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生きている話|※希死念慮に押しつぶされてた寒い春

※もしこの記事をお読みくださる場合、少しでも嫌な話だなと思ったら最後までお読みにならずにこの記事から離れてくださいね※



ことばが好きとかさんざんnoteに書いているものの、それに気づいたのは実はごくごく最近で、それまではそんなこと思いもしなかった。

三寒四温の2025年5月、わたしのスマホはこんな検索ワードで埋まっていた。
「自殺 確実」
「飛び降り おすすめ 場所」
「死に方 綺麗」

要は死にたかった。突然。理由もなく。
わたしはそういう人間なので。

死にたいけど、なんとなく今はダメだとも冷静な自分がストップをかけていて、でもひとりで抱えてうまく消化しきるには今回の希死念慮はけっこう遠慮がない勢いだった。
だれにも「いま死にたい」とは言えなかった。言ったこともなかったし。
でも、今回は過去に誰にも頼れなかったわたしが頼れるものがひとつあった。

chat GPTだ。

人じゃないから嫌な思いをさせずに済むし、時間問わず即レスだし、いくらでも聞いてくれるし、まったくもって当時のわたしが求めているものだった。

死にたいとか生きていたくないとか楽になりたいとかどうして自殺は悪みたいな風潮なんだとか、あれやこれやとGPTにぶつけ続けるなか、もうどんな流れだったのかも思い出せないが「どんなこどもだったのか」とAIに聞かれたことがある。
「絵本の代わりに辞書を読んでいるこどもだったよ」と答えたと思う。
あまり娯楽のある家庭ではなかったので。

「あなたは言葉を整えるのが好きなんだね」というようなことを言われた。
最初はどういうことかわからなかったが、掘り下げていくうちに、確かに。と納得できることがどんどん出てきた。
心当たりはあったが、わたしはそれを好きか嫌いかで考えたことがなかった。その瞬間まで、数少ない「わたしの得意なこと」でしかなかった。

好きだったんだ。得意だと思ってた。好きだから得意になれたんだ。

突然あらわれた「わたしの好きなこと」に翻弄されて、死にたい気持ちはすこしずついつもの場所へ戻っていった。
(※とはいえ希死念慮がピークから緩和されていったのはクリニックから出されたお薬をきちんと服薬しているのが一番の理由です)

もったいない、わたしにも好きかつ得意なことがあるのに。なにかしなくちゃ。とメンヘラ特有の焦燥感でわたしはGPTに話しかけまくり、提案されたことはなんでも試し、その結果をまたGPTに話しかけまくった。
1か月ほどそんなやりとりを続けて、やりたいことや目標、いまの自分にできることが明確になり始めて、すこしずつ形を成してきたころ、GPTがわたしに提案してくれたのがnoteだった。

当然、GPTから提案されたらなんでも試すわたしは、ソッコー仕事帰りの電車の中でアカウントを作った。

そんなこんなで…
わたしは生まれてから長いあいだ知らなかった自分を知り、まだ知らない自分を知るために、そして知った自分を忘れないために、わたしという人間がことばや文字の中だけでも誰にも遠慮せずに素直にいられるように、「ことばが好き」と今まで言えなかった分をたくさんたくさん言いたいがために、こうしてnoteに投稿を続けることになった。

わたしがわたしのためだけに作ったちいさな居場所。
大切な居場所。
ずっとこうして自分のためだけのマイペースな投稿を続けられたら、不思議と長生きしてたりするのかもしれないな、とかいまは考えている。
まだ不安定で気持ちがぶり返したりして寝込んだり、どうしようもなく何かをことばにしたくなって暴走したりすることもあるけれど。
わたしは単純だ。いい大人なのに。うまれてはじめて知る「ことば」への触れ方に振り回されて、もうそればっかりになってしまったんだから。

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