【連載小説】官能と純愛の間で55〜フィノ〜
ディナーまではまだ時間がある。
私は部屋に戻り、窓を開けて風を入れる。
夕刻の風が森を抜ける間に、清流や岩にぶつかりひんやりと冷やされここまで届く。
どこかシダの香りのような野生味をまとった風。
この森の奥に、まだ見たことのない神秘な神殿があるような妄想が膨らむ。
ひんやりしていながらどこか熱い風。
体の奥がシンクロするように熱くなる気がする。
今夜のドレスは白のマーメイドラインにしよう。
意識しない程度に体のラインが出る。
今夜は香りを纏わないことにした。
先ほどのシダの香りがほんのり私を包んでいる気がしたから。
メイクは薄く、唇には無香料のリップだけ。
髪は後ろで一つに束ねた。
これでいい。
今夜の主役は私ではない。
サヴニエールをどう乗りこなすか。
チーフソムリエはきっと何か知っている。
それを引き出すにはチーフソムリエに私を認めてもらうしかない。
それで何か引き出せるのかわからないが、ワインを愛する者ならば同じくらいワインを愛する者にシンパシーを感じるだろう。
しかし、私にはそれ以前にワインを愛する者同士膝を突き合わせることの喜びが前に立つ。
愛好家は多いけれど、本気でぶつかりあえる相手はなかなかいない。
そろそろ時間だ。
私はストールを肩に掛け部屋を出た。
レストランの入り口でチーフソムリエが待っていた。
ストールをクロークに預けると、ウェイティングシートに通された。
今夜もゲストは私だけらしい。
チーフソムリエと目が合い、私は食前酒をオーダーする。
「フィノをお願いします」
「かしこまりました」
一度下がったチーフがしばらくして細身のグラスに注がれたフィノを運んできた。
うっすら汗をかいたグラスに揺れる薄い金色のフィノ。
チューリップ型のグラスが香りをすっと集め、口元に運ぶと青いアーモンドのような硬質な香りが広がった。
キリッとした辛口が喉元を過ぎてゆく。
食欲を刺激するフィノを選んでよかった。
チーフソムリエをちらっと見る。
顔色ひとつ変えずに職務に従事している。
まだまだこれからよ。
私は今夜のディナーが、忘れ難い時間になりそうでワクワクしていた。
