでみてほしい。
切に、私はそう願う。
