声から始まり、声によって手放される喪失:『シンシン アンド ザ マウス/SINSIN AND THE MOUSE』作品評



■ 谷崎潤一郎賞受賞作からの映画化

吉本ばななの短編小説集『ミトンとふびん』は第58回谷崎潤一郎賞を受賞した作品集であり、本作はその中に収められた一篇を、日本と台湾の合作というかたちで映画化したものである。監督・脚本・編集を務めたのは『ボクは坊さん。』『すくってごらん』の真壁幸紀。短編という凝縮された形式を、108分の長編としてどう膨らませるかという課題に、真壁は「音」という切り口で応えている。

■ 母を亡くした女と、家族の不在を生きる男

物語の中心にいるのは、母を亡くし深い喪失感を抱えたまま日々を過ごす、ちづみ。心の空白は埋まらず、時間だけが過ぎていくなか、友人に誘われて訪れた台湾で、台湾人の母と日本人の父を持つ青年シンシンに出会う。ちづみを演じるのは岸井ゆきの、シンシンを演じるのは、出演作が連続で興行収入1億台湾ドルを突破し「億万の幸運星」と呼ばれる台湾の若手俳優ツェン・ジンホア(曾敬驊)である。

ちづみが抱えているのは、愛情深い母を喪ったことによる喪失感であるのに対し、シンシンが抱えているのは、両親がいながらも家族としての繋がりを実感できずに育った、質の異なる欠落である。喪失の形は違えども、二人はともに「満たされなかったもの」を抱えて生きている。この非対称な喪失同士が響き合う構造が、本作の情緒の骨格をなしている。

■ 音にこだわった演出という選択

台北映画祭での記者会見で、真壁は原作の映画化にあたって「小説の中では音について書かれている部分が多く、この音の部分を膨らませると映画になるんじゃないか」と語っている。シンシンの母親の曲を映画オリジナルで作曲するなど、音、歌、声という要素を通して物語を拡張する方針が取られた。

この方針は、本作の核心的な台詞にも表れている。原作の世界観を踏まえながら真壁が施したオリジナルの演出について、岸井ゆきのは「人は声から忘れちゃう。でも、死んだ人が天国へ持っていけるのは声なの」という台詞の活かし方を、本作で最も素敵な部分として挙げている。声とは、記憶の中で最初に薄れていくものでありながら、同時に、失われた者が最後まで携えていくものでもある。この逆説を音の演出全体で体現しようとする姿勢に、本作の誠実さがある。

■ 全編日本語に挑んだツェン・ジンホア

台湾人俳優であるツェン・ジンホアは、本作で全編日本語での演技に挑んでいる。バーでの長台詞が続くシーンで、真壁から「オッケー」と言われた瞬間に思わず涙をこぼしたというエピソードは、言語の壁を越えて役に取り組んだ俳優の緊張と解放を物語っている。日本のスタッフに支えられながら「一緒に完成させよう」という気持ちが強かったと、ツェン・ジンホア自身が振り返っている。

この越境的な演技への挑戦は、作品のテーマとも呼応している。シンシン自身が台湾人の母と日本人の父を持つ、二つの言語と文化のあいだに生きる人物として設定されていることを思えば、ツェン・ジンホアが日本語という不慣れな言語に体ごと飛び込んでいく過程そのものが、役の輪郭と重なって見えてくる。

■ 台湾という舞台の選び方

物語の大部分は台湾で展開される。近代的な高層ビルと、どこか懐かしさを感じさせる街並みが同居する台北の風景は、日本と似ているようで少しだけ違う空気を纏っている。この「似ているが違う」感覚こそが、ちづみが日常から距離を取り、止まっていた心を動かしていくために必要な余白を生んでいる。見知らぬ街だからこそ気づける小さな出来事の積み重ねが、喪失を抱えたままでも生きていけるという実感へとちづみを導いていく。

■ 母娘の後ろ姿が重なるという偶然

ちづみの母を演じた余貴美子と岸井ゆきのの共演シーンについて、真壁は「身長も体格も異なる二人の後ろ姿が驚くほど似ていた」と振り返っている。演出として意図されたものではない、現場で生まれたこの偶然の一致は、血の繋がりというものが姿かたちの設計ではなく、時間の積み重ねの中に宿ることを図らずも証明している。

■ グラスゴーでの高評価と海外からの視線

本作は公開に先立ち、スコットランドで開催された第22回グラスゴー映画祭でワールドプレミア上映されている。現地の観客からは、喪失が生み出す虚無をこれほどまでに捉えた映画は稀だという声や、人生に再び恋をする映画のように感じられたという評が寄せられ、チケットは早々に完売した。日本語と台湾という舞台設定を持つ本作が、文化的背景の異なる観客の心にも届いたという事実は、本作が描く喪失と再生という主題が、いかに普遍的な強度を持っているかを裏付けている。

■ 静かさゆえの難しさ

一方で、本作の静謐な作りは観客を選ぶ側面も持つ。冒頭から台詞を抑えた思わせぶりなカット割りが連続する構成は、劇的な起伏を求める観客にとっては単調に映りかねない。喪失からの回復というテーマを、派手な事件や劇的な対話ではなく、風景と音の積み重ねだけで描き切ろうとする本作の姿勢は、その分だけ観客の忍耐と没入を前提としている。

■ 終わりに 声だけが持っていけるもの

『シンシン アンド ザ マウス』が最終的に描いているのは、喪失そのものの克服ではない。ちづみもシンシンも、欠けたものを完全に埋めることはできないまま物語を終えていく。しかし、声という消えやすくも最後まで残るものを通して、二人はそれぞれの喪失と共存する術を見出していく。

自分を慈しむことの大切さを静かに語りかける、という本作の姿勢は、声高な救済ではなく、ささやかな出来事の積み重ねの先にしか再生はないという、地に足のついた実感に貫かれている。喪失は声から始まり、その声によってこそ手放されていく。本作はその往復運動を、静かな確かさで描き切った一作である。

原作:吉本ばなな『SINSIN AND THE MOUSE』(新潮社刊『ミトンとふびん』収録)
監督・脚本・編集:真壁幸紀
共同脚本:加藤法子
出演:岸井ゆきの、ツェン・ジンホア、藤原季節、中田青渚、柄本時生、伊勢佳世、飯田基祐、余貴美子
主題歌:藤原季節 as マサミチ「Let Me Feel You」
配給:カルチュア・パブリッシャーズ
2026年・日本/台湾合作・108分

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