よ_ ヨルシカ
自身の音楽遍歴をあいうえお順で振り返る連載。
今回は「よ」ということで、現代の日本の音楽シーンにおいて極めて特異で、文学的かつ重厚な世界観を紡ぎ続けるユニット、ヨルシカを取り上げたい。
実を言えば、自分はヨルシカの過去の全アルバムを熱心に聴き込んできた古参のリスナーというわけではない。シングル曲をサブスクで耳にすることはあっても、作品全体を深く掘り下げるまでには至っていなかった。
しかし、2026年3月に届けられた約3年ぶりとなる最新フルアルバム『二人称』は、そんな自分の距離感を根底から覆してしまった。
全22曲、トータル1時間21分という、現代のストリーミング全盛期においては異例とも言える超大作。
そのうちの実に9曲が大型アニメやドラマなどのタイアップ曲で占められているにもかかわらず、このアルバムには散漫さやコマーシャリズムの気配が一切ない。それどころか、最初からひとつの壮大な文芸作品として構想されていたかのような、驚異的な統一感と物語性が宿っている。
Apple Musicの履歴を振り返ってみても、2026年の今年、自分がもっとも狂ったように聴きまくったのは間違いなくこのアルバムだ。ここ3年間に触れてきたアルバムの中でも、間違いなくベスト3に入る完成度だと確信している。
今回は、手元に迎え入れたフィジカルの封筒を開封したときの体験から、生楽器とホーンセクションが織りなす強靭なバンドグルーヴ、そして息を呑むような曲順の妙と循環するラストの仕掛けに至るまで、この傑作『二人称』の深淵を解き明かしてみたい。
32通の手紙を開封する体験――単曲消費に抗う「アルバム先行」の思想
このアルバム『二人称』に向き合う上で、何よりも鮮烈だったのはフィジカル版の特異な仕様だった。
今作は一般的なプラスチックケースや紙ジャケットではなく、「32通の封筒からなる書簡型文芸作品」という形態をとってリリースされた。
郵便受けから手紙を取り出し、封筒を開けると、そこには「先生」と呼ばれる対象へ詩の添削を請う少年の手紙と、彼が日々の中で綴った詩が同封されている。読者はあたかも誰かの私的な文通をこっそりのぞき見るような構造になっており、その少年が書いた詩がそのまま楽曲になっているという仕掛けだ。
実際に手元に届いた封筒を開封し、中から便箋を取り出して読んだときの体験は実に新鮮だった。
普段、ストリーミングで音楽を聴いていると、どうしても音そのものの気持ちよさに耳が向きがちで、歌詞の一行一行にまで深く着目していなかった曲も多かった。しかし、手紙に記された背景や少年の心のざわめきを読み解いていくうちに、「そもそもこの曲は、こういう文脈と感情から生まれた言葉だったのか」と、楽曲の輪郭が急激に鮮明になっていく感覚があった。
たとえばリード曲の「魔性」ひとつをとっても、手紙に刻まれた少年の内省と対峙することで、サウンドの奥に潜む切迫した情感が生々しく立ち上がってくる。あまりにも手紙の分量が膨大で、実はまだ後半部分を読み終えられていないのだが、時間を見つけてじっくりとこの文通の結末を追いかけ直さなければと思っている。
こうした徹底したコンセプチュアルな作品作りにおいて、もっとも驚嘆すべきは「アルバムが最初にあって、そこからシングルを切っていった」という制作順序だ。
ストリーミング時代においては、タイアップがついた単曲を数ヶ月おきに先行配信し、それらを後から寄せ集めて「アルバム」と銘打つケースが主流になっている。
しかしこの作品は、まず強固なひとつの物語を構築し、その中からタイアップの依頼に応じて楽曲を切り出していったのだという。だからこそ、全22曲中9曲がシングルという過密さでありながら、アルバムとして通して聴いたときに寸分の歪みもなく、ひとつの有機的な組曲として成立しているのだ。
また、ヨルシカといえばコンポーザーのn-bunaとボーカルのsuisによる2人組ユニットであり、YOASOBIなどの台頭もあって、世間的にはどこか「ネット発の洗練された打ち込みポップス」というパブリックイメージを抱かれがちかもしれない。
しかし、彼らの真の凄みは、そうした先入観を真っ向から裏切る「頑ななまでの生音へのこだわり」にある。
以前、雑誌のインタビューで読んだn-bunaとRADWIMPS・野田洋次郎の対談が非常に面白く、心に強く残っている。
その中で語られていたのは、ヨルシカが第1作から一貫して同じ固定のミュージシャンたちと共にスタジオに入り、生楽器のアンサンブルによってレコーディングを重ねてきたという事実だった。打ち込みの利便性に逃げることなく、生身の人間が音をぶつけ合うことで生まれるバンドグルーヴの歴史こそが、ヨルシカの歴史そのものなのだ。その肉体的な矜持があるからこそ、彼らの音楽はどれほど文学的で観念的な世界を描いていても、決して頭でっかちにならず、確かな体温と重みを持って耳に飛び込んでくる。
全編を彩るホーンの統一感と、完璧に設計された前半戦
『二人称』というアルバムを聴き通して、まず耳を奪われるのが、全編にわたって効果的に配された「ホーンセクション」の存在だ。
ポップスやロックのフィールドにおいて、単発の楽曲で華やかなブラスを導入するアプローチは珍しくない。しかし、80分を超える大長編アルバムの全体を通して、ここまで一貫したトーンと美意識でホーンを鳴らし続け、作品の「色」を見事に統一し切ったアルバムを、自分は他に聴いたことがない。
ある時はファンキーに跳ね、ある時はスモーキーに憂いを帯び、またある時は冷たい空気の中で静かに寄り添う。このホーンの響きこそが、散らばりがちな22曲を一本の強靭な糸で縫い止める決定的な役割を果たしている。
その設計美は、1曲目から8曲目の「晴る」に至る前半戦の流れにおいて、すでに完璧な形で証明されている。
作品は、郵便受けを開けて封を切る環境音と楽器のコラージュが美しいインストゥルメンタル「早朝、郵便受け」から、実にぬるっとした滑らかさで2曲目「雲になる」へと繋がっていく。7/8拍子と6/8拍子が交錯するジャズコードの変拍子、アフリカの民族打楽器・ジャンベの乾いたビート、そしてsuisが風邪を引いた状態で録音したという仮歌のテイクがそのまま採用された生々しいボーカル。
そのアンニュイで曇りのある幕開けから、一転して1980年代シティポップの疾走感を纏った3曲目「花も騒めく」へと駆け抜けていくグラデーションがたまらなく心地よい。
そして迎える4曲目が、アルバムの最初の頂点である「魔性」だ。
シックやシャラマーを彷彿とさせる濃厚なディスコ/ファンクのビートに、繰り返されるタイトなホーンセクション、そしてアンプを通さずにDIへ直結されたエレキギターの硬質なカッティング。
この圧倒的な推進力とキラーなフックを持つ楽曲が、先行シングルではなく「アルバム曲」として堂々と配置されている事実に、この作品が持つ規格外の強さを思い知らされる。
続く「プレイシック」の気だるげなホーン隊のアンサンブルを経て、アルバムの中で個人的にトップ3に入るほど深くハマったのが、6曲目の「ポスト春」だ。
この曲におけるホーンの使い方が本当に素晴らしい。決して過剰に主張することなく、イントロからさりげなく鳴り響き、サビのメロディにそっと添えるように重なっていくその佇まいには、言葉を失うほどの「渋さ」と美学がある。ドラムだけが拍子から微妙にずれてリズムチェンジを繰り返すという歪なビートの構造もスリリングで、聴けば聴くほどその底知れない構築美に唸らされる。
そこから萩原朔太郎の詩をモチーフにしたストリングスが美しい7曲目「太陽」へと至り、アルバムは前半戦のクライマックスである8曲目「晴る」へと接続される。
アニメ『葬送のフリーレン』のオープニングテーマとして社会的な大ヒットを記録した「晴る」は、単体で聴けば誰もが知るキャッチーなアンセムだ。通常、こうした巨大なヒット曲がアルバムの中盤に置かれると、そのインパクトの強さゆえに前後の流れから浮いてしまいがちである。
しかし今作においては、「太陽」までの綿密な助走によってアルバムの空気が完璧に整えられているため、「晴る」のストラトキャスターのハーフトーンが鳴り響いた瞬間、リスナーは極めて自然に、そして圧倒的な必然性をもってこの名曲を迎え入れることができる。最後の一節で伴奏がピタリと止まるあの劇的な静寂に至るまで、前半8曲の流れには一切の隙がない。
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