ひとひら 第二十六話
迷い道
4月22日 AM 8:30
翌朝、身支度を終えると巨木へ向かった。
昨日の動物たちの夢が、どうしても離れなかった。
起きるとノアは私の腕の中で丸くなっていた。
トイレでも行ってたのかしら?
気づけば、ずいぶん行儀のいい猫だった。
人の気持ちの機微に敏感で、私を煩わせることがほとんどない。
何よりも助けてくれる。
……もう、いないと困る。
森の草木を踏みしめながら、ノアをひょいと抱き上げた。
特に抵抗せず私の腕の中におさまる。
ぎゅっと抱きしめてから言う。
「……どこにも行かないでね。」
顎でノアの頭に触れる。
何か気になったのか、珍しく私の顔をまじまじと見つめているように見えた。
……ヘンなこと言っちゃったかな。
心で呟いてから白い花を見つめる。
巨木に辿り着いた。
陽光に照らされた木々は、ざわめきと共に白い花を時々落とす。
私は昨日から気になっていた泉を覗き込んだ。
狼がいるわけないのは分かっているのだけれど。
泉の奥底は意外と深いようだ。
今日みたいに晴れた日でも、覗き込んだ泉の底は、
真っ暗で何も見えない。
私はしばらくじっと見つめていた。
何も変化がないので、手のひらを泉につけてみたり、
くるくるかき回したり。
……何もない。
何も起きないことに、がっかりする。
何もない方がいいはずなのに。
ため息をつく。
そして、今度は昨日の広場に行ってみようと腰を上げる。
辺りを見まわして思った。
「……どっち?」
ノアを見つめる。
ノアは案内をせず巨木の周りをウロウロしている。
「昨日の広場に、もう一度行きたいの。」
そう言うと、ノアはこちらをチラリと見て、
またそっぽを向いた。
……連れて行きたくないのかな。
それでも気になった私は、昨日歩いた雑貨屋へ向かう歩道に戻り、
インコに出会ったところまで行ってみた。
昨日みたいに白い花は舞っていなかったけれど、
確かに、こっちだったはず。
歩道から足場の悪い森へ足を踏み出す。
ノアは何も言わずについて来てくれた。
そして一時間後。
……見つからない。
息切れを起こした私はしゃがみ込んでしまう。
ノアが私の手をペロペロする。
――ピッピ。
……助かった。
インコの声を聞いて顔をグッと上げる。
頭上から青と白のコントラストが降ってくる。
「よかった」
声に出てしまう。
私の体も現金なものだ。
力が湧いてくるとスッと立ち上がった。
インコが肩から離れると右の方へ進んでいく。
私は迷わずについていく。
後ろからノアの足音も続いた。
どれくらい歩いただろうか。
気がつけば同じような森の景色から、
整えられた歩きやすい道に変わってきた。
振り返ると同じような木々が立ち塞がり、地面は草むらに隠されて、
どうやって来たのか、思い出せない。
そして、目の前に巨木が見えた。
……いつの間に。
驚いて目を見開くとふわっと白い花びらが舞う。
目線が花びらから離れず、
そのまま目だけで追っていくと、
草むらの奥で何かの気配がした。
目を凝らすと長いツノが草むらから顔を出す。
……鹿。
きれいに整った淡い茶色の毛並みが、鹿の体をすらりと見せている。
葉っぱをむしゃむしゃ食べているようで、
こちらには気づいていないようだ。
もう少し近づきたいと思って木々をつたって歩く。
ぐらりと、
視界が揺れた気がした。
……ん?
久しぶりの感覚に手のひらを見ると、巨木に触れていた。
そして、ハラッと白い花が舞う。
……あ。
嫌な予感がしたが、森は静かなままだった。
気のせい?
その時、ガサッと先ほどより大きな音がする。
鹿に随分近づいていた。
驚かせると悪いからと思って、そっと、その場を後にする。
鹿から離れると、インコが待っていてくれて草むらの方へ飛んで行った。
五分くらい歩いただろうか。
目の前の草木を手で避ける。
……着いた、けど。
私はチラリとインコを見やる。
インコは、どうだとばかりに胸を張っている。
……ドヤってるのかな。
顔をひきつらせて笑いそうになるのを堪える。
そして、ふーと息を吐いた。
目の前にあるのはログハウスだった。
私は後ろにいるノアとインコを交互に見る。
……今日は広場に行ってはいけないってことかな。
私は諦めるとインコに手を伸ばす。
インコは私の手に乗った。
「ありがとう」
笑顔で伝えると、インコは「ぴっ」と鳴き、
元気にくるくる回ってみせた。
さすがに歩き疲れて、
もう動きたくなかった。
――この時の私は疲れすぎていて、違和感に気づけなかった。
私は、真っすぐにログハウスに戻ると、ソファの上に倒れ込んだ。
時計をチラリと見る。
……二時間も歩いてたみたい。
ガックリと項垂れる。
クッションを手に取ると、顔を埋めてうつ伏せになる。
膝から下をパタパタとして、ふくらはぎをほぐす。
何度目か分からないため息をついた。
その時、
ガチャッ。
扉が開いた。
……へ。
うつ伏せのまま目を見開く。
……侵入者。
さぁっと、体温が下がるのが分かる。
慌てて顔と体を半分起こす。
武器になるものは――?
そして彼は、すぐに顔を出した。
……
私以上に目を丸くしたのは、相手の方だった。
お互いに氷になったかのように固まる。
その時、ノアが颯爽と現れ私の前で威嚇する。
「……ノア」
その姿を見て、彼も冷静さを取り戻したようだ。
「雫。……スカート」
彼は目を逸らす。
……スカート?
今度は一気に熱が上がる。
だらしなく乱れたワンピースは、
私のパンツに引っかかって、めくり上がっていた。
慌ててワンピースを直すと、
ソファに膝をくっつけ座り直した。
くすっと笑う声がして、目を上げる。
「……また会えるなんて思わなかった。」
悠の目は、わずかに潤んでいた。
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