見出し画像

「情報」について考える② (情報収集と情報洪水)

「情報」について考えてみた。

「情報収集」「情報活用」「情報伝達」の3つに大分されるのかもしれない。
言葉で見ると、なんとも味気なく、さらっと聞こえてきてつまらないけれど、多くはこの3つで悩む。

「情報収集」は自発的に情報を集めてくることを言うが、実際は、多くの情報は勝手に入ってくる。
朝起きて目を開けた瞬間から、目には様々なものが飛び込んでくるし、目をつぶっていても、音やにおいなど、様々な情報が知覚される。
スマホやテレビ、ラジオ、新聞。
家族との会話。
街の中の景色。
職場でのできごと。
郵便受けには何かしらが入ってくるし、メールボックスはいちいち開いていられないほどのダイレクトメールが届く。
勝手に入ってくる「情報」には、有益なものもあるし、無益なものもある。
何が有益なのかは、人によって異なる。
その人の趣味嗜好や、暮らし方によって変わる。
さらに言えば、その何気ない情報から、有益性を見出せるかどうかは、その人が自分自身の関心事を的確にとらえているかどうかで変わってくる。
同じ景色でも、何を洞察するかは、その人次第だ。

このように、「情報」は常にあらゆる場面で捉えられる。
情報のチャネルも、複雑化している。
誰かと連絡を取ろうとするとき、ラインでやり取りをしている人もいれば、メッセンジャーの人もいるし、メールの人もいる。
この人とは何で連絡を取っていたっけな? といちいち思い出すことから始まる。

メールアドレスも複数ある。
実際には、メインのアドレスしか開かないが、仕事とプライベートとで2つのアドレスはともにメインで動いている。
メールには、様々な角度からのメールが届く。
無視してよいもの、捨てるもの、返信が必要なもの、今後のスケジュールに影響するもの。
返信が必要なものにも、即答できるものと、いろいろと考えたり検討をしたうえで返信が必要なものがある。
どれを優先して取り掛かるべきか、そもそもメールの返信の前に、やらなければならなかったこともある。
そんなときに電話が鳴る。
また新たな情報が入ってくる。
もはや恐怖ですらある。

郵便物が届き、机の上にあげられていく。
お客さんから資料を預かり机にあがる。
書類はどんどん、山になっていく。

このようにして、受動的な情報で散らかっていく。
これらを何とかしようと、紙に書いて整理をしたり、システムを活用する。
それでも、このイタチゴッコからは抜け出せない。
処理しきれない情報が、こぼれ落ち、忘れ去られていく。
それが部屋が散らかる要因にもなるだけならまだしも、重要なトラブルの基にもなる。

このように書いていくだけで疲れてしまう。
「情報」と検索したら、学術的でシステマチックなものが引っかかってきたという話を前回書いたが、情報の問題は、すごく身近にある。
日常的にやってくる、この終わりのない情報洪水の中で、簡単にデータベースにして、可視化して、分析しましょう! なんてことは言えないのだ。

ただ、実際には、これらをうまく対処しているように見える人たちもいる。
彼らだって、完ぺきではないはずだ。
一日、1000の情報が入ってきたとして、捉えているのは100くらいなのかもしれない。
そのうちの20を処理して、80は置いておいているのかもしれない。
この20を選び取る力が凄いのかもしれない。

現代の1日に得る情報量は、平安時代の一生分で、江戸時代の1年分なのだそうだ。
ほんとなのかい? と思うけれど、多くの情報が飛び交っているのだけは間違いない。

では、自分にとって必要な情報とは何なのだろう。
これを捉えないことには、この複雑性の中で自由を手にすることができないのかもしれない。


キーワードを展開してみたハニカムマップ。
画像書籍はまだ読んでいません。

いいなと思ったら応援しよう!