【ショート】 手の中の切符
―― short story ――
手の中に切符があった。
長四角の小さな紙。
そこには、不知火駅と書いてある。
こんな駅名はないんじゃないかと思いながらも、
足は動いていた。
階段を上り、
馴染みのある改札に切符を通して、
駅の構内に入る。
誰もいない。
ベンチに腰掛けて、電車を待つ。
あぁ
――夢かもしれない。
夢の中で気づくことなんてあるのか、と、
不思議になる。
時間が経った。
大きな音がして、電車ではなく、
汽車が到着したことに、少し驚く。
汽笛の音だった。
扉が開き、乗車する。
レトロな雰囲気に心が弾む。
誰もいないのをいいことに景色の良さそうな窓際を選ぶ。
そして、席を覗き込むと、
小さな女の子が座っていた。
「……あら」
思わず声が出る。
少女はこちらを見ると、
柔らかなウェーブの黒髪をふわりとさせた。
「こんにちは」
「こんにちは」
私は少女の斜め向かいに腰掛けた。
「どこに行くんですか?」
聞かれて目を見張ってしまう。
私はどこに行くのか。
手に持っている切符を見てから、答えた。
「不知火駅に行くみたい」
曖昧に答えたせいか少女は眉を曇らせた。
「その駅では、降りないで」
断言する少女に、少し驚く。
「……どうして?」
「自分で決めたわけではないんでしょう」
「……そうね」
その時、汽笛が鳴った。
「どうしましょう。降りた方が良かったかしら。」
「降りなければ、いいんですよ。この汽車は、また、ここに戻ってくるから」
驚いた。
少女が汽車に詳しいことにではない。
物言いが大人のようだったから。
「ここは、なんていう駅だったかしら」
「……ですよ」
「え?もう一度言ってくれる?」
その時、もう次の駅についてしまった。
『美里駅』
車掌さんらしき人の声が響く。
そして、少女が立ち上がる。
「絶対、その駅で降りないでくださいね」
それだけ言い残して行ってしまった。
ポツンと車内に残される。
少し寂しくなって、窓の外を見やる。
幻想的な緑や黄色、赤や青と光が重なった帯が広がって、
まるでオーロラのようだった。
「さすが夢ね。なんてキレイなの」
言葉にすると、幻想的な景色が広がった気がした。
「お客様、切符を拝見します」
振り向くと車掌さんが経っていた。
私は、切符を渡す。
車掌さんが切符を切ると、私に返した。
「良い旅を」
帽子を外し、挨拶をしてくれる。
「あ、あの……この駅ではない場所で降りても、」
歯切れ悪く聞いた。
「どうぞ。問題ございませんので。」
車掌さんは気分を害した様子もなく、去っていく。
しばらく、その背を見ていた。
汽笛が鳴った。
『不知火駅』
……ここで降りなければいいのよね。
少し、ため息をついて、窓の外を眺めていると、
人影が目に入る――。
「……え」
窓の外の人物は、オーロラのような美しい光の下から駆け走ってきた。
靄が張れるように、その姿を現す。
私は窓を全開に開けた。
「……かける!」
自分はこんな声が出るのかと驚くぐらいに叫んでいた。
手を伸ばし、
目の前にいるオーバーオールを着た少年を掴んで、
強く抱きしめる。
最後に別れた時のままだった。
もう七年も経つのに……。
頬を伝う涙で、かけるの髪が濡れる。
「……会いたかったよ」
胸が締め付けられる。
汽笛が鳴った。
はっと顔を上げて、
「待って、今、降りるから」
腕の力を弱めると、翔が私の腕を強く掴んだ。
「ダメだよ。降りちゃ」
「……でも」
「言いたかったんだ。……僕は大丈夫だよって」
――頭が真っ白になった。
翔は微笑んでいた。
心から嬉しそうに。
『ママがずっと心配するから』
汽車が動いた。
ゆっくりと。
「……まって、かける」
伸ばした手が届かない。
『大丈夫だよ』
姿が、消えた。
力が抜ける。
へたりこむと頭がぐるぐるした。
汽笛が鳴った。
「お客様、終点です」
車掌さんに言いたいことが沢山あったのに、
何も出てこなかった。
力なく立ち上がり、汽車を降りる。
駅名の看板が見えるけど、
なぜか読めなかった。
切符を置いて、改札を出る。
振り返ろうとすると、呼び止められた。
『透子!』
眩しい光の中から、大好きな人の声が聞こえた。
ゆっくりと目を開けると、目の前に、必死な形相をした夫がいた。
頬からは汗がつたっている。
……まぶしい。
「透子……」
私の頬を夫の手が包んでいた。
影が大きくなって、口が重なる。
乾いた口内を、熱い吐息が満たした。
静かに離れると、
夫の眉尻が下がる。
そして、ここが自宅でないことにようやく気づいた。
真っ白な壁に囲まれた個室で、点滴を打っている。
体を動かそうとすると、全身がだるく、
右手が痛くて動かなかった。
……私、なんてことを。
「……ごめん、なさぃ」
声は掠れていて、最後はちゃんと言えなかった。
「いいから……水飲めるか」
今なら分かる。
長い間、私はこの人を苦しめていたのだと。
こんなに想ってくれているのに。
切符を手にするまでの私は酷かった。
翔を失ったショックで、精神科に通う日々。
自ら足を運ぶのは、お墓の前だけだった。
何もしない妻に愛想もつかさないで、
生活も、仕事も全部、夫が担ってくれた。
私と同じ痛みを抱えているのは夫も一緒なのに、
私だけずっと立ち止まって、
七年目の今日……。
――戻れない場所に、触れてしまった。
今度は、私が頑張らなきゃ……
左手を伸ばして夫の顔に触れる。
少し驚いた顔をした後、夫の頬が染まる。
私の手に擦り寄って、
影が近くなる。
鼻がぶつかると、そっと、つぶやくように言った。
「……美里にしようと思うの。」
「透子……」
「赤ちゃんの名前」
彼の頬から涙が落ちる。
翔の顔が浮かぶ。
もう苦しんでない。
美里の顔が浮かぶ。
なんて利口で美人。
この世界を見せてあげないと。
――もう切符はいらない。
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