【ショート】 森に置いてきた名前
―― short story ――
丸太に、何かが刻まれていた。
『南沢 新』
読めなかった。
首を傾げてしばらく眺めたが、すぐに興味を失った。
近くに咲く白い花へ鼻を寄せていると、木の葉が落ちてくる。葉が地面に着く前に走っていって、口に咥えた。葉を咥えたまま森を進んでいると、森の入り口に気配があった。
女が一人、辺りを見回しながら森へ入っていくのが見える。何となく、少し離れてついていく。女の足取りは重い。
少しふらついて見える。
女を追っているうちに、先ほどの丸太まで戻っていた。急に女は丸太に駆け寄って膝をついた。
女の指先が、刻まれた文字をなぞる。
「……あらた」
女の目から涙がこぼれる。
気がつけば近づいていた。
女が振り向く。
もう一度「あらた」と呟き、ゆっくりと近づいてくる。「鹿さん、あらたを知らない?」
私の前にしゃがみ込む。
目の下の隈を見ると、なぜか胸が痛んだ。
黙ってみていると、女はしゃくりあげ泣き出した。
女の髪の匂いを嗅ぐと、女は涙も拭かずに抱きついてきた。
そして、また、泣き出す。
彼女の腕の中で、もう一度髪の匂いを嗅ぐ。
すると、思い出した。
「あらた……私だけは、あなたの味方だからね」
そう言って笑う彼女は、美しかった。
今の彼女に、あの笑顔の面影はない。
そっと、丸太の名を見る。
名前を森に置いてきたことを、後悔しないと思っていた。
すすり泣く声だけが、いつまで経っても消えない。
お読みいただき、ありがとうございます💐
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