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わたしとラジオ

 わたしとラジオ。ラジオとわたし。
 
 何が思い浮かぶだろう?

 浮かんだ光景は、夜中に市街地を走行している、自家用車からの街の風景だった。

 ラジオを聴取する習慣はなかった。中学生の頃、FMラジオにハマり、勉強中に流している時期があったが、続かなかった。ラジオにハマったというよりも、勉強しながらラジオを流している状況にハマっただけのように、今から考えると思う。

 それ以降、自ら行こうと思うことはなかった。自動車の運転中に、BGM代わりに流すことはあっても、聞きたくて聞いている訳ではないので、どんな内容かと言われても、思い出せない。ラジオは私にとってそんなものだった。

 それが大きく変わったのは、コロナ禍。コロナ禍、外に出られない状況から、ラジオを聴取する人が増えたとの話を聞く。ただ、私はそれとは違う。

 私はその当時、保健所の感染症を所管する部署で仕事をしていた。初めて、感染者が出た日は、3月31日だった。公務員は年度切り替えのため、翌日から異動のある人は新しい部署に行く。ただでさえ、ソワソワし、落ち着かない日に、感染者が出た。

 私は異動対象ではなかったが、所属していたところが、組織の改編に伴い、4月1日から統廃合となる予定だった。私がいたところが、他のところに吸収されることになり、建物内の書類などを全て整理し、中を空にする必要があった。

 他の業務をしながら、少しずつ準備はしていたが、年度末まで終わっておらず。今日は、遅くまで皆で作業しようと言っていた時に、コロナが発生した。私以外の職員が調査や感染者対応で飛び出し、一人、所属に残され、夜中まで荷物を指定の場所に運び出す作業を続けた。

 翌日から、統合され、新しくなった部署に行くと、4月1日の通常であれば、のどかな雰囲気は一切なく、慌ただしく人が動いていた。何かが変わったと、思った。

 それからというもの、連日、朝から夜まで、電話が鳴り続ける状況が続いた。通常、業務はできず、コロナ対応に専念することになった。電話が繋がらないため、繋がらないと苦情を言う人、わざわざそれを直接、言いに来る人が出るなど、まさにカオスだった。

 その日から、何時に帰れる、いつが休みという話はなくなった。毎日、夜中の3時頃まで仕事をし、家に帰り、シャワーを浴び、仮眠を取ったら、8時30分には出勤する。土日も、交代で朝から勤務に入る状況が続き、社会が大きく変わったことを肌で感じた。

 私にとって、ラジオとの再会は、夜中に帰る車内で聴く、深夜ラジオだった。深夜ラジオをそれまで聞くことはなかった。ただ、夜中に帰るため、途中で寝てしまうリスクを少しでも回避するため、かけ続けた。

 日中の間、不安や怒号などを聞き続けている日々。何気ない会話をしている、深夜ラジオにホッとする自分がいた。気付けば、深夜ラジオを聞くのが、日課になった。リアタイできなければ、Radikoで聞くようになった。

 世の中には、お約束がある。言葉にはしなくても、何となく皆が感じる流れがある。テレビを見ていると、どれも同じような番組に見えて、見たい気持ちがなくなった。違うチャンネルで、同じような企画をしている。出演者のノリや流れも同じ。焼きまわしのような気がする。だから、余程、他と違う企画でなければ、テレビは見なくなった。

 でも、ラジオは違う。ラジオは、尖ったこと、他と異なることをしてほしくはない。いつもと同じ。いつもと同じ流れであることを私は求めている。

 なぜ、この違いが生まれるのか?テレビには非日常を求め、ラジオには日常を求めている。そう感じる。テレビは自分とは違う世界の話であり、見るのであれば、自分とは繋がっていない、非日常が見たい。でも、ラジオは繋がっているから、日常の一つとして、安心したい。そこの違いのような気がする。

 テレビとラジオに同じ人が出ていても、求めるものが変わる。

 声以外の要素がないラジオだから、他がない、欠落しているからこそ、声に集中し、声を通して安心を感じることができる。

 コロナ禍が過ぎて以降も、ラジオは日常の一部として、今も聴いている。

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