恐怖を感じるのは、いいことだ | クロス考察:『葬送のフリーレン』✖️『ONE PIECE』
私は、『葬送のフリーレン』をNetflixのアニメでしか知らない。
『ONE PIECE』についても原作の漫画やアニメを知らず、実写版のNetflixドラマ(シーズン1 & 2)のみ見たことがある。
という前提ではあるが、『葬送のフリーレン』と『ONE PIECE』には響き合うテーマがあると感じたため、それについて書いてみたいと思う。
2つの作品は全く異なる設定とストーリーだが、どちらの話でも主人公たちは冒険し、行く先々で出会う敵と戦っている。
この「戦う」という舞台設定において「怖がることは弱さを意味しない」「怖がることは、悪いことではない」という共通のメッセージがある。
あらすじ
アニメ『葬送のフリーレン』
勇者ヒンメルたちとともに魔王を倒したエルフの魔法使い・フリーレンが、仲間の死をきっかけに「人を知る」ための旅に出る物語。長命なフリーレンと人間たちの時間感覚の違いを軸に、出会いや別れ、記憶が描かれる。
実写版『ONE PIECE』
海賊王を目指す少年モンキー・D・ルフィが、仲間を集めながら伝説の秘宝「ワンピース」を探して海を旅する冒険物語。それぞれに夢や過去を抱えた仲間たちが、絆を深めながら、さまざまな敵や困難に立ち向かっていく。
自らの身を滅ぼすのは「恐怖」ではなく、「クソみたいなおごりと油断」(『葬送のフリーレン』)
『葬送のフリーレン』の世界では、「恐怖」は常に「強さ」や「賢さ」と密接な関係を築いている。
怖がることは悪いことではなく、弱さを意味しない。
むしろ危険なのは、自分を過信したり、相手をみくびったりすることだ。
それによって生まれる「おごりと油断」は、人類や魔族が自らの身を滅ぼす弱点となり得る。
フリーレンの師匠である大魔法使いフランメは、かつて魔族の最大の弱点について、こう言った。
今まで研鑽を積んできた魔法に対する、自信と信頼。
要するに、クソみたいなおごりと油断だ。
「恐怖」という感情は、この「おごりと油断」とは対極にあるように思う。
だから『葬送のフリーレン』では、「恐怖」は強い者の資質として登場することが多いのだ。
「この恐怖が、俺をここまで連れてきたんだ」(『葬送のフリーレン』アイゼン)
やはり一番印象的なのは、戦士アイゼンのこのセリフだろう。
魔王を倒した伝説の勇者一行の戦士アイゼンは、大きな戦いの前はいつも恐怖で震えていた。
フリーレンが「怖いの?」と聞くと、アイゼンはあっさり認めてこう言う。
怖がることは、悪いことではない。
この恐怖が、俺をここまで連れてきたんだ。
「俺は恐怖を乗り越えてここまで来た」ではなく、「恐怖が俺をここまで連れてきた」と言うところが、非常に味わい深い。
もちろん、たくさんの恐怖を乗り越えたからこそ強くなった自分がいる、という意味もあるだろう。
ただ私は、このアイゼンのセリフは「恐怖」こそが、彼をここまで連れてきた強さの一部であると、言っているように聞こえる。
「おごりと油断」が身を滅ぼす弱みになるとするならば、その対極にある『恐怖』は、戦う相手をみくびらず、油断せずに最後まで戦う強さになると思うからだ。
アイゼンの一番弟子であるシュタルクも、強い敵と戦いの前は震え、戦闘の後は腰を抜かしてしまうことも多い。
しかしシュタルクはアイゼンと同様、強いのだ。
「怖がることは、悪いことではない」という一貫したメッセージがあるように思う。
「戦士が恐怖を感じるのは、いいことだ」(『ONE PIECE』ブロギー)
『ONE PIECE』の中で、主人公ルフィーたちと冒険をする海賊団「麦わらの一味(Straw Hat Pirates)」の一人に、ウソップという人物がいる。
ウソップは臆病で、危険な場面では逃げ腰になったり、怖さをごまかすために嘘や大げさな話をしたりするキャラクターだ。
S2E5では、「麦わらの一味」はリトル・ガーデンと呼ばれる島にたどり着く。
そこで、主人公ルフィたちは敵に捕まったり、操られたりして、まともに戦える状態ではなくなってしまう。
その場で仲間を救うために戦えるのは、ただ一人、臆病者のウソップだ。
ウソップは、自分ひとりで敵に立ち向かわなければならない状況に怯え、いったんは逃げ腰になる。
そこで島に住む巨人ブロギーが、ウソップに「恐怖を感じること」と「勇敢であること」は両立するのだと諭す。
その言葉が印象的だ。
ブロギー:
A warrior’s fear is a good thing. It means you care. Gives you purpose.
(戦士が恐怖を感じるのは、いいことだ。それは、大切なものや守るべきものがあるということだ)
I would never trust my life to a warrior who claimed never to have been afraid.
(一度も恐怖を感じたことのない戦士に、わしなら命を預けたりはせん)
True bravery is not the absence of fear, but going into battle in spite of it.
(勇敢である証は、恐怖を感じないことではなく、怖くても戦いに向かうことだ)
この言葉を励みに、ウソップは意を決して仲間を救いに向かう。
震えるほどの恐怖を抱えながらも、必要な場面では仲間のために踏みとどまり、身体を張って戦うのだ。
怖がりながらも、戦いに向かうこと。
たしかに、それこそが勇敢である証だと、私は思った。
【まとめ】ふたつの物語を通して、強さ・弱さと恐怖について考える
『ONE PIECE』を見始めた当初は、『葬送のフリーレン』の世界と重なるテーマは浮かび上がってこなかった。
しかし2026年にシーズン2が始まり、各キャラクターのことをさらに一歩深く知ることができたとき、見えてくるものが変わった。
仲間が時間を共有していくことで深まる信頼関係や相互理解、強さ・弱さと恐怖の描き方などは、共通する点も多いと思うようになった。
特に上述のブロギーのセリフを聞いたときには、すぐにアイゼンの「この恐怖が、俺をここまで連れてきた」というセリフと結びついた。
多くの場合、私たちは「恐怖」を「弱さ」と結びつけて捉えがちではないだろうか。
しかし怖がることは弱さを意味しないことを、全く異なる2つの物語が教えてくれている。
私は改めて、「恐怖」という感情について考えた。
確かにフランメが言うように、より弱点となり得るのは「恐怖」よりも「おごりと油断」だろう。
そしてブロギーが言うように、何か・誰かを守りたいという気持ちが強い人の方が、感じる恐怖も大きいように思う。
怖いという感情は正直、不快だ。
でも、悪いことではない。
そして生きている限り、恐怖を完全に切り離すことはできない。
それでいいんだ、と思えた。
私たちは恐怖という感情と共に、強く生きていくことができるんだ。
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