私×毒親STORY①【否定され続けた幼少期】
【母に全てを否定されて育った日々】
小さい頃の私は、母に何をしても否定される子どもでした。
絵を描いたら
「下手くそ。なんでちゃんと描かないの。真面目に描きなさい」と怒られ
「上手に描けたのに…」と泣いても、母はフルシカト。
スイミングスクールでは、
「ちゃんとやらないから上のクラスになれない」と責められ
マラソン大会でビリに近いと「もっとちゃんとやりなさい」と怒られる。
親戚の集まりでは、みんなの前でいじられて笑われていました。
私はいつも真面目に一生懸命がんばっていたのに
悲しかった
何も認めてもらえなかった。
また将来の夢がない事に怒り父に陰口を言ったりされました。
【「ありがとう」のないお手伝い】
洗濯物を取り込むお手伝いをしても、
「ありがとう」もなく
「ちゃんと取り込め」と取り込み方の指定をされる。
【心が壊れたあの日】
ある日、友達家族とカラオケに行った時のこと。
勇気を出して前に出て歌った私に、母が父へ耳打ちしました。
「よくあんな音痴なのに人前で歌えるよね」
その一言で、私の心はポキッと折れました。
それ以来、人前に出るのが怖くなり、
視線恐怖症のようになって、カラオケも歌うことができなくなりました。
【いつもひとりだった放課後】
母は弟の習い事に夢中で、夕方は週4くらい家にいませんでした。
私は1人で自転車に乗って習い事に通い、
夜7時に帰る頃には家は真っ暗。
怖くて、「早く帰ってきて」と心の中で何度も願っていました。
【差をつけられる日常】
私はそばアレルギーがありました。
でも、年越しの日は私だけ主食なし。
うどんを茹でてくれることもなく、
みんなが年越しそばを食べる横で、私は空のお皿を見ていました。
男女差別もあり、欠けたお皿は私
弟達よりおかずが1品少ないこともありました。
誕生日にケーキもお祝いもない年もあり、
「おめでとう」と言ってもらえない日もありました。
【母が嫌いだった】
母は私のことが嫌いなんだ。
ずっとそう思って生きてきました。
もちろん、私もそんな母が大嫌いでした。
友達のお母さんが羨ましくてお母さん以外なら誰でもよかった
なんでこんな母の元に生まれてきてしまったんだろうってずっと思っていました。
【今、振り返って思うこと】
今思えば、私はHSP気質でとても繊細だったから
小さな否定も心の奥深くまで突き刺さっていたのだと思います。
「自分が悪いのかな」
「頑張れば愛されるのかな」
そんなふうに信じて、ずっと我慢してきた。
でも今、ようやく気づきました。
あの頃の私には、
“愛される努力”じゃなくて、
“守ってもらえる安心”が必要だったんだと。
同じように否定されて育ったあなたへ
あなたは何も悪くない。
子どもが認められたくて頑張るのは自然なこと。
その頑張りは、今のあなたを作ってくれた大切な力。
どうか、もう自分を責めないでほしいです。
あなたはそのままで価値のある人🤍
